【第7章】 廃村キャンプ編 49 理解できない
49 理解できない
卯月梅が目を覚ましたのは、ほこりっぽい床の上だった。
口の中に泥水の味が蘇り、ゴホゴホとむせながら口内に残っていた砂利を吐き出す。
「ああ。お目覚めですか。お嬢さん」
そのしわがれ声に梅は顔を上げる。
古びた床の上に椅子を置き、白髪のオールバックの老人が片方だけやけに小さい目をさらに細めてにやつき顔で据わっていた。
何でも屋のジジイ。
その隣に控えるようにして、身長180センチは超えようという長身で細身の女が立っていた。首筋に派手なタトゥーがのぞく。
「ウメさん。お久しぶりッス」
女はおどけた仕草で梅に敬礼をした。
「冬子」
一軍、最強の女。
梅は喜び勇んだ。援軍だ。一軍だ。ようやく来たんだ。こいつらがいればもうあんな奴ら敵じゃない。全員・・・・・・
そこで気がついた。
老人と冬子の背後にある汚らしいガラスから、橙の斜陽が差し込んで、室内をオレンジに染めている。
え? 夕方?
梅の視線に気づいたのだろう。冬子が「教えてあげなきゃ」とでも言うように善意の笑みを浮かべた。
「ウメさん。もう、終わったっすよ。ウメさんのキャンプ場は、もう、ほとんど残骸ッスけど、警察の捜査が入ってます。すごい量のパトカーでしたよ。残ってたドラッグとか。大麻とかも全部回収されちゃったみたいッス」
理解が追いつかない梅に、冬子はにっこり笑みを送った。
「あれッスね。大失態ッスね」
梅は放心しながら、室内を見渡した。何人か見知った顔がいる。どれもジジイが誇る一軍の兵隊ばかりだ。
「お嬢さん。あなたのスカウトは、私にとって実に良い仕事になりました。警察に『組織』の犬は何匹もいますが、あなたほど倫理観がふっとんだ人はそういない。『組織』の方々もあなたを高く高く評価されていました。将来は『組織』の幹部だって狙えたかもしれません」
唄うようにサラサラと言葉を並べた老人は、そこで言葉を切って不敵に笑った。
「ですが残念。あなたは失脚なされた」
失脚?
「あなたはストローマンなどと作り話をでっち上げて、『組織』のドラッグルートを壊滅させた。そして、あろうことか、『組織』直轄の私の会社の兵隊を呼び込んで、勝手に抗争を起し、このキャンピング場をこれ以上無いほどに公にした」
「ちょ、何言ってるの」
老人の意味のわからない言いがかりに、梅は身体を起そうとした。
だが、出来ない。
後ろ手で縛られている。
「しかも、調べたところ、なんてことでしょう。あなたは膨大な量の商品を海外グループに横流しにしていたではありませんか」
「し、してない! そんなことしてるわけないでしょう!」
老人は無視する。
「いやあ。一体いくつの背信行為があることやら。満貫を超えて跳ね満、いやもう役満ですな。あ、失礼。昨日から麻雀をして時間を潰していたもので」
そう言って振り向いた老人の目線の先には、古びた室内に似つかわしくない真新しい麻雀卓が置かれていた。
梅はそこで気がつく。この屋敷、まさか。
「ええ。そうですよ。キャンプ場の外側にある、リノベーションされていない廃墟です。一昨日からずっと待機しておりまして。もう、暇で暇で」
「一昨日!?」
梅は驚愕した。
「あんた達、ずっとここにいたの!?」
「ええ。事の顛末を見守っておりました」
冬子が口をはさむ。
「あの窓、曇ってて超見えにくかったッス」
周りの男の一人が笑う。
「冬子さん、いきなりガラスに手形つけるから焦りましたよ」
「推しのワイチューバーがいたので、興奮して思わず触っちゃいました」
「一眼レフで撮られたかと思ってビビりましたよ。運良く、その後、カメラほっぽってくれたので、こっそりフィルムは回収出来ましたけど」
「お世話になったッス」
彼らのお気楽な会話を聞きながら、梅は開いた口が塞がらなかった。
一軍は、最初から、この廃村に潜んでいたというのか。
「な、何でよ! じゃあ、加勢しなさいよ! あんた達さえいれば」
「それは」
老人はにやりと笑った。
「依頼内容に入っていませんでしたのでね」
梅は数十秒かけてその言葉の意味を考え、震える声で老人に問うた。
「依頼主は、だれ?」
老人は笑みを返すだけだった。
「私を嵌めようとした奴は、誰だって聞いてんのよおお!」
梅は床の上で身を捻りながら咆哮した。
「答えろお! タシロォオオおお!」
片目が潰れた老人、田代は答えなかった。にやにやと笑みを浮かべたままだ。
ガチャリ。
背後からドアが開き、誰かが入ってきた。
「いやー。きつかったー。早くシャワー浴びたい」
そう言いながら歩いてきた男に、周りの兵隊がねぎらいの声をかける。
「すごいっすね。ウェットスーツ着たとはいえ、よくあの濁流から何人も」
「まあ、下流の方はさほどでもなかったすよ。意識ある奴には浮き輪投げただけだし。この女に関しては、足首にロープついてたんで、それ引っ張ったら楽でした」
田代が笑みを浮かべる。
「そうはいっても大したものだ。すみませんねえ。お嬢さんはともかく、うちの二軍の馬鹿共まで助けてくださったようで」
ドレッドヘアの男はまんざらでもないように「お安いご用っすよ」とにやついた。
「俺、なんだかんだ、水泳部の元エースなんで」
梅は瞠目しながら、呟いた。
「拓也・・・・・・あんた、生きてたの」
拓也は「あ、はい」と頷く。
「ただ、血糊の上でぶっ倒れてただけです」
「な、なんで、そんな」
「それは・・・・・・」
面倒臭そうに答えようとした拓也を、一人の女の声が遮った。
「卯月梅。あなた自身に、兵隊達に依頼してほしかったからよ」
拓也と一緒に入ってきた女はそう言って梅の目の前に膝をしゃがみ込んだ。膝に顎を乗せ、梅を見下ろす。
「あなたが、自分で、キャンプ場を終わらせるのが大事だったから」
梅は呆然と呟いた。
「・・・・・・姫宮」
姫宮ありさは淡々と続けた。
「本当は、もっと単純な筋書きだったはずなの。『組織』の幹部に会えると思ったあなたが、のこのここのキャンプ場にやって来る。そこで、拓也の死体を見て、私の証言を聞いて、事態の緊急性を認知。危機管理マニュアルにそって、村を焼いて隠滅するために兵達を呼ぶ。そしたら冬子達一軍が来て、村を焼く」
そこで姫宮は手をパンと叩いた。
「しかし、なんということでしょう! その後、あなたが大量の商品を海外グループに横流しにしていたことが発覚。しかも、キャンプ場内からは噂の手製爆弾まで発見されてしまいました。『組織』は思います。そうか。ストローマンは、卯月梅の自作自演だったのかああと」
梅は理解が追いつかず、何の反応も返せなかった。
「ただでさえ、自ら薬物ルートを完全に破壊したあなたは、海外グループに組みする裏切り者と判断され、『組織』に無事、粛正されましたとさ。めでたしめでたし」
「ていう、簡単な話のはずだったんだけど」そこで姫宮は声のトーンを落とした。
「あの婆さんの乱入のお陰で、場が乱れに乱れたわ。必要以上に警戒しちゃったあなたには手錠で繋がれるし。あんた、もし事態がもみ消せなくなりそうだったら、私に全て罪をなすりつけるつもりだったんでしょ。流石というかなんというか」
「肩も撃たれるしな」と拓也が軽口を叩いたが、姫宮の視線を受けて慌てて口を噤む。
姫宮はその鋭い視線を、今度は田代老人に向けた。
「何より。田代。あんたよ」
「うん?」と田代は白々しい顔で小首を傾げた。
「なんで、あんた達一軍が来なかったの。打ち合わせと違うじゃない。あんな事情を知らない二軍を放り込まれたせいで、わけわかんなくなったじゃない!」
田代老人はまるで今、思い出したかのように「ああ。すまんすまん」と笑った。
「あの兵隊達は、下克上を企てとった困りもの共でしてね。どこかで自滅させようと思っていたんですわ。ちょうどいいなと思いましてね」
「そんな内輪もめ、持ち込まないでよ」
「こちらとしても。一軍がいいように使われたとあっては信用が傷つくんでね」
田代はしゃあしゃあと言ってのけた。
「まあ、結局二軍の馬鹿共は全員逮捕。佐藤以外は特に大事な情報は持っていませんから、私としても問題ない。佐藤も警察にしゃべるほどには馬鹿ではない。私らが殺す手間が省けたし、奴らも殺されずにすんでよかったよかった」
田代は愉快そうに笑った。
「こっちが殺されかけたのよ」と姫宮が歯ぎしりした。
「いやいや。我々も万一のことがあってはと、ちゃんとここで待機してたんですよ。いざ危なくなったら出て行こうと」
「どうだか」と姫宮は吐き捨てた。
「どうなっても高見の見物を決め込んでいたくせに」
姫宮はそこで深い溜め息をつき、「それから!」と語気を強めた。
「斉藤ナツと、日暮秋人!」
姫宮は田代に指を突きつけた。
「あの二人を呼び込むなんてマジで聞いてなかったわよ。どういうつもりよ!」
田代老人は手を打って笑った。
「すみませんなあ。あの二人を呼んだのは、また別の込み入った事情が色々ありまして。本当に申し訳ない」
田代老人は憤慨する姫宮に頭を下げ、「まあ、理由を一つだけお教えするなら」と顔を上げた。
「私は昔、警備員のまねごとしたことがありまして。その時にあの娘には痛い目に遭わされたんですわ。肘は折られるわ、脚に弾食らうわ、刑務所ぶちこまれるわ、で散々でした。直接ぶち殺してやりたいとも思ったんですがね。とは言え、昔のことですし。あの娘が関わったのは間接的でしたし。最近、直接この肘をやった奴をしばいてくれたってのも聞きましたんで」
田代は無意識にか、右肘をさすった。
「まあ。今回はお礼がてら、嫌がらせがてら、ご招待したってわけです」
姫宮は「意味がわからない」と田代を睨め付けた。
「いや、この件については、弁解のしようがない」と田代は薄ら笑いで平謝りする。
「どうです。お客さん。お代は前払いでいただいた分のみで。後払いの分はいただきません。これからの高飛びの費用なんかもかさみますでしょ」
「当然よ。前払いも返して欲しいぐらいだわ」
「毎度あり」
「ちょっと!」
あまりに自分を置いてきぼりにして進む会話に、梅はようやく声を上げた。
「さっきからなんなの! 意味がわからない!」
姫宮は梅の存在を思い出したかのように「ああ」と冷めた目を向けた。
「別にいいのよ。理解できなくて」
梅は混乱したままにまくし立てた。
「そもそも、私は海外グループに薬なんか流してない! それに、なんであんたがこんな大がかりなことを田代に依頼できるだけの金を持ってるのよ! 薬も金も私が完全に管理していたはず!」
姫宮は簡潔に答えた。
「薬はあたしが横流したの。その時に得た金で、田代へ依頼した」
梅は首を振った。脂汗が床に落ちる。
「あり得ない。薬の出入りはシステム化して私が完全に管理していたはず。そんな横流しできるような量をくすねられる訳がない」
姫宮は「ええ」と頷いた。
「だから、十年もかかったの」
「は?」
姫宮は梅を見下ろした。
「毎月のようにくれたわよね。最上級のお薬。あなたにしか入手できないはずのお薬」
梅はこの近隣の薬物取引のほぼ全てを掌握していた。ランクの高い薬物なら尚更だ。
逆に言えば、そんな物が出回ったら、それは梅のものでしかありえないと見なされる。
薬さえ与えておけば決して奴隷は裏切らない。
だが、もしその奴隷がその薬を使わず、ため続けていたとしたら。
十年間も?
「あ、ありえない」
梅はうわごとのように呟いた。
「薬物中毒者が、目の前の薬を前にして、耐えるなんて、出来るはずが・・・・・・」
姫宮はまるで地を這う虫を見るような目で、梅を見下ろした。
「『組織』は警察内部にもネットワークを広げてた。あなたは『組織』でかなりの地位を獲得してたし、ただの密告じゃ握りつぶされる可能性があった。あなたを潰すには、『組織』自体に潰してもらうのが一番確実だと思ったの」
「そしたら、十年かかっちゃった」と姫宮は自嘲するように笑った。
「な、なんで・・・・・・」
梅はそれだけ口にした。
姫宮は微笑んだ。
「なんで? ああ。なんでこんな回りくどいことをしたかって?」
違う。そんな事が聞きたいわけではない。だが、姫宮は勝手にしゃべり始める。
「隙を見て単純に殺すことも考えたけど」
姫宮は頬に手を当てる。
「あなたには、しっかり味わって欲しかったの。やってもないない罪を着せられ、孤独に死んでいく苦しみを」
意味がわからなかった。
梅は焦れたように叫んだ。
「私になんの恨みがあるのって聞いてんの!」
それを聞いた瞬間、姫宮は目を見開いた。
そして、すっと表情を失う。
「十数年前、突然あたしに、姉ができました」
姫宮はまるで自動音声のように起伏のない声で語り出した。
「数ヶ月しか歳が違わないくせに、姉は歳上ぶって、色々な世話を焼いてきました。頼みもしないのに、両親に抑圧されるあたしをことあるごとにかばい、両親にあからさまに酷い扱いを受けても、あたしの前ではいつも笑っていました」
姫宮の表情は氷のように冷たかった。
「あたしが髪を染めてみたいと言ったら、一緒に染めると言いました。あたしが茶髪に染めると、姉は金髪にしました。そうすれば、両親はあたしではなく、姉を叱るから」
姫宮の硬い表情は変わらない。その目尻が微かに光る。
「あたしが、出来心で、大麻に手を出してしまったとき、姉は初めてあたしに怒りました。泣きながら怒りました。あんたに薬を売った奴をやっつけてやるとも言っていました。そして、そして」
姫宮は目を瞑った。一筋の涙が頬を伝う。
「その騒ぎを聞きつけて、部屋に入ってきた両親に大麻を見られたとき、姉は『私のだ』と言いました」
姫宮はわずかに声を揺らした、
「姉は、家を追い出されました」
梅はぽかんと口を開けて姫宮を見ていた。
「言ったでしょ。理解できなくたっていい。どうせあなたにはわからない」
姫宮は目もとを拭った。
「あたしは自暴自棄になって余計に薬の深みにはまった。でも、お姉ちゃんを殺したのがあなただってわかった時から、あたしは一切の薬を止めた。薬が目の前にある状態での禁断症状は想像を絶する苦痛だったけど。薬物中毒者に仕立て上げられて死んでいったお姉ちゃんの苦しみに比べればなんてことはなかった」
姫宮は立ち上がった。
「復讐なんて意味がないとか言うけど、あたしには意味があるわ」
姫宮はもう梅を見なかった。すっと背を向ける。
「これで、ようやく、前を向けそう」
曇った窓から差し込む斜陽が消え、室内がすうっと暗くなる。
陽が沈んだ。
田代がパンと手を叩いた。
「さあて。皆さん。暗くなったところで、出発しましょうか。山の裏手に車をご用意してます。正面は警察やらなんやらいますんでね。ちょっときつい夜の山越えになりますが、もうひと頑張りだ」
姫宮が無言で部屋を出る。その後ろに拓也が「山越え? マジかあ。きつー」とぼやきながら続く。
「ちょ、ちょっと! 私は? 私はどうなるの!?」
梅は縛られた身体をうねらせながら叫ぶ。
田代が梅を見下ろす。
「『組織』から正式に依頼が来ましてね。連れてこいと言うことです。生きたまま連れてこいと」
田代はにっこりと微笑んだ。
「今から、お連れしますね」
梅はその意味を理解した。裏切り者と認定された自分が、「組織」に引き渡される。その意味を。
ほんの数分前の姫宮の言葉が頭をよぎる。
『あなたには、しっかり味わって欲しかったの。やってもないない罪を着せられ、孤独に死んでいく苦しみを』
梅は呟いた。
「ふざけんな」
梅の口から最後に出たのは、懇願でも、命乞いでもなかった。もちろん、謝罪でもない。
「ふざけんなあああ!」
田代が面倒臭そうに部下に指示を出す。
「おい。こいつ眠らせろ。冬子。こいつ担げ。」
「はーい」
兵隊達が注射器をもって近づいてくる。
「ふざけんじゃねえええ!」
梅は叫んだ。叫び続けた。
「私はお前らなんかと違うんだ!」
髪を掴まれ、頭を上げられ、首筋を晒される。
「私は上に立つ人間なの! なんで、なんで!」
注射針が静脈に刺さる。
「なんでガキひとり殺したぐらいで・・・・・・」
梅の叫びは、そこで途絶えた。




