【第7章】 廃村キャンプ編 42 逆転
42 逆転
「ごめん。秋人。遅くなった」
私は秋人の元に走り寄ってその場に膝をついた。
秋人の顔は酷い有様だった。目の上は腫れ上がり、鼻は少し曲がっている。額からも鼻からも口からも血が流れた跡がある。
「こっちこそ、捕まっちゃってごめん。助けに来てくれるとは思わなかった」
秋人が血を滴らせながらにっこり笑った。
その間も、流れ弾を食らった眼鏡の男の二の腕に布を巻き付ける動作を止めない。
「あんた、つま先は?」
「うん。多分、指と指の間を抜けたから大丈夫だと思うよ」
「大丈夫じゃないわよ。治療しないと」
私は秋人の右足を凝視した。靴のつま先に冗談みたいに穴が開いている。
「うん。でも今、靴を脱いだらもっかい履ける気がしない。ここでは脱がない方がいいかな」
秋人はそう言うと同時に、止血の布を仕上げとばかりに縛り上げた。眼鏡の男が短く悲鳴をあげる。
「はい。応急処置、済んだよ。これですぐに出血多量とはならないはず」
身を起した眼鏡くんが、呆然と秋人を見つめる。
「あ、ありがとう」
秋人は血だらけの顔で微笑んだ。
「どういたしまして」
眼鏡くんは、困惑した顔で目を泳がせたが、意を決したように秋人に向き合った。
「さ、さっきは、殴っちゃって、ごめ……」
言い終わる前に、私は眼鏡くんの側頭部に渾身の拳を叩き込んだ。鈍い音とともに、眼鏡は声も出さずにその場に崩れ落ちる。
「謝るくらいならやんなクズ」
怒りのあまり、話の途中でノックアウトさしてしまったが、秋人も気にする様子もなかった。私の全身をしげしげと見つめる。
「ナツ姉。そのマント」
「ええ。借りてるわ」
私は迷彩色のコットン生地をその身に羽織っていた。秋人の軍幕を二枚で構成していたうちの一枚だ。迷彩柄がススキの林に身を潜める時にカモフラージュになるかと思って身に纏ったが、燃え広がっていく村の中では、コットンの防火性能の方が遥かに役に立ったのは嬉しい誤算だった。
「もう一枚は、あっちに貸してるわ」
ナツが顎をしゃくった直後、ススキの林から姫宮が飛び出して来た。
「熱い! 火がもう来てるじゃん。めちゃくちゃ煙たいし、もう最悪」
煙を吸い込んだのだろう。ゴホゴホとむせる。
姫宮も迷彩柄のコットン布を身に纏っていた。迷彩装備の姫宮と私が奇襲部隊。ひまわりが囮という役割分担だった。
姫宮の手にはひまわり特製のジップガンが握られていた。
ちなみに、私の手には秋人特製のMP5型ガスバーナー。フラッシュライトがしっかり機能して助かった。
二人して迷彩柄で銃を構えている物だから、本物のゲリラ兵のような風体だった。
「姫。ナイスショットだったわよ」
私のねぎらいの言葉に、姫は不愉快そうに眉間に皺を寄せ、「銃なんて二度と撃たないわ」と言い捨てて、ひまわりに銃を返す。
ひまわりは気絶したスカジャン野郎、佐藤の手首をロープで拘束したところだった。姫宮から銃を受け取って鼻を鳴らす。
「無駄話は後にせい。ここもじきに火に包まれる」
私は頷いた。
「そうね」
残り、三人! と叫びたいところだが、秋人を救出した今、相手を殲滅する必要はなくなった。あと、やることは一つだけ。
「逃げるわよ」
「え? 泳ぐの」
水路に降ろされた竹のハシゴを見て、秋人が眉を潜める。
「僕、絶対また溺れるよ」
私は「いいからついてきて」と先にハシゴに足をかけた。素早く手足を動かして水路を降りる。本当なら、水路を流れる水は、連日の雨で増水し、深さ一メートル以上の深さになっているはずだった。そしてその流れの恐ろしさは昼間に実際に体験済みだ。こんな風に降りよう物なら、あっという間に身体ごと流される。
しかし、ハシゴを下り終わった私のスニーカーはベチャリと音を立てたのみだった。
秋人が驚きの声を上げる。
「せき止めたの?」
あれだけ濁流がうねっていた水路の水は、全て抜けていた。
水路の底の石畳が露出し、わずかな水たまりの上で川魚がビチビチと跳ねている。
「ため池にダムみたいなのがあってね。ひまわりが水門を閉じたの」
私に続いて降り立った秋人は「すげえ」と感嘆の声を上げて水路の壁と床を見回した。無理もない。昼間は濁流がうねる川だったのに、今は巨大な石造りの通路に変身したのだから。
「ちょっと! ぼーとしないで、受け取ってよ!」
姫宮の怒り声で上を見上げると、眼鏡くんが気絶したまま腰をロープで吊されて降ろされてきた。秋人と慌てて受け取る。
抜けきっていない水が微妙に溜まった石畳の上に眼鏡の身体を横たわらせ、腰からロープを解くと、スルスルとロープが引き上げられた。しばらくして、今度は佐藤が結びつけられ、またズルズルとその身体が降ろされてくる。
重いし、面倒だし、手間でしかないが、敵とは言え、拘束したまま炎の中に置いておくことも出来なかったのだ。やれやれだ。
ちなみに使用しているのは、もうすっかりお馴染み、耐久性抜群のパラコードでございます。テントを立てるのによし。タープを張るのにもよし。敵を拘束するのもよし。気絶させた敵を運搬する際にも大活躍。本当に便利だ。三束買っておいてよかった。
姫宮とひまわりも降りてきて、眼鏡くんを秋人が背負い、スカジャンを私と姫宮が二人がかりで抱えた。
「ナツ。今何時じゃ」
ひまわりの問いに、眼鏡くんの両脇を抱えながら、腕時計を見る。
「五時、五十四分」
「そうか」ひまわりは水路の壁の間から、上を見上げた。
空は炎の煙で霞んでいたが、確実に白み始めていた。
「もうすぐ、夜明けじゃな」
私は頷く。
このふざけた夜も、もうすぐ終わる。
「行くぞ」
ひまわりを先頭に、下流に向かって走り出す。
「どこに行くの?」
秋人の問いに私は「キャンピングカー」と短く答えた。
「キャンピングカーで走ってきたの? この水路を!?」
その通りだ。
水門を閉じて水をせき止めた後、頃合いを見て、水路がなるべく浅い箇所から、半分落下させるような形でキャンピングカーを水路に進入させた。そこで横転してもおかしくなかったが、オートバランサーシステム・カンナのお陰か、奇跡的にすっぽりと水路にキャンピングカーは収まった。そうなればこっちのもの。
そこからキャンピング場をぐるりと囲む水路を反時計回りに爆走してきたのである。
途中、水が抜けきっていなかったり、苔や泥でぬかるんでいたり、幅がぎりぎりまで狭かったりと、苦難の連続だった。だが、そこは私のドライビングテクニックで乗り切った。まあ、もしかしたら、カンナが大分助けてくれたのかもしれないが。
バシャバシャと水路を走りながら、「納得したよ」と秋人が頷く。
「どうやってバレずに車を爆破したのか、不思議だったから」
キャンプ場を半周した段階で、管理棟を経由することなく、出入り口の橋の下にたどり着く。そこで一旦停車し、ハシゴで登って、梅の車の下に爆弾を仕込んだのである。
「卯月、車を爆破されて。どんな感じだった?」
「めちゃくちゃビビってたよ。血相変えて走って行った」
「そう。誘導作戦は成功したようね」
ぶっちゃけ。あれは誘導作戦というよりは、半分以上、私情の嫌がらせだった。どうだ。私に銃弾を二発もかました報いだ。思い知ったか。
とは言えだ。これまで愛車を破壊され続けた私が、正当な理由があるとは言え、まさか誰かの愛車をぶっ潰す役割に回るとは。人生、何が起こるかわからないな。
梅の車に爆弾をセットした後、私たちは再びキャンピングカーを走らせ、管理棟からある程度下流で停車した。そして、そこからハシゴを持って徒歩で水路を移動し、管理棟の間近まで近づいた。ちょうどススキが水路ギリギリまで生えているところからこっそり上陸したと言うわけだ。
なぜ、直前までキャンピングカーで接近しなかったかというと、近づきすぎてはエンジン音でバレるかもしれなかったからだ。
ということで、今、キャンピングカーまで走っているわけだ。
そうこうしている間に黄色いキャンピングカーが見えてきた。両幅の壁との余裕はそれぞれ一メートルほど。頭をこっちに向け、水路にすっぽり収まるように停車している。
あとはあれに乗って、脱出するだけだ。
ひまわりが指示を出す。
「よし、さっさと乗り込むぞ」
姫宮が背後で安堵の息を吐くのを感じる。私も同じ気持ちだった。
ようやくこの廃村ともおさらばだ。
だが、そこで、私はぎくりと身体を硬直させ、立ち止まった。
「ナツ姉?」
私の様子にいち早く秋人が気づく。
ひまわりと姫宮も何事かと足を止めた。
私の目は運転席に釘付けになっていた。
カンナがいた。
必死に手を上げ、首を横に振っている。
「だめ。乗らないで」
私は奥歯を噛みしめた。くそ。ここまで来て。
「あららあ? なんでバレたの?」
右のスライドドアがガチャリと開いた。
「ほいほい乗り込んできたら、蜂の巣にするつもりだったのに」
卯月梅がリボルバー拳銃を手に、水路にひょいっと降り立った。
ひまわりがとっさにジップガンを構える。
「まあ、結果は同じなんだけど」
反対側のドアも開き、二人の男が拳銃を構えながら降りてきた。ニット帽の男に、ひげ面の男。
続いてその背後から、拘束を解かれたロン毛と坊主頭が出てきたのを見たとき、私は目眩を起しそうだった。くそ。振り出しだ。
梅はにっこりと満面の笑みを浮かべた。
「はい。形勢逆転」




