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キャンプをしたいだけなのに【2巻発売中】  作者: 夏人
第3章 運命なんてあるものか
39/230

【第3章】 雪中キャンプ編 斉藤ナツ 1


 少女は泣いていた。

 たいして似合いもしない大きい上着の裾を握り締めて、口をへの字に曲げ、ボロボロと涙をこぼして、時折しゃくりあげながら。

 少女はずっと私を見ていた。こぼれる涙が寝袋に落ちていく。

 私は黙って床を見ていた。何の言葉もかけず、ただじっと。

「・・・・・・だって」

 少女は震えた声を漏らした。

「だって」

 少女がぎゅっと目をつぶる。一際大きな涙の粒が床に落ちた。

「だって、私も、なっちゃんみたいに、なりたかったんだもん」

 


 1


 紗奈子の様子がおかしい。

 紗奈子の母からの電話でそう伝えられた時、私はちょうど美音とカフェで軽食をとっている所だった。

私の表情が険しくなっていたのだろう。美音が「誰からですか?」と小声で聞いてくる。それを受けて私はスマホをスピーカーにしてテーブルに置いた。紗奈子の母の声がスマホから流れ出る。

「塞ぎ込むってほどじゃあないんだけどね。全然笑わなくなっちゃって。私たちが心配して声をかけたら、作り笑いはしてくれるんだけど。それがなおさら痛々しくてね。」

 11月下旬のカフェの店内は、天井に設置されたエアコンから人工の温風が常時吐き出され、暑いぐらいだった。私も美音もコートを脱いで椅子にかけている。

「昨日なんて、冗談めかして、『やっぱり私には無理だったんだよ』とか言いはじめちゃって。あんたはよくやってるって言ったんだけどね。全然ひびかなくて」

 顔を上げると、美音と目が合った。なんとなく、互いに頷く。

 育児ノイローゼか。

 個人差は無論あるものの、育児のストレスで精神が参ってしまう母親は少なくないと聞く。時期は人それぞれらしいが、出産で体力の落ちているときに慣れない夜泣きやら授乳やらに追われる0歳から1歳までの間にひどくなることが多いらしい。

「未来くん、いま生後何ヶ月ですっけ」

 そう聞くと、「7ヶ月ちょっとかな」と返ってきた。時期的にはドンピシャだ。

「ちょっとの失敗をすごく気にしちゃって。出産まではあんなに適当で大雑把な子だったのに。急に完璧主義になっちゃって。うまくいかない事があるとすごく落ち込むんです。はじめからうまくいく母親なんていないってわたしからは言うんですけどね。自分が許せなくなっちゃうみたいで」

 紗奈子は私から見ても、母親として頑張っていると思う。

 何度か自宅に招かれたことがあるが、私と話しているときも隣で寝ている未来から常に目を離さない。未来が少しぐずったかなと私が思った時にはすでに顔をのぞき込んでいる。よっぽどかわいいんだなあと思っていたが、今から思うと確かに頑張りすぎだ。あのペースで10ヶ月続けていたのなら、それは精神が摩耗しない方がおかしい。

「それでね、ナツさん。勝手なお願いがあるんです。あの子を気晴らしに連れ出してやってはくれませんか」

 紗奈子の母は悲痛な声色で頼んだ。

「あの子、ずっと片時も離れないもんだから、考え込んじゃうんだと思うの。半日でも赤ん坊から離れた時間があると気分転換になると思うんです。未来は、わたしと夫が面倒見てますから。わたしどもが言ってもあの子は聞きませんが、ナツさんからの誘いだったら行くと思うんです」

「そんなことでよければ」と快諾して、日程調節は後ほどということで電話を切った。

「紗奈子ちゃん、動画の方も最近うまくいってないみたいでしたしね」

 美音がそう言って、食後の紅茶を啜った。

「動画?」

 オウム返しをした私に、「ナツさんには黙っててって言われてたんですけど」と美音がスマホ画面を見せてきた。

大手動画投稿サイトYtubeワイチューブだ。「18歳シングルマザー子育て日記」と題されたサムネに笑顔の紗奈子が映っていた。

 なにやってんだあいつ。

「紗奈子ちゃんに子育てチャンネルをいくつか教えてあげたんですよ。何かの参考になるかなって思って。そしたら、自分でもやってみたくなっちゃったみたいで」

 私は予想外の事にぽかんと口を開けて美音のスマホを受け取った。

 登録者数8000人。動画数18本。

「あの子、ワイチューバーなの?」

「収益化もしたみたいですよ」

「まじか」

「さっちゃんチャンネル」というページを巡っていくと、紗奈子の笑顔が並ぶ動画一覧があった。

「息子ちゃんとお昼寝」「坊やのお気に入り」「我が子のはいはい速すぎない?」

 どれも10分程度の動画だった。子どもの呼び方ぐらい統一しろよ。と突っ込みながらスワイプする。サムネの構図もまちまちだった。色々と探っているのだろう。

「初めに試しで上げた動画がプチバズりして、そこから、のめり込んじゃったらしいです」

 美音にそう言われて、一番最初の動画までさかのぼる。あった。「18歳シングルマザー初めての離乳食」。再生回数3万回。たいした物だ。

「18歳、シングルマザー、ていうキーワードがうけたんでしょうね。紗奈子ちゃん、かわいいし」

 そう語る美音は浮かない顔だった。

「初めは私もいいことだと思ったんですよ。紗奈子ちゃん、あまりに未来くんにのめり込みすぎな感じがあったから、気晴らしになる趣味の一つや二つ持っていた方が絶対いいって。でも、はじめの動画でバズって以降は再生回数も伸び悩んじゃったみたいで。何がうけるのかわからないからサムネかえたり、撮影方法変えたり、色々やってみてたみたいなんですけど」

 そう簡単にいく世界ではないと言うことか。まあ、18歳だとか、シングルマザーだとか、そんなカテゴリーにあてはめたぐらいでなんとかなるはずがないか。

「初めの方に増えたフォロワー数も目減りするばっかりになっちゃって。そんなの関係なく趣味として楽しめばいいって言ったんですけど。そう言う性格じゃないんですねあの子。閲覧数とかすごく気になっちゃうみたいで。なんか、未来くんとスマホを交互に見る感じになって」

 確かに、紗奈子は1回のめり込むと抜けられないタイプな気がする。今から考えるとクズ大学生ケンくんにもそうだったのかもしれない。あれから紗奈子にも色々あったはずだが、人の性格はそう簡単に変わらないのだろう。

「時には心ないコメントも来るらしくて。子育ての気晴らしで始めたはずの配信が、心のよりどころになって、それがとうとう精神的負担になっちゃったんだと思います。」

 動画のタイトルを目で拾っていくと、確かに紗奈子の苦悩が垣間見えた。「重大報告」と銘打ってみたり、「質問なんでも答えます」とでかでかと出してみたり。「真実を話します」とよくわからない告白をしたり。回を重ねるごとに迷走しているのがわかる。

「やめればいいのに」

「そう言ったんですよ。私も。でも、動画を楽しみにしてるフォロワーのみんなに悪いからって。よくわからない責任感が芽生えちゃったみたいで」

 クリエーターにありがちな話だな。

 自分の作品を待ってくれている人がいると自分は思い込んでいても、実際は数多あるありきたりな量産品の一つとしてしか見られていない。これだけのフォロワーがいても、フォローしている側からすれば、何百、下手すれば何千もフォローしてるうちの一つでしかないのだろう。

 試しに紗奈子の動画の一つを再生する。

 1回バズっただけあって、ちゃんとオチが付いていて、それなりにくすりとできる。才能はあるのだろう。動画編集はうまいとは言えないが、ちゃんと紗奈子の明るい人柄が伝わってくる良い動画だった。

 すっすっと画面を送ってサムネを流し見していく。

 そこで私の画面をスワイプする指がピタリと止まった。

 何本もある動画の中で、比較的再生数が伸びている動画があった。タイトルは「今日のサマーちゃん」。思わず再生ボタンを押す。それは紗奈子がペラペラとカメラの前で世間話をするというだけのものだった。しかし、お題は「私の親友の女性キャンパーのサマーちゃん」についてだった。

「え、これ私?」

「あ、はい。ナツさんですね」

 聞いてないぞ。私のプライバシーはどうなっているんだ。

「よく出てきますよ」

 美音に言われてスワイプを続けると確かに、タイトルに「サマーちゃん」が何度も登場していた。どの回も「サマーちゃん」の面白おかしい言動を、紗奈子が嬉しそうに語るという内容だった。

 無愛想な女性キャンパーの「サマーちゃん」が、毎回、息子ちゃんによくわからないお土産を持ってきては、それを紗奈子が苦笑いをしながら紹介するという流れだ。

「なんで? 赤ちゃん用のシェラカップ喜んでくれてたじゃん!」

「赤ちゃんにキャンプ道具おくる人がどこにいるんですか。なんですか赤ちゃん用シェラカップって」

 美音を無視してスワイプを続ける。

 最新話では、「サマーちゃん」が子ども用の難燃性の上着を買ってきて、「これ、火の粉がぜんぜん大丈夫になるから。私も同じやつ着てて、実証済みだから」と困惑する紗奈子に上着を押しつけて満足げに返って行くという話だった。

「あの上着高かったのよ!」

「赤ちゃんに火の粉が降りかかるシチュエーション、あるわけないでしょ」

 美音の的確な反論に少し怯みながらも言葉を返す。

「あ、あれは将来大きくなったときのためにだよ! BBQとかするかもしれないじゃん!」

「ナツさん、これはほんとに言いにくいんですけど」

 思わず椅子から前のめりになってしまっている私を、美音がかわいそうなものを見る目で見つめる。

「高価な上着、しかもおそろいのは、正直ひきます」

 ぐうの音もでないとは、このことだった。

 私はゆっくりと椅子に沈み込み、天井を仰いだ姿勢で、手だけを動かして美音にスマホを返した。

「・・・・・・ そりゃ、私には内緒にするわけだ」

「紗奈子ちゃんも初めはこういう身内のネタは出してなかったんですけどね」

 スマホを受け取りながら美音が言う。

「でも、ネタもなくなってくるし、閲覧数は伸びないしで、仕方なかったみたいですよ」

 創作活動はその身を切り売りする作業だと聞く。紗奈子にもクリエーターとしての苦悩があったのだろう。

「にしても、私、登場しすぎじゃない?」

「『サマーちゃん』、人気あるっぽいですよ。サマーちゃん回はいつもそれなりに伸びてますし。どれも作り話じゃないのが面白いですよね」

「あっそ」

 私は若干すねてカップのコーヒーをぐっと飲み干した。

「あと、これは紗奈子ちゃんが言ってたんですけど。ナツさんの動画を作っているときが一番楽しくて落ち着くんですって」

 そう言って、美音も紅茶を飲みきる。 

 私はため息をついた。別に本気ですねているわけではない。顔写真を出されたわけではないし、ぎりぎり名前が出されたわけでもない。(サマーちゃんは本当にギリギリだが)あと、私の話をしているときの紗奈子の表情は本当に嬉しそうだった。私の話を出来るのが、嬉しくてならないのだろう。

 どうにも、怒る気にはなれないな。軽くたしなめるぐらいにしておこう。

 つくづく私は、紗奈子にあまい。



大変お待たせいたしました。新章開幕になります。


数話ごとに連投していく予定です。

よろしくお願いします。

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