【第7章】 廃村キャンプ編 44 最終ラウンド
【注意】
本話44話から48にかけて、津波・洪水を連想させる描写があります。
不安やご負担を感じる可能性のある方は、無理のない範囲でご覧ください。
44 最終ラウンド
「乗れ!」
梅は叫ぶと同時にスライドドアからキャンピングカーに飛び込んだ。
男達が悲鳴を上げてドタバタと音を立てて後に続く。
金髪はその場に捨て置かれ、水たまりの上で身をよじって喚いていたが、誰一人彼に構うことはなかった。
運転席に飛び込んだロン毛が叫んだ。
「くそ! まただ! 動かねええ!」
梅と男達が背後で怒号を上げる。
ロン毛が涙目で手を小刻みに揺らしている。鍵を何度も捻っているのだろう。
しかし、エンジンがかかることはない。
濁音は確実に近づいてきていた。
梅の判断は早かった。
一人、キャンピングカーを飛び降りると、下流に向けて脱兎のごとく走り出した。次にニット帽、ひげ面、坊主頭が車を見限って、一目散に走り出す。
そんな中、狂ったように鍵を捻り回しつづけるロン毛は、自分の周りに誰もいなくなっているのに一向に気がつかない。アクセルをガンガンと蹴りつけながら、半泣きで叫んだ。
「何なんだよっ!このくそ車があああ!」
その側頭部を、私は、運転席を開け放ち飛び乗ると同時に殴りつけた。クリーンヒット。脳が揺れたのだろう。ロン毛は声もなく白目を剥くと、反対側に崩れ落ちる。
「秋人! こいつお願い! そのあと運転!」
全員が一気に行動を開始する。
私は一旦、運転席を飛び降り、開きっぱなしにされたスライドドアから、運ばれてきた眼鏡くんとスカジャン佐藤を放り込む。物のついでで、泣き叫んでいる金髪も、ひまわりと二人で持ち上げて車内に放り込んだ。
その間に、秋人が運転席。姫宮が助手席に乗り込んだ。私とひまわりも急いで車内に転がり込む。スライドドアが自動で閉まった。即座にエンジンがかかる。
「バックするよ!」
秋人が叫ぶ。下流に向かって後ろ向きのままで逃げようという判断だろう。Uターンする幅がない以上、賢明な判断である。だが、私は叫んだ。
「違う! 前!」
秋人が「前!?」と驚きの表情で振り向く。当然だ。濁流が迫ってくる方向に進めと言われたのだから。
しかし、私は言い切った。
「前よ。上流に向かって走って」
秋人の目を見つめる。
「私を信じて」
秋人は即座にアクセルを踏んだ。
白み始める空の下。狭い水路をキャンピングカーが猛然と走り出す。先ほど自分たちが使ったハシゴが見えたかと思うと、一瞬で通り越していった。煌々と光るヘッドライトがタイヤでまき散らされる土砂や弾け飛ぶ小石を照らし出す。
その遥か前方から、高さ二メートルはあるかという茶色い壁が迫り来るのが見えた。
「来た!」
土砂が大量に混ざった泥流。
両側の壁を舐めるように擦り、石を巻き込み、折れた枝やごみを引き連れて、一瞬にして全てを飲み込んでいく。まるで怒り狂った生き物のようだった。あんなものを正面から食らったら、このキャンピングカーなどひとたまりもない。
しかし、キャンピングカーは走り続ける。加速度的に両者の距離が縮まっていく。
私は運転席の背もたれに掴まり、フロントガラスを睨み付けた。タイミングを計る。
「ぶつかる!」
秋人がハンドルを握りしめ叫んだ。
助手席で姫宮が悲鳴を上げた。
今だ。
私は秋人の耳元で叫んだ。
「左!」
秋人がハンドルを思いっきり左に切る。中州の内側。キャンプ場の方向。
直後、キャンピングカーの前輪が段差を上った。
この水路で唯一、幅の広い段差が連ねられている場所。かつて、村人達が洗濯のために集まった階段。私と秋人がひまわりに引き上げてもらったあの場所。
その階段を、キャンピングカーが駆け上がった。水路を脇に逸れ、キャンプ場内の地上を目指す。
よし。いける。この勢いなら、登り切れる。
そう思った瞬間、キャンピングカーの後部に衝撃が走った。
濁流が激突したのだ。
階段を中腹まで登っていたキャンピングカーが大きく揺らぐ。後輪が怒濤に飲み込まれたのだろう。次の段差に乗り上げ損ねた前輪が空回りした。
まずい。流される。
「カンナ! 開けて!」
私は背もたれから手を離すとスライドドアに突進した。ひまわりも阿吽の呼吸で反対側のスライドドアに向かう。即座にドアが開き、私とひまわりは同時に車の両側。階段の上に飛び降りた。
「ナツ姉!?」
「アクセルを踏み続けて!」
私はキャンピングカーの側面に張り付くと、渾身の力で車体を押した。キャンピングカーが一瞬持ち直し、前輪が段差に乗り直した。
後輪が泥流の中でぎゃりぎゃりと回転する。
カンナ。頑張って。
瞬間、私の後ろ足がガッと弾かれ、体勢を崩す。濁流の一部に触れたのだ。ほんの足先が掠っただけで、全身を持って行かれそうになる。慌てて、一歩進むことで転倒を回避するが、危機一髪だった。水かさが凄まじい勢いで増していく。この階段が全て飲み込まれるまでもう猶予がない。
キャンピングカーのエンジンが唸る。
「あああああ!」
反対側で老婆が車体を押しながら叫ぶ。
私も叫んだ。
「ここまで来て! 死んでたまるかああああ!」
卯月梅は全力で水路を駆け抜けた。
背後から地獄の咆哮のような轟音が響いてくる。濁流の壁がすぐ側まで来ているのだ。
背後で兵隊達が喚いている。ふり返る暇などなかった。
確か、ここら辺のはず。
梅は目を皿のようにして水路の壁を睨め付ける。
あった。
水路の先に垂れ下がるロープが見えた。
ロープは水路に沿って生えていた木の根元に繋がれている。ぶらんと垂れ下がったそれは実際には本物のロープではなく、ニット帽とひげ面の上着を脱がせて結んで繋ぎ合わせた即興の代物だ。水路に降りる際に補助ロープとして使ったのだ。
あれにつかまってよじ登れば、助かる。
そう梅が安堵した瞬間だった。
ニット帽が梅を追い抜いた。
「ちょっと! 私が先よ!」
ニット帽は何も答えない。無言で、凄まじい速度で突っ走り、勢いよくロープに掴まった。両手で必死につなげられた上着を引っ張り、壁を蹴り、その身を引き上げようとする。
轟音はすぐ背後に迫っていた。順番待ちをしているひまはない。
梅は右手に持ったリボルバーをニット帽に向け、迷いなく引き金を引いた。
銃声と共に発射された弾は右の二の腕に命中し、ニット帽は悲鳴を上げてその場に落下する。梅はリボルバーを胸のホルスターに戻すと、水路の床で悶える男に見向きもしないで、両手でロープに掴まった。
必死に壁を蹴り、よじ登る。あと少しだ。
その時、ギシリとロープが軋んだ。何事かと見下ろすと、梅のすぐ後ろでひげ面がロープの先にしがみついていた。
何考えてる。重さでちぎれたらどうするんだ。
「馬鹿! 離しなさい!」
ひげ面が唾液をまき散らせながら「ふざけんな!」と叫び返すのと、梅がリボルバーを抜いたのはほぼ同時だった。予想していたのだろう。ひげ面が負けじと片手でトカレフを腰から抜く。
だが、両者が発砲することはなかった。その必要すら無かった。
ひげ面の男は直撃した濁流に一瞬で持って行かれた。床で呻いていたニット帽も当然のように飲み込まれる。
梅の足首にも濁流が直撃し、梅の全身が振り子のように揺らいだ。両足が投げ出され、梅は両手の力だけでロープにしがみつく。
背後で怒濤に押し流される坊主頭の悲鳴が聞こえる。
梅の掴まっているわずかに上の部分。即興ロープのジャケットの生地が、ビリリと嫌な音を立てて裂け始めた。
こんな、こんなところで。
梅は水しぶきを頬に受けながら叫んだ。
「死んでたまるかあああああ!」
ガコン!
キャンピングカーが大きく揺れ、バランスを崩した私はたまらず手を離して、階段に両手をつく。
ガダダダダダ!
キャンピングカーが一気に階段を駆け登った。
「走って!」
私とひまわりはキャンピングカーを追って猛然と階段を駆け上がった。背後でついさっきまで自分たちがいた段が濁流に飲まれるのを背中で感じる。だがもうふり返る余裕もなかった。
階段を上り終えたところで、秋人が車を停車させようとしている雰囲気を察知し、「止まるな!」と叫ぶ。
あらかじめのひまわりの話では、堰堤を爆破すれば、せき止められていた水が崩れ落ちた壁の隙間から一気に流れ出すだろうと言うことだった。その予想は当たった。そして、ひまわりはこうも言った。
堰堤の壁が完全に崩れ落ちたら、水路だけでは水かさを支えきれない。いずれ、水路は溢れ、氾濫し、この中州の形状である村全体の表層全てが、押し流されるだろう、と。
背後の轟音は明らかに勢いを増している。ひまわりの予想が当たろうとしているのだ。
この廃村は、押し流される。
キャンプ場を出ない限り、安全地帯はない。
そして、水路が溢れると言うことは、唯一の出口の橋が押し流されてしまう可能性だってあるわけだ。そうなれば誰も助からない。
時間がない。
「走り続けて! 私たちは飛び乗るから!」
ここで車を止める訳にはいかない。時間のロスもあるが、なにより車体が心配だった。車輪もエンジンも限界だ。下手に停車して勢いを失ったら、もう走り出せないかもしれないと思った。
キャンピングカーは側面のスライドドアを開け放ったまま、炎上する村の中を走り抜けた。その背後を私とひまわりが走って追いかける。キャンピングカーはどれかのタイヤがパンクしているのかガタガタ揺れて、大したスピードは出ていない。これならすぐに追いつける。
やがて、キャンピングカーは管理棟前に繋がる一本道に合流した。あとはまっすぐ走り抜ければ、橋にたどり着く。
周りのススキが見渡す限り燃え上がっていて凄まじい量の煙を発生させていた。私はゴホゴホと咳き込みながらも、キャンピングカーに追いつき、側面に張り付いた。スライドドアから姫宮が顔を出し、手を伸ばす。
私は短く叫んでその手に飛びつくように掴まった。姫宮に引っ張ってもらい、なんとか車内に乗り込む。
息をつく間もなく振り向いて、叫ぶ。
「ひまわり! 頑張れ!」
ひまわりは老人とは思えないスピードで車に追いすがっていた。大したばばあだ。全く。
今度は私が手を差し出す。ひまわりも手を伸ばす。
あと、数センチ。
私とひまわりの手と手が触れ合う寸前だった。
銃声が鳴り響いた。
ひまわりの二の腕から鮮血が飛び散り、もんどり打って倒れたひまわりはその場にゴロゴロと転がる。
「ひまわり!」
地面の上で呻くひまわりがどんどん遠ざかっていく。
どこだ。どこから撃たれた。
見回した私は衝撃を受けた。
燃え上がるススキの林の向こう側。水路からよじ登ってきた卯月梅が鬼の形相でリボルバーをこちらに向けていた。
なんてしつこい。
銃声と共に、窓が一枚割れる。私と姫宮は咄嗟に頭を下げた。
「なに!? どうした!?」
秋人がハンドルを握ったままフロントミラー越しに叫ぶ。
姫が叫び返す。
「婆さんが落ちた!」
「ええ!?」
ブレーキを踏もうとした秋人に私は叫んだ。
「止めるな!」
逡巡したのは一瞬だった。
私はひまわりのジップガンを拾い上げた。そのほか、目につく使えそうな物を手当たり次第ポケットに突っ込む。
「秋人。このまま橋を抜けても、そのまま走り続けて」
秋人がフロントミラーの奥で目を見開く。
「姫。携帯の電波が通ったら、すぐに警察と消防に通報」
姫宮は呆然としながらも、こくりと頷いた。
最後に、心配そうにじっと私を見つめるカンナに言う。
「秋人が何回ブレーキ踏もうと、絶対、止まらないで」
カンナは一瞬目を泳がせたが、やがて唇を噛んで頷いた。
「ナツ姉。ダメだ」
私は開きっぱなしのスライドドアに手をかけた。
運転席を見る。秋人がふり返る。泣きそうな顔で。まるで高校生の時のように。
だから私は笑った。高校生の時のように、かっこつけて。
「じゃあ、やっつけてくる」
私は車外に身を投げた。迷彩柄のマントが一瞬なびいて音を立てる。
スピードが落ちているからと高をくくっていたが、両足で着地した瞬間、慣性の法則でドシャリと背中から倒れ込んだ。今日何度目かの激痛に声にならないうめき声を上げる。
後方にキャンピングカーがガタガタと走り去っていく。
前方からは銃声が聞こえた。
手にひまわりのジップガンを持ち、秋人のバーナーを背負い、私は立ち上がった。風で迷彩色のマントがはためいた。
「とんだ、最終ラウンドね」
もうすぐ濁流に呑み込まれようとしている、炎に包まれた廃村を、私は走った。
続きは明日24日8時から投稿いたします。
よろしくお願いいたします。




