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キャンプをしたいだけなのに【2巻発売中】  作者: 夏人
第7章 人は誰にもなり得ない
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【第7章】 廃村キャンプ編 54 人は誰にもなり得ない


 54 人は誰にもなり得ない


「仮に、仮にだよ」

 秋人は上着のポケットに右手を突っ込むと、静かに微笑んだ。

「もし、僕がストローマンだとしても、証拠なんか無いよね」

 私はゴクリと唾を飲み込んだ。

 穏やかに笑みを浮かべる男、日暮秋人。

 彼の持っている雰囲気が明らかに変わったからだ。

「さっきからナツ姉が並べた話は、どれもすごく曖昧だ。ブログの話ぐらいじゃないかな。正確に立件できるのは。まあ、それ単体じゃ特に意味は無いと思うけど」

 その通りだ。

 私は秋人の涼しい顔を睨み付ける。

 私は確信を持っている。だが、それは大部分が直感によるものだ。必死に集めた根拠は微弱すぎて全て証拠と言えない。一つ一つが弱くても束にすればとは思ったが、どうしようもなかった。これでは警察だって動きようがない。

 この国の法制度は「疑わしい」で国民を裁くことはできないのだから。

 だが、一手だけ。

 一手だけ、それを覆す効力を持つ力業がある。

 自供だ。

 秋人自身が罪を認めれば証拠も何も必要ない。罪は確定する。

 秋人から、自供を引きずり出す。


 私は、おもむろにポケットからある物を取り出した。

 秋人が怪訝そうに私の手の中のものを見つめ、そして目を見開く。

「これね。ひまわりから借りてきたの。憶えてる? ひまわり、胸にいつも巾着のお守り袋下げてたでしょ。あの中に入れて持ち歩いてたの」

 私は、自分のチェアの側に設置したサイドテーブルに、それをカタリと置いた。

 ひまわりにとって、唯一の陽向の形見。

 古びて、色が剥げかけた、赤いアイポッド。

「これ、録音機能もついてたそうなの。陽向さん、たくさん録音を残してたわ」

 秋人の顔から笑みが消えていた。

「・・・・・・どんな?」

 私はゆっくりとアイポッドを操作する。

「ひまわりが言うには、陽向さんが残した録音はどれも他愛のないものばっかり。でも、きっと彼女が残したいと思ったものばかり」

 私はある録音データを選択する。

「ひまわりはこの会話を、他愛のない話だと思ったみたい。陽向さんが女友達と、ただの遊びの約束をしているだけだと」

 私は小首を傾げ、秋人を見た。

「聞いてみる?」

 秋人は瞳を揺らしてしばらく黙った後、ゆっくりと頷いた。

 私は再生ボタンを押した。

 スピーカーモードで音声が流れ出す。


『陽向、料理できないじゃん』


 秋人が息を飲む。

 流れ出た声は随分と音程が高かった。ひまわりが女友達の声だと思ったのも無理はない。

 だが、私にはわかった。

 これは声変わりする前の、ある少年の声だ。

『あんたがするの』

『ええ・・・・・・』

『ね! 絶対楽しいから!』

 少年と少女が親しげに会話をしている。まるで家族のように。

『ちゃんと言って!』

『え、なに』

『私とキャンプに行くってちゃんと言いなさい』

『はあ?』

『・・・・・・わかった。陽向とキャンプに行く』

『違う。ひな姉!』

『調子のるな』

『ちぇっ』

『まあ、いいや。約束したからね。絶対だからね。もう言い逃れできないからね』

『絶対だよ』


 そこで、録音は終わる。


 秋人は再生が終わった後も、じっとアイポッドを見つめていた。

「あ、あいつ・・・・・・」

 秋人が呆然と呟く。

「こんなの、録ってたんだ・・・・・・言質のつもりかよ」

 小馬鹿にしたようにふっと笑う。

「馬鹿だなあ」

 その両の瞳から涙がこぼれ落ちる。頬を伝い、顎をにたまり、膝に落ちていく。

 秋人は左手でその目を覆った。その手の隙間からも涙は流れ続ける。笑みを浮かべていた口がへの時に曲がる。

「本当に・・・・・・馬鹿だよひな姉」

 私は、秋人に問うた。

「この女の子は、陽向さんね」

 秋人は頷く。

「もう一人は、あなたね」

 秋人は頷く。

「あなたは、この約束を守りたかった」

 秋人は、頷く。

 秋人がキャンプの約束をしていたのは、私ではなかった。陽向だ。

 秋人は、私を陽向と同一視していた。だって。

「私が、私が死んだ人を、降霊ができるなんて、言ったから」

 秋人が呻くような泣き声を上げた。

「陽向さんの霊を見つければ、私が彼女の霊を降ろせば」

 私の鼻の奥がつんと痛む。

「い、一緒に、キャンプをできると、思ったの?」

 秋人は泣きじゃくりながら頷いた。何度も、何度も。

 好きだった子と、大事だった子と、大切だった子と。約束したキャンプがしたい。

 ただ、それだけのために、こいつは。

「馬鹿ね・・・・・・」

 私の目頭も何故か熱くなる。

 あんたの方がよっぽど馬鹿よ。

 人は誰にもなり得ない。

「私が、私以外になれるわけ、ないじゃない」

 秋人は「うん。うん」と何度も頷く。

「わかっでた。わかっでだんだ。でも、でも」

 私は、一瞬秋人から顔をそらした。目を瞑り、息を整える。

 そして、向き直る。決意を込めて。

「・・・・・・あなたは、陽向さんの。ひな姉の、敵を討とうとした」

 秋人は顔を覆ったまま、頷く。

「だから、違法薬物に関わる人たちを片っ端から襲った」

 秋人は「うん。うん」と頷く。

「・・・・・・もう一度、聞くわ」

 私は震えそうになる声色を必死に押さえ、絞り出すように問うた。

「あなたが、ストローマンね」

 たった一人で、十年間。

 一人の少女のために、十年間。裏の世界と孤独に戦い続けた男。

 藁人形と呼ばれた男。日暮秋人は、嗚咽を漏らしながら、ゆっくりと頷いた。




 どれほどの時間が経っただろうか。

 秋人は背もたれに体重をかけ、空を仰いだ。まるで風に涙を乾かすように。

「ねえ。ナツ姉」

「何?」

 秋人は空を見上げたまま、軽い口調で言った。

「見逃してくれない?」

 私は、黙った。

「拓也くんにさ、薬物売買の顧客データ、お土産がてらにもらったんだ。卯月梅の後釜も、どうせすぐに『組織』は据えてくる。僕、まだまだやることがあるんだ」

 秋人は繰り返した。

「ねえ。見逃してよ。ナツ姉」

 秋人の見上げる空には、まるで硝煙のような薄い雲がかかっていた。

 私は言った。

「だめよ」

「なんで」

 私は、チラリと陽向のアイポッドを見つめ、そして言った。

「私は、ナツ姉だから」

 秋人は空を見上げたまま、目を瞑った。

「弟の馬鹿を止めるのは、姉の仕事でしょ」

 上を向いた秋人の目尻から、また一筋、涙が伝った。




「日暮秋人」

 背後からの声に、秋人は目を開いた。

 火起こしをしていた男性がこちらに歩いてくる。

 秋人がその顔を見て呟く。

「桜田刑事・・・・・・」

 そして、秋人は気がつく。

 新品同然のテントを設営をしていたカップルが。

 珈琲をたしなんでいた男性が。

 調理を楽しんでいた中年夫婦が。

 皆、立ち上がり、近づいてくる。

 秋人は呟いた。

「道理で。なにかおかしいと思った」

 そして「そっか。わかった」と納得したように笑う。

「子供の声がしなかったんだ」

 そりゃそうだ。みんな警察だったんだから。

 秋人は私を見つめ、微笑んだ。

「流石だよ。ナツ姉。あんな脆弱な証拠ばっかりだったのに。これだけの警察を動かすなんて」

 私は肩をすくめた。別に頼んだわけではない。今日の予定を桜田に伝え、協力を仰いだら、全力で止められた。そんな不確定な根拠では警察は動けないと。

「あ、じゃあ、一人でやります」と言ったらいつの間にかこんなことになっていたのだ。桜田刑事が駆け回ってくれたに違いない。ほんとすみません。

「立て。日暮」

 桜田刑事が声を張る。その手にはリボルバー拳銃が構えられていた。

 秋人はゆっくりと立ち上がる。

「ポケットから、右手を出せ!」

 秋人がポケットから、ゆっくりと右手を出す。

 その手には黒い拳銃が握られていた。

 あの屋敷で見たのと同じ形状。

 ブローニングハイパワー。9ミリ自動拳銃。

「地面に捨てろお!」

 ぼとりと、拳銃が芝生に落ちる。

 私の耳に嵌められたワイヤレスイヤホンに指示が流れる。

『斉藤さん。お手柄でした。危険ですのでそのまま下がってください』

 私はキャンプチェアから立ち上がった。

「ナツ姉。待って」

 秋人が私に振り向く。

『斉藤さん。気にせず下がってください』

 秋人はいたずらっぽい笑顔を浮かべた。そして言った。

「じゃないと、死んじゃうよ?」

 桜田刑事が叫ぶ。

「日暮! 動くなあ!」

「撃ってもいいんですよ。別に。その場合、ナツ姉が死にますけど」

 いつの間にか、秋人の左手が、首元のオレンジのストラップを握っていた。

 秋人がゆっくりとダッフルコートのチャックを降ろしていく。

 場がどよめき、全員が拳銃を構える。桜田刑事が「日暮い!」と怒声を上げる。

 秋人の胸には、トイレットペーパーの芯ほどの大きさの四本のパイプが横並び貼り付けてあった。その四本のパイプからは、それぞれ配線が伸びており、その合流地点に、オレンジのストラップが繋がっている。

「これが僕のお守り。操作は簡単。この紐を引くだけ」

 秋人はお気に入りのキャンプギアを説明するかのような楽しげな口調で言った。

「半径、三メートルってとこかな」

 秋人は堂々と拳銃を拾い上げると、私に、にっこりと笑った。

「ナツ姉。ちょっとドライブ、つきあってよ」





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