【第2章】 湖畔キャンプ編 斉藤ナツ 11
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あの夜を思い出す。
真っ暗な、月明かりもない本当に真っ暗な夜の林の中で、猟銃を持った猟奇殺人犯と対峙した。いや、渡り合えたのは岸本あかりの力を借りたからだ。あかりに協力してもらえるまでは、ただ逃げ惑っていたと言っていい。あの瞬間はアドレナリンが出ていたのか、自分の感情に鈍感だった。行動するのに必死で、恐怖を感じる暇さえなかったのかもしれない。でも、あとから思い出すと、あの時感じるべきだった感情が溢れてくる。
怖い。痛い。死ぬかもしれない。死にたくない。助けてほしい。怖い。生きたい。怖い。
死にたくない。
今、私がいるのは暗闇ではない。暖色の明かりに照らされた暖かいロッジの中だ。目の前に猟銃を持った男もいない。元彼の徹に似た、やさしげな微笑を浮かべた白鳥が座っている。だが、死の恐怖は容赦なく私を襲っていた。むしろ、少なくとも逃げ惑う事が出来たあの夜とは違い、今は身動きもとれず、声も出せない。気を紛らわすすべがない。
怖い。
私は恐怖で固まる自分の体を奮い立たせ、白鳥から視線を外すと下を向き、自分の膝を見つめた。ジーンズ生地の上に紗奈子の手が乗っている。その手の平の側の生地に私の冷や汗がポトリと落ちた。
猿ぐつわ越しに精一杯息を吸い、肺で数秒止めてから吐き出す。
堅く目を閉じ、耳に入ってくる3人の会話も、思考からシャットアウトする。
落ち着け。落ち着け。考えろ。
状況を整理しよう。なぜこんな状況になったのか。
先ほどの白鳥の挨拶と、その後の三人の会話から推測できたことを頭に浮かべ、整理していく。現在の状況を正確に把握するんだ。
まず、私は来るキャンプ場を間違えた。それが始まりだ。
キャンプ場の名前をうろ覚えだったため、ナビの行き先を入れ間違えたのだ。そして着いたこのキャンプ場は、実はとっくに閉業しており、現在は土地の持ち主の白鳥が集団自殺をするための場として提供している、らしい。
次に、私は白鳥の事をキャンプ場の管理人だと思い込んだ。無理もない。キャンプ場の受付にいたのだから。
そして、白鳥は白鳥で、私のことを自殺幇助サイトでやりとりしていた紗奈子だと勘違いした。これも当然だろう。私が「ネットで申し込んだ者なんですけれども・・・・・・」なんて言ったからだ。だからこそ白鳥は「管理人の白鳥です」と名乗ったのだ。救済サイト『Lake』の管理人として。
そして、決定的な勘違いをしたまま、私は呑気に人数の追加を行った。予定にはなかった女友達が夜に来ると。白鳥はそれを聞き、自殺志願者は石田と紗奈子の二人だと思っていたのが、一人増えて三人になると思い込んだ。
もちろん、私が言っていたのは美音の事だ。そしてその美音はいつまで待っても来るわけがない。そもそも私の待っている場所が間違っているのだから。美音は本来の予約していた正しいキャンプ場で待ちぼうけだ。
その代わり、本物の紗奈子が現れた。なぜロッジではなく、直接私の元に訪れたのかだけが謎だが。
白鳥は、紗奈子に自己紹介されて、あ、こっちが相談を受けていた紗奈子か。じゃあ、あのなっちゃんとやらが飛び入りできた方だったのか。と納得したに違いない。どっちでもいいやという感じだったのかもしれない。白鳥からしたら自殺志願者が予定通り三人そろって一安心、これで全員揃ったぞという感じだっただろう。
問題の紗奈子は、白鳥の私に関する話で違和感を覚える箇所もあっただろう。白鳥は私たちを以前からの知り合いだと思っているのに対し、実際は数時間前に始めて出会っただけの関係なのだから。しかし、紗奈子の様子を見るに、特に大きく疑問を感じている様子はなかった。状況が状況だし、会話の細かい言葉尻など意識していないのだろう。もともと小さい事は気にならないタイプという可能性もあるが。
なんなら、私が怖がる素振りを見せたことで紗奈子は親近感を感じたのか、、ことあるごとに私に気遣う言葉をかけたり、背中をさすったりしてくる。端から見れば、まさに長年の友人に見えるだろう。
そうして私は今、逃げることも、弁明することも出来ない状況で、自殺志願者の一人として座らされている。自分で決意したにも関わらず、死の直前に怖くなって土壇場で暴れ出してしまった紗奈子の友人として、だ。
自分が徐々に冷静になってきたのを感じる。そうだ。パニクっても状況が良くなるわけじゃない。自分の現状が把握出来たのなら、あとは冷静に打開する方法を探るだけだ。
私はゆっくりと目を開けた。
「さて、あとはご用意させていただいている睡眠薬を飲んでいただき、練炭に火を付けるだけで、皆様は旅立つ事が出来ます」
白鳥の言葉に、紗奈子が緊張し、つばを飲み込んだのがわかった。置いていた手の平が私の膝をぎゅっと握る。
私も全身に力が入る。くそ。もう始めるのか。
しかし、白鳥は続けた。
「ただ、その前に、一緒に旅立つ皆様同士がお互いのことを何も知らないというのはいかがなものでしょうか。皆様がそれぞれどのような苦しみを味わい、どうして旅立つことになったのかを共有する時間をとりましょう」
集団カウンセリングのまねごとがしたいのか? くだらないが、いいぞ。悪くない。時間が稼げるのならこの際何でもいい。
だが、私の希望を潰すかのように反論が出た。
「んなもん、いらねえよ。申し込みの時に大体話しただろ。さっさと始めよう」
赤ら顔の石田が吐き捨てるように言う。それに対し、白鳥は冷静に切り返した。
「僕は、石田さんのお話の概要しかお聞きしていませんし、紗奈子さんとなっちゃんさんに関しては全く知りません。また、僕はあくまで送り出す側です。僕が知っていても意味がないのです」
「別に知る必要ないだろ」
「いいえ」
白鳥がきっぱりとはねのける。
「僕は、皆様が一人で旅立たなかったことに意味を感じてほしいのです。僕はこれまで、何組も送り出してきました。皆さん、ここに集まって初めは人生に絶望して孤独な目をしていらっしゃいます。しかし、メンバーと言葉を交わし、自分の苦しみを吐き出し、また、相手の苦しみを受け取り、皆で分かち合うことで、苦しんでいたのは自分だけではないと知ることが出来るのです。そうして旅立っていった皆さんは、皆、とても満ち足りた目をして、最後を迎えていました」
白鳥は自分の言葉に感じ入るように、両の拳を握った。
「自分一人で死ななくて良かった。この湖に来て、みんなに出会えて良かった。皆様にもそう思っていただきたいのです」
何言ってんだこいつ。
色々と突っ込みたいところだったが、隣の紗奈子はふうっと息を吐き、私の膝を握りしめていた手の力をゆるめた。
お、感銘を受けてらっしゃる。
対して、石田はそうでもないようだった。
「くだらねえ」
石田が鼻で笑うように言うと、白鳥は座ったまま、身を乗り出した。
「僕の会では皆さんにしていただいています。石田さんもお願いします」
「なんで俺がそんな・・・・・・」
「石田さん」
白鳥は口調も変えず、声色も変えず、ただ、まっすぐ石田の目を見て言った。
「お願いします」
石田は何か言い返そうと口を開きかけたが、白鳥の目を数秒見つめ、すっと視線をそらした。
「・・・・・・わかったよ」
白鳥が「ありがとうございます」と笑顔になる。
「では、皆さんにお話をお願いするにあたって、まずはこの会の進行役として、僕からお話をさせていただきます。僕は旅立ちのメンバーではありませんが、僕がこの会を行っているきっかけや理由をお話することで、皆様の旅路をよりよいものになればと思います」
そう言って、白鳥は話し始めた。爽やかな笑顔で、まるで天気の話でもするかのように。




