【第7章】 廃村キャンプ編 43 守人の帰還
43 守人の帰還
詰めが甘かった。予想できたはずだったのに。
川をのぞき込んで、水がせき止められていたら、そりゃあ降りて調べるさ。そしてキャンピングカーが停車していたら、待ち伏せするに決まってる。何かしら対策を練っておくべきだった。
後悔してももう遅い。
現実問題として、今、私たちに三つの銃口が向けられている。
ニット帽の男の拳銃。ひげ面の男の拳銃。
そして、梅のリボルバー。
さらに倒したはずのロン毛と坊主頭が怒り心頭で背後に待機している。坊主頭に関しては黄色い塗料まみれなので、どこかの蜂蜜大好きの熊さんみたいになっている。形相は鬼のようだったが。
ちなみに、囲炉裏の側で倒した金髪はいくら待っても出てこなかった。梅と揉めてたもんな。紐を解いてもらえなかったのかもしれない。
そんな相手の戦力に対して、私たちは満身創痍の怪我人が四人。
フラッシュライトがついているMP5バーナーは私が背負っているので、すぐには構えられない。つまり、今すぐに使える武器らしい武器は、ひまわりの構えるジップガンだけ。それも、さっきスカジャンとの戦いで姫宮が三発撃った。残り一発だ。
それと比べて、相手の銃は三つとも引き金を引くだけで次々と弾が撃ち込める近代武器だ。弾もたっぷりあるだろう。
撃ち合っても、勝ち目は、ない。
そんな中、ひまわりはただ梅だけを見ていた。
なんの迷いもなく、梅にジップガンの照準を向けている。
「あちゃー。おばあちゃん、相打ち覚悟だよ」
梅は「やれやれ」と言った様子で、首を振ると、スライドドア越しに、ロン毛と坊主頭に指示を出す。
「壁、作って」
ロン毛と坊主頭によって、金髪の男が引きずり出されてきた。予想通り、手足は麻縄で拘束されたままだ。例に漏れず黄色い塗料まみれの顔を歪ませ、金髪は何やら喚いていたが、猿ぐつわが追加されており、何を言っているかわからない。ロン毛と坊主頭はあろうことかその金髪の男を盾にするようにして、梅の前に立ちはだかった。金髪は必死に身をよじるが、男二人がかりで押さえられているのでどうしようもない。
金髪を盾にするロン毛と坊主頭。そのさらに背後に梅は回った。
あの野郎。生きている人間を盾代わりにしやがった。
「相変わらずの畜生ぶりじゃな」
ひまわりが銃を構えたまま唸るように言う。
「あるものは使わなくちゃ」
梅が三人の男の背後でクスクスと笑う。あの隙間を射貫いて梅に命中させるのは相当の手練れでも至難の業だろう。
「別に、あなたたちもそれで壁、作ってもいいのよ。それぐらい、待っててあげるわ」
梅が顎で気絶している佐藤と眼鏡くんをさす。
さっきまで仲間だっただろうが。
本当にこいつは自分以外の人間を物としか思っていないんだな。
「悪いけど」私は眼鏡くんの両脇を抱えながら、梅に軽蔑の眼差しを向けた。
「あんたほど性根くさってないのよ」
梅は肩をすくめた。
「まあ。別にいいわよ。一瞬で終わっちゃうでしょうけど」
梅は男達の身体の隙間を縫うようにして、リボルバーを構えた。照準をひまわりに向ける。
ひまわりの肩がピクリと揺れる。
梅は誘っているのだ。ひまわりが始めの、そして最後の一発を発砲するのを。
だが、その一発は恐らく外れる。あの自作銃はどう見ても精密射撃には適さない。
そして、ひまわりが一発撃ったら最後、三丁の拳銃によって、私たちは集中砲火を受ける。防御する盾も隠れる場所も逃げ場もない。全滅に十秒もかかるまい。
どうする。一か八か、眼鏡くんから手を離し、背中のMP5を構えるか。フラッシュライトで左側の二人を牽制し、その隙にひまわりに梅を倒してもらうとか。
いや、無理だ。視界を潰せたとしても、ニット帽とひげ面は闇雲に乱射するに違いない。この閉鎖空間でそんな事をされたら、目も当てられない。
そもそも、MP5を構え終える前に、私一人が蜂の巣にされて終わりだ。
銃撃戦を間近に控えた極限の緊張が、場を支配する。
そんな中、唯一、安全地帯で楽しそうにしている梅は気まぐれに言った。
「撃ってこないの? じゃあ、こっちから……」
「一つ、聞かせてくれ」
ひまわりの声が梅の開戦宣言を遮った。
「もう、わかりきっていることじゃが、最後に確認しておきたい」
梅が小首を傾げる。
「なに? おばあちゃん」
ひまわりは小さく息を吐き、呼吸を整えた。そして言った
「陽向を殺したのは、お前じゃな」
数秒の沈黙後、梅は拍子抜けした顔で頷いた。
「ええ。そうだけど?」
そのあまりに悪びれのない態度に、私は絶句する。秋人も、姫宮も呆然とする。
ひまわりは落ち着いていた。
「なぜじゃ」
ひまわりは冷静だった。静かな声で、梅に問うた。
「陽向はお前の姪でもあったろう。なぜ、殺した」
梅は本当に些細なことを語るように言葉を並べた。
「いや。別に、私も殺したかったわけじゃないよ。ただ、なんか私が松江を殺したんじゃないかって、問い詰めてきたからさ。別に証拠なんて無いだろうから、ほっといても良かったんだけど、これ以上騒がれたら、ちょっと面倒だなって思って」
だから、殺した。
「適当に騙して眠らせて、致死量の薬打ちまくって。ジャンキー共のたまり場に放置したの。狙い通り、事故として処理されたわ。ナツちゃんと秋人くんが嗅ぎ回り始めた時はちょっと焦ったけど、結局それももみ消せた」
秋人が後ろで呟いた。私にしか聞こえないような小さな声で。打ちひしがれたように。
「あんな、あんなところで……」
廃ホテル。
荒れ果てた、一日中陽の当たらない、真っ暗な駐車場。
高校生の秋人が白線の上にその身を横たえる。
『ずっと一人だったわけでしょ。数か月間も』
あんな、寂しい場所に。たった一人で。
『許せねえよ。こんなの』
「そうだ。あの子、言ってたわ」
梅がにやりと笑みを浮かべる。
「私に薬を打ち込まれまくって、朦朧としながらさ」
歪んだ笑顔を見せつけるように、ひまわりの顔を見下ろす。
「一緒にお巡りさんに話しに行こうって。罪を償おうって」
梅はふざけた声真似をしながら、吹き出した
「お姉ちゃんが、一緒に、ついていってあげるから、って」
本当に可笑しいと言わんばかりに、梅はケラケラと笑った。
ひまわりが絶望の表情を浮かべる。それが可笑しいのだろう。嬉しいのだろう。梅は腹を抱えんばかりに笑い続けた。
その狂った笑い声を聞きながら、ひまわりはうつむく。
そして、静かに呟いた。
「お前には、わからんのじゃな」
目尻に溜まった笑い涙を指で拭いながら、梅が「え?」と笑顔のまま返す。
「あの子の何倍も生きておるというのに」
ひまわりはゆっくりと顔を上げた。
「偉そうに人を見下して、下品に着飾って、浅ましく若作りをするばっかりで、なんにもわかっとらん」
梅の笑みが固まる。
「自分の、大好きな母親が殺されて、その、殺した相手に、その言葉が言えるということが、どれほど強いことか」
「強い?」
梅は鼻で笑った。
「比べれば、明らかでしょ。強いのは私。勝者は私よ」
ひまわりはその言葉を無視した。
「儂は、あの子ほど強くはなれんかった」
ひまわりは懺悔するように言う。
「今日まで怒りを捨てれずに、復讐だけを目的に生きてきた。お前を殺すために。この村を乗っ取った奴らを根絶やしにするために。それだけに十年間を費やした」
「大事な事を忘れておった」そうひまわりが空を仰ぐ。煙霧が漂う空が鮮やかな色を持ち始める。
朝が来る。
「だが、もうわかった。儂のすべきことが」
梅が嘲る。
「いや、おばあちゃん、もうここで死ぬんだよ」
「死ねんよ」
ひまわりは言った。決意するように。
「お前らがどうなろうと知ったことではない。儂はただ、この村を取り戻す」
ひまわりは言った。宣言するように。
梅が呆れたように肩をすくめた。
「出たよ。自分の土地大好きばばあ。ご先祖様から由緒代々この土地はってやつでしょ。マジでくだらない……」
「先祖? 知るか」
老婆は一蹴した。
「会ったことのない昔の奴らなど知ったことか。儂が知っているのは、父じゃ。母じゃ。松江じゃ。陽向じゃ」
ひまわりはおもむろにまぶたを閉じた。
「正直、儂はそれほどこの村が好きと言うわけでもなかった。閉鎖的じゃし、不便じゃしな。都会の方がよっぽどええよ。松江達がわざわざここを選んだのか、皆目わからんかった」
ひまわりは言う。まるで誰かを思い出すように。
「じゃがな。父も母も、松江も、陽向も、確かにここを愛しておった。じゃから」
老婆が目を開く。その皺だらけの顔から覗く細い目で、梅を睨みつける。
「儂はこの地を取り戻す。たとえ村民がいなくなろうとも、たとえ屋敷がなくなろうとも、父と母が暮らし、松江と陽向が愛したこの土地を」
ひまわりは言った。誓うように。
「儂は取り戻す」
大きな声ではなかった。むしろ静かな声だった。
だが、その場の全員を黙らせる気迫があった。
「大好きな人の、大好きなものを、儂は、取り戻すんじゃ」
十年の時を経てこの地に帰ってきた老婆はそう締めくくった。
梅の反応は淡泊なものだった。
「ご高説は終わり? もういいかしら」
「ああ。十分じゃ」
梅が親指で拳銃の撃鉄を倒す。
「じゃあ、死のっか」
秋人が息を飲む。
男達が身構える。
梅の口角が上がる。
そんな中、老婆は呑気にふり返った。私に向かって。まるで世話話をするように。
「ところで、ナツよ。いま、何時じゃ」
私は眼鏡くんを抱えた手をよじってずっと時計を見ていた。
私も何でもないように答える。
「五時、五十九分。あと数秒で六時かな」
私はひまわりに目配せをした。
「時間稼ぎ、ご苦労様」
「お安いご用じゃったよ」
梅が目を見開く。
「あんたら、まさか」
私はにやりと笑う。
「あの高級車、爆弾一個しか使わなかったの。それでもすごい威力だったわね」
梅の顔が一気に強ばる。
「でも、あと、三つ残ってるわよ」
私のことばを聞いた瞬間、男達が叫び声を上げ、弾かれたようにキャンピングカーから距離を取った。
梅の車のように爆発すると思ったのだろう。
私はありったけの侮蔑の念を込めて、嘲笑した。
カンナに爆弾なんか仕掛けるものか。
「そっちじゃねーよ。バーカ」
私の腕時計が、六時を示した。
廃村に、爆音が響いた。
私たちの遥か後方。
山の麓から。
男達はぽかんと口を開けた。
梅だけが事態に気がついたのだろう。その顔からすうっと血の気が引く。
ひまわりを呆然と見つめる。
「あんた、まさか」
「儂を誰だと思っとる」
この村の最奥でたった一人、半世紀にわたって貯水池と堰堤と水路を管理し続けた水源の守人、麻原ひまわりは矜恃を持って言いきった。
「お前らに好き勝手されるぐらいなら。儂が責任をもって、この村を洗い流す。それも守人の役目じゃろうて」
梅が色を失った顔で呟く。
「あんた、正気?」
「お前が言ったんじゃぞ」
ひまわりは鼻を鳴らした。
「使えるものは、使わんとな」
村の最奥にあるため池。湖。
かつて下流の村全ての水源となった巨大な貯水池。
それを数十年支えてきた堰堤。
もし、それに爆弾が仕掛けられたら。
堰堤の構造を知り尽くす人間によって、的確な場所に設置され、同時に爆破されたとしたら。
連日の雨。ただでさえ増水した貯水池。
無理矢理にせき止められていた水路は。
私はおもむろに背後をふり返った。
「ねえ。聞こえる?」
迫り来る濁流の轟音が震動と共に近づきつつあった。




