【第3章】 雪中キャンプ編 斉藤ナツ 9
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斉藤ナツと清水奈緒の仲がいい。
このことは、クラスメイトと教師陣に衝撃を与えた。らしい。
斉藤ナツは低学年の頃からクラスの誰ともなれ合わず、教師の誰にも懐かず、なんなら返事すらしない変人だった。参観日にも懇談会にも親は誰も来ないし、電話は何を言っても要領を得ない祖母にしか繋がらない。家庭環境も含めて、変な子どもだった。
対して、清水奈緒はクラスの人気者だった。誰にでも明るく接するし、笑顔も愛くるしい。親もどこかの社長をやっているらしく、参観日には立派なスーツを着た父親と若くて美人の母親が仲睦まじく授業を見に来ていた。
そんな正反対な二人が、どこに行くときも常にべったりと一緒に行動し、いつも楽しそうにおしゃべりしているのだから、周りが驚くのも当然である。
しかし、実情は少し違っていた。別に一緒に行動していたわけではない。単に私が向かうところ、行くところに奈緒が嬉しそうにひっついてきていただけの話である。私はそれを追い払うこともなく、好きにさせておいた。奈緒はいつもしゃべっていた。好きなテレビ番組のこと、最近読んでいる漫画のこと、学校の噂話も大好きで、あの先生がこの前、だとか、あの子はじつは、だとか。
私は本を読んだり、絵を描いたりしながら、適当に相づちをうっていた。場合によっては完全に無視したこともある。それでも奈緒には問題ないらしく、いつもニコニコとしていた。
私としても、メリットは結構あった。この前のように大人になにか頼み事をするときは、奈緒はかなり役に立つ。理科室に忍び込むときなどは、頼めば見張り役も引き受けてくれる。体育でペアを組まされる際に困らなくなったのも割と大きかった。
しかし、私といることで奈緒自身には何のメリットがあるのか、皆目わからなかった。
「あんたさ、なんで私といっしょにいるの」
私自身でも疑問が大きくなったので聞いてみた。
その日も、私たちは勝手に理科室に忍び込んで顕微鏡をいじくり回していた。本当は奥の理科準備室に入りたかったのだが、いつも鍵がかかっているのだ。
私の問いに、奈緒は首を横に振った。
「違う。ナオちゃん」
「はあ?」
「あたしの事は、『あんた』じゃなくて、『ナオちゃん』って呼んで」
めんどくさいなと思いながら、再び「ナオちゃんは、なんで私といっしょにいるの」と聞き直した。
「メリットないでしょ」
「あるよ」
奈緒は胸を張った。
「大好きななっちゃんといっしょにいられる。メリットでしょ」
わからん。
「これまで、話したこともなかったでしょうが」
「まあね。でも、ずうっと見てたんだよ。かっこいいなあって」
何がかっこいいというのだろう。教師に怒られ、クラスメイトに疎まれているだけなのだが。
「なっちゃんはさ、クラス? いや、学校を変えたんだよ」
またわからない。
「そっかあ。やっぱ自覚ないかあ」
奈緒がなぜかニヤニヤし始めた。ちょっといらついてくる。奈緒は続ける。
「今、うちのクラス荒れてるでしょ。去年まではもっと落ち着いてたもん。先生の言うことをみんなちゃんと聞く、真面目なクラスだったよ」
私の表情を読んだのだろう。奈緒も笑顔を引っ込め、真面目に話し始めた。
「みんな、なっちゃんを見て気づいちゃったんだよ。授業は聞かなくてもいい。授業中でも立ち歩いてもいい。それでもし怒られても、先生は本当はそこまで怖くない。別に殴られるわけでも蹴られるわけでもないってね」
なるほど。そりゃあ、あれだけ教師陣が総力をかけて袋だたきにしたはずの児童がどこふく風でけろっとしていたら、教師の威厳も権威もあったものではないだろう。教師をなめてかかるやつが続出しても全くおかしくない。
私が自分の個人の権利を拡大しようとした結果、そしてそれが成功してしまった結果、学校全体のシステムが崩れ始めてしまったということか。
無理が通れば、道理引っ込む。
「私からしたらね、なっちゃんは革命家なんだよ! ナポレオンだよ!」
別に私は戦争の天才ではないので、どちらかと言えば不服従の革命家ガンディーが近いと思ったが、それはガンディーに失礼か。
「だから、もっと近くで見ていたいって思って。あたし、なっちゃんのファンなの」
なるほど。大体わかった。だとしてもだ。
「私といると、損するよ」
「へ? なんで?」
奈緒はきょとんとする。馬鹿ではないようだから、わかるだろうに。
「ずっと私といるせいで、あんた・・・・・・ナオちゃんのクラスでの地位、どんどん下がってるでしょ」
私がこの学校のナポレオンだか、ロベス・ピエールだかは知らないが、クラスメイトの大半は私の事を疎ましく思っている。別に気にしているわけではないが、流石に視線でわかる。特に人気者の奈緒を私が独占(?)し始めてからはその視線が強くなっているのを感じる。事実、奈緒が側にいるからあからさまな事はしてこないが、陰湿な嫌がらせは始まっているようだった。
最近、目を離した隙に、私の筆記用具やノートなどが消えるようになった。
「いいんだよ。別に学校なんか」
奈緒はそう言ってすっと目をそらし、肩に掛かったロングヘアをなで始めた。奈緒の癖だ。
「そうなの? クラスでの地位とか、先生の評判とか、気にするタイプなのかと思ってた」
「前はね。でももういいの」
「なんで」
「なっちゃんに出会えたから。なっちゃんがいれば、それで十分」
そう言って奈緒はまたにっこりと笑った。私は「あっそ」と返して会話を終わらせた。本人がいいのならまあいいか。そんな感じだった。
その時、がらりと理科室の戸が開いて、教師が入ってきた。
「おい! なにしてる!」
私はその教師をちらりと見て、舌打ちする。足立先生ならどうにでもなったが、怒りっぽいことで有名なおっさん教師だった。中田とかいったか。
「子どもが勝手に入るんじゃない! ・・・・・・ああ、斉藤か」
中田は私を見てため息をつく。ため息をつきたいのはこっちだ。この教師には何度も本を床にたたきつけられた。しかもその後の説教が長い。残念だ。今日は顕微鏡でコルクの構造を観察したかったのに。今日の休み時間は説教で終わるのだろう。
「先生! ごめんなさい!」
奈緒が私との間に即座に割って入り、90度のお辞儀をする。
「理科でわからないところがあって、なっちゃんに聞いてたんです。そしたら、実際に触ってみた方がいいよねって話になって・・・・・・」
「・・・・・・先生の許可はちゃんと取らないといけないだろ」
奈緒の素直な謝罪に明らかに中田の態度が軟化する。日頃の行いの差というやつだな。
「でも、理科の足立先生はちょっと・・・・・・話しかけづらくて」
「ああ、なるほどな。足立先生か」
私は奈緒の機転に心の中で舌を巻いた。
足立教諭は変わり者だ。授業も退屈で見た目もさえないため、子どもからの人気も低い。そして何より、教師陣からもかなり嫌われているというのが奈緒の情報だった。人付き合いが悪いというのが原因らしい。しかも中田が特に嫌っている教師たちの筆頭だとも奈緒は言っていた。根暗な感じの足立先生と体育系の中田では、確かに相性が悪そうだ。
つまり、奈緒はこの状況で瞬時に『話しかけづらい足立先生のせいで悪いことをしてしまったんですわたしたち』という理論をでっち上げ、足立先生に全てのヘイトと責任をなすりつけて共通敵にしたのだ。中田からしても嫌いな同僚が子ども達からも嫌われているというのはうれしい情報だろしな。
もちろん、実際の足立先生は悪い人ではない。確かに授業は退屈だが、理科の知識は確かで、私と奈緒はあれからも何度も質問をしている。足立先生はいつも丁寧に教えてくれた。嫌われ者の私にも、人気者の奈緒に対しても、一切態度が変わらない数少ない教師の一人だ。
でも、その事実は今は関係ない。この状況を打破するという一点においては。奈緒はそう判断したのだろう。そして上目遣いで中田に追い打ちをかける。
「中田先生みたいにやさしく話してくれる先生だったら相談できたんですけど」
中田がまんざらでもない表情を浮かべる。そりゃあ嬉しいだろう。嫌いな同僚より、自分の方が子どもに信頼されていると言ってもらえたのだから。だが、中田は気づいていないのだろう。気が付かないうちに、私たち二人に「やさしく」しなければならなくなったことを。
「じゃあ、今度からそういうときは、先生に相談しなさい」
「え、でも、理科のことだから・・・・・・」
「大丈夫だ。理科室を使う許可ぐらい、先生だって出せるんだぞ」
「そうなんですか? すごい!」
そりゃあ、どの教師だって出来るだろうよ。奈緒もそれぐらいわかっている。ただ、奈緒は馬鹿な振りをするのも得意なのだ。
「じゃあ、もしかして、理科準備室も?」
私は思わず顔を上げた。
「ああ。もちろんだ。今も道具をとりにきたんだ。一緒に入ってみるか?」
「ほんとですか? すごいです! 足立先生以外は開けられないのかと思ってました」
「ほら」
中田が理科室の鍵の束をジャラリと取り出す。職員室の壁に掛かっているのだから、どの教師でも扱えて当然だ。それをわかった上で奈緒は歓声を上げる。
あとはトントン拍子だった。三人で念願の理科準備室に入ると、私は普段見ることが出来ない宝の山に興奮し、急いで物色を始めた。
そうしている間に中田が必要なものを取り出す。その仕事が少しでも長引くように奈緒がしきりに話題を振って時間稼ぎをしてくれているのがわかった。奈緒の犬歯を見せるキュートな笑顔に中田もやられたらしく、そのうち完全に手を止めて談笑を始めてしまっていた。私はそのすきに人体模型や昆虫の標本などをしげしげと見つめる。
しかし、流石に予鈴のチャイムが鳴ったところで、荷物を取り終えた中田とともに準備室を出されてしまった。
その際も奈緒は「鍵、閉めるの、あたしやってみたいです!」と中田にかわいらしく媚びまくっていた。
中田に見送られながら二人ならんで教室に向かう。十分離れたところで、奈緒に小声で話しかける。
「その八重歯、ほんと便利ね」
「そうなのかな? 歯並び悪いのって良くないって聞くけど」
「そう? ナオちゃんが気になるなら仕方ないけど、私はすごく可愛いと思うけど」
奈緒が顔をほころばした。お礼のつもりも含めて褒めてみたのだが、思いのほか嬉しかったらしい。
「では、ナツ様。こちらをお納めください」
そう言って奈緒は私に何かを握らせた。見てみると、小さな鍵だった。
「これ、理科準備室の?」
さっき、奈緒は中田にお願いして鍵を借りて準備室の戸を閉めていた。あのわずかな間に鍵の束から抜き取ったのか。なんてやつだ。
「あれだけじゃらじゃら鍵がぶら下がってるんだもん。一個ぐらいなくなってもわからないよ」
「いや、流石にバレるでしょ。明日の授業の時には足立先生が気づいて問題になる」
「どうせスペアとかあるんじゃない?」
「・・・・・・だとしても、ある程度問題にはなるわ。用心で鍵を変えられたら何の意味も無い。その場合、理科室全体の警備が厳重になってしまうかも」
奈緒はそれを聞いて一瞬考えた。
「じゃあ、明日の朝までに合鍵を作ろう。駅前の鍵屋さんで千円でやってくれるよ。そしたら本物は朝一番に理科室の床に転がしとくの。それが見つかれば単に束から落ちたんだな、見つかって良かったなってなるだけでしょ」
私は立ち止まって、奈緒をじっと見つめた。
「ナオどの」
「はっ」
奈緒がにやりと笑っていた。いつもの「にこり」ではなく、「にやり」だ。 私も似たような顔だっただろう。私は言った。
「お主も悪よのう」
「いえいえ。ナポレオン様ほどではございませぬ」
うん。それは、ナポレオンに失礼だ。




