【第7章】 廃村キャンプ編 45 誰がために
45 誰がために
ひまわりは撃たれた左の二の腕をぎゅっと握った。どす黒い血が押し出されるが、鼓動で波打ってはいない。静脈か。
ひまわりはモンペの裾をビリリとちぎると、二の腕に巻き付け、力の限り締め付けた。これで死にはせんだろう。
よっこらせと立ち上がる。
卯月梅が燃え上がる荒れ地を挟んで佇んでいた。さっき遠目から一発撃っていた。それからは新たに撃ってこない。ひまわりの二の腕に命中した始めの一発を含めると、梅はすでに二発撃っている。ここまでにも撃っているかもしれない。いずれにせよ、残りの弾数は少ないに違いない。
ひまわりは逃げる気は無かった。落ち着いた足取りで、炎上するススキの林を迂回する。
梅は小首を傾げる。わざわざ近づいてくる敵を不思議に思っているのだろう。だが、発砲はしてこなかった。やはり残弾が心許ないのだろう。煙の量も相当だ。狙いもつけづらいに違いない。
ひまわりはやがて、林を迂回し終わり、梅の正面に立った。
二人の距離は十メートルほど。左の燃えさかる草むらからは火の粉が舞い、右には今にも溢れ出しそうな水路があり、水しぶきが肩を濡らした。
やれやれ。まるで地獄のようじゃ。
そこでひまわりはふっと笑った。地獄ならとうに経験済みだ。
梅が、リボルバーをひまわりの眉間に向ける。
「なに? あきらめたの?」
ひまわりは黙って肩をすくめた。
その仕草が馬鹿にされたのを感じたのだろうか。梅が顔をしかめる。だが、すぐに気を取り直したように笑みを浮かべた。
「折角、復讐のために舞い戻ったっていうのに、悲しいわね。私は死なない。あんたは死ぬ。私の勝ちよ」
梅は嬉しそうに頬を緩めた。
「私の方がやっぱり上だった」
ひまわりは梅を見ながら考えていた。
なぜ、この女はここまで勝敗にこだわるのだろうと。なぜ上下関係に拘るのだろうと。
今もそうだ。折角水路を脱したのだから、こっそり逃げればいいものを、わざわざこっちに発砲して、邪魔をしようとしてきた。
自分以外が助かるのが許せない。
自分以外が成功するのが認められない。
自分以外が幸せになるのが我慢できない。
自分が一番でないと気が済まない。
「比べられてきたんじゃな」
ひまわりはぼそりと呟いた。
「はあ?」
梅が半笑いで首を傾げる。
「誰と比べられてきた。松江か」
すっと梅の笑みが引いた。
「誰に比べられてきた。父親か」
ひまわりは悲哀を込めて梅を見つめた。
「かわいそうにのう」
誰かに勝たないと褒めてもらえなかったのか。
一番にならないと、頭を撫でてもらえんかったか。
無条件に、無償で、なんの見返りもなく。
「大好きじゃと、言ってもらえんかったんじゃな」
銃声が鳴り響いた。
ひまわりの右のふとももに激痛が走り、その場に背中から倒れ込む。
「ごちゃごちゃ言ってんじゃないわよおお!」
梅が叫んだ。歯をむき出しにし、肩を怒らせて。
「私は勝ったの! 私が上なの! あんな女となんか、比べるまでもない!」
賢明に若作りした顔を歪め、髪を振り乱し、卯月梅は咆哮した。
「あんな馬鹿な子を連れて、こんなくそ田舎にやってきて、惨めに死んだ女なんかと一緒にすんじゃないわよ!」
ひまわりは地面にその身を横たえたまま、燃えさかる村を見つめた。閉鎖的で、不便で、何もない村。
松江の声が耳の奥で響いた。
『私も、陽向も、ここが、本当に大好きなので』
ひまわりは身を起し、梅を見上げた。
「ああ。そうじゃな。一緒にするな」
梅が目を剥く。
「ああ?」
こいつにはきっとわからんじゃろう。何を言っても、何があっても理解など、出来ないのじゃろう。
「お前ごときと、一緒にするな」
それでも、言ってやらねばならん。
「お前が見下しておった松江はな、自分の人生にしっかり向き合っておった。誰のせいにもせず、何の言い訳もせず。ただ、毎日を正しく生きておった」
一緒にするな。
ずっと娘のように思っていた、松江を、自慢の娘を、お前なんかと一緒にするな。
ひまわりは言った。思い出すように。
「お前が馬鹿にした陽向は、確かに馬鹿じゃ。身勝手で、わがままで、一人で突っ走って、どうしようもない奴じゃ」
ひまわりは言った。ずっと思っていたことを。でも、一度も本人には言えなかったことを。言いたかったことを。
「だがな、強い子じゃった」
言ってあげたかった。もっと褒めて、頭を撫でて、伝えてやりたかった。
「どんな場所でも自分を失わない子じゃった。いつでもまっすぐ相手にぶつかっていける強い子じゃった。どんなに辛くても、どんなに寂しくても、誰かのために笑える子じゃった。誰だって笑顔に変える、そんな子じゃった」
まるで、太陽のような。
夏の日。松江と陽向が一緒に住むことになった、あの夏。
『ひまわり!』
十歳の陽向が駆けてくる。ひまわりのモンペに抱きつく。
『じゃあ、じゃあ! 私がお姉ちゃんね! ひまわりは妹!』
艶やかな黒髪を汗で頬に貼り付けながら、ひまわりを見上げる。
『だから、だからね』
陽向がにっこりと笑う。
『ずっと、いっしょね』
ひまわりは叫んだ。
「儂の大好きなお姉ちゃんを! お前なんかと一緒にするなああああ!」
梅が銃を構え直した。
銃口がひまわりの眉間にまっすぐ向けられる。
それでもひまわりは梅を真っ正面から睨み続けた。松江を殺した女の顔を。陽向を殺した畜生の顔を。
その顔が、突如、白く照らし出された。
パパパパパパパパ!
梅が突然のストロボ攻撃に、目をつぶって身をよじる。
「ひまわり!」
梅とひまわりの間に、ナツが飛び込んできた。迷彩色のマントの一部に火がつき、炎を纏っているようだった。
この娘、燃えとる草むらを突っ切って来たのか。
片手で銃型のライトを梅に向けながら、もう片方の手でひまわりに何かを投げる。
宙を舞う、その細長い得物をひまわりは地面に滑り込むようにキャッチした。
「絶対当てろ!」
梅が片手で目を覆いながらナツの動きをリボルバーで追う。目くらましをしているにしても、距離が近すぎる。数秒後には動きを捉えられる。ナツは撃たれる。
その数秒で十分だった。
「もう、外さんよ」
ひまわりが放った弾丸が、まるで吸い込まれるように、梅の胸に叩き込まれた。




