【第7章】 廃村キャンプ編 37 反撃
37 反撃
あれから。十年。
ひまわりは再びこの村に戻ってくることを決めた。
死の淵まで自分を追い詰めていた病と戦った。医者や看護師の誰もが諦めた戦いに、ひまわりは精神力のみで立ち向かい、そして勝った。
加齢による衰えを無視して、リハビリスタッフの警告に聞く耳を持たず、身体を無理矢理に鍛えた。凄まじい痛みも松江と陽向のことを思えばなんのことはなかった。老体はすぐに壊れた。無理をして身体を壊して寝たきり。起きて鍛えてまた壊してを繰り返した。
病室で知り合った元猟師の老人をほだし、おだて、作り話で騙して、銃の設計図を作らした。
ぼけた振りをして病院を徘徊し、薬をくすねた。
そんなことをしているうちに、十年。
地獄の十年を経て。十二月十日。陽向の誕生日。
ひまわりは帰ってきた。
陽向の愛した村を、畜生共から取り戻すために。
卯月梅。松江と陽向の直接の敵。
この女だけは許さないとひまわりは決めていた。
しかし、彼女は忌々しいことに、現役の刑事だ。住所や職場などの個人情報を探ることも老人には難しい。だから、この女を相手取るのは最後の最後と決めていた。
村を取り戻し、慌てて駆けつけたところを迎え撃とうと考えていた。
そうして、満を辞して乗り込んだ村では想定外の事態ばかり起こった。
まず、ヒッピー娘と坊主。あきらかに一般人のキャンプ客にひまわりは戸惑った。利用客はどうせ犯罪者ばかりだろうと決めつけていたため、対応に困り、倒すべきか見定めるのに時間がかかった。
さらに、村のどこにも運営スタッフが見当たらなかった。ヒッピー娘と坊主を眠らせた後、探しまわったところ、管理棟で死体を見つけた。自分が殺す予定だった奴が勝手に死んでいたことに驚くと同時に、ヒッピー娘と坊主が危ないと気づき、慌てて屋敷に引き返した。
そこで、卯月梅の姿を見つけた。
予想外のタイミングでの宿敵の登場に予定が狂った。
咄嗟に発砲した自作銃の弾はわずかに逸れ、隠れていたスタッフに当たった。
あそこで梅に当てていれば。
もっと冷静に、狙いを定めていさえすれば。
後悔してももう遅かった。
十年、長かったな。
ひまわりはガタガタと揺れるキャンピングカーの床の上で、地獄の日々をふり返っていた。
その結果がこれか。
結局何もなせず、敗北し、両手足をロープで縛られ、無様に転がっている。
キャンピングカーは村の中を徐行していた。運転席には茶髪のロン毛の男。隣はフード付きのパーカーを着た、筋肉質な坊主頭だった。
「一番奥の屋敷で止めろ。残りのキャンプ道具を詰め込む」
坊主頭が指示を出し、ロン毛が「はいはい」と生返事をする。
ひまわりの周りにはキャンプ道具が適当に放られていた。そして、死体も。
ドレッドヘアの男。
そして、ひまわりの上に乱暴に投げ出された女。下半身を老婆の身体の上にのせ、上半身は老婆に添い寝するように隣に横たわっていた。
女の上着の胸の部分に、二つの穴があいている。撃たれたのだろう。
ヒッピー娘。
変な女じゃった。無愛想で、無礼で、かと思えば急に礼儀正しくなる。頭が切れるのかと思いきや、間の抜けたこともしでかす。
だが、楽しそうなやつじゃった。
薪を拾ったり、火をおこしたり、料理をしたり。
なんでもないただの生きるための作業を、顔を輝かせて、子供のようにワクワクした表情で、これ以上ないほどに楽しんでおった。関わるつもりがなかったひまわりがつい、参加してしまうほどに。
その顔が松江と陽向に重なった。
ひまわりはようやくわかった気がした。なぜ松江と陽向がキャンプ場を作ることに、あれだけこだわっていたのか。
汗だくになりながらも、懸命に囲炉裏と格闘する松江を思い出す。
土まみれになりながらも畑を耕し、笑顔を見せる陽向が頭に浮かぶ。
生きるための営み、その全てを。
心から楽しめる場所を、二人は作ろうとしておったんじゃな。
自分の身体の上で息絶えたキャンプ娘に、ひまわりは心の中で謝った。
すまん。すまんかった。
儂のせいじゃ。
許してくれ。
「ねえ」
唐突なささやき声に、老婆はびくりと身体を揺らした。
なんだ。どこから聞こえた。
老婆の動きに、坊主頭がふり返る。
「ばばあが起きたみたいだな」
「ほっとけよ。縛られてるんだろ。なんも出来ねえよ」
「このまま池に沈められるんだ。寝といた方が楽だったのにな」
二人は鼻で笑ってまた前を向いた。
しばらくの沈黙。
「ねえ。私よ」
ヒッピー娘が片目を開けていた。
「もう動かないでよ。バレるから」
ひまわりは驚愕した。声を押し殺して問う。
「お前、撃たれたんじゃないのか」
思ったより声が枯れており、大きく響いてしまった。
娘が慌てて目を瞑る。
坊主頭がちらりと目線を送ってきたが、ひまわりの独り言だと思われたようで、すぐに目線を戻した。
「……そういうのいいから」
再び片目を開けた娘が、極限に抑えた声で言う。
いや、そういうのとかで済ませて良い問題ではなかろう。
「質問に答えて」
娘は片目でじっとひまわりを睨め付ける。
「瞬きして。イエスだったら一回。ノーなら二回」
ひまわりは混乱しながらも、一回の瞬きを返す。
娘は蚊の鳴くような声で問うた。
「あなたは、復讐をしに来たの?」
イエス。
「この男はあなたが殺した?」
ノー。
「姫宮を殺そうとした?」
姫宮という名をひまわりは知らなかったが、自分が撃ったスタッフであることをなんとなく悟る。狙ったわけではなかったが、確かに弾は当たった。
ひまわりは迷った末に、一回瞬いた。
「今は? 殺したい?」
ノー。
「秋人は?」
ノー。
「私は?」
ノー。
「……卯月梅は?」
イエス。
振動と共に車が止まった。
「おー。なにこれ。テント?」
「ばらして突っ込むぞ」
バタバタと二人が車を降りる。どうやら、屋敷の前まで来たらしい。
娘はまたすっと目をつぶった。
ガサガサと外で作業をする音が続き、唐突にサイドのスライドドアが開け放たれた。
ドサドサとキャンプ道具と適当にばらされたテントの残骸が放り込まれる。いくつか重そうな代物も容赦なく娘の身体の上に落ちてきたが、娘は微動だにしなかった。
「例の爆弾は?」
「窪谷が回収しに来るって」
「窪谷、佐藤さんにボコられてたな」
「あれはあいつが悪いだろ」
「まあ、あの女刑事さんも確かにウザかったけど」
「美人なのにな」
「いや、あれ、実は結構、歳いってるんじゃね」
駄話をしながら二人は積み込みを終え、運転席に戻った。
車が再び動き出す。橋を抜けて、山に入り、急斜面の車道を通って貯水池に向かうのだろう。
娘がゆっくり片目を開ける。
少しだけ声を大きくして、ひまわりに問う。
「あなたは、ストローマン?」
ひまわりは二回瞬いた。
ノーだ。
「そう」
娘は目を瞑った。
車が橋を抜けた気配を感じる。砂利道に入った。
「じゃあ、最後の質問よ。くそばばあ」
なんじゃ。ヒッピー娘。
娘が両目を開けた。
「まだ、戦える?」
ひまわりは瞬きをしなかった。
まっすぐに、娘の目を見た。
その目線が答えになったのだろう。娘はにやりと笑った。
登りの斜面にさしかかったのだろう。車が大きく傾きはじめた。
「おいおい。随分急な坂だな」
「ジェットコースターの落下前みたいだ」
「ゴールは湖だけどな」
「俺たちごと落とすんじゃねえぞ」
男共が下卑た笑い声を上げた。
散らばったキャンプ道具がガラガラと後方に転がっていく。
それに紛れるようにナツがネックナイフを取り出した。
男の死体もズリズリと後方にずり下がっていく。
その陰に隠れるようにひまわりの拘束を手早く切断していく。
車が完全に傾いた。
そんな車内で、ひまわりと娘は見つめ合った。
車が長い登り坂を終える直前で、娘は言った。
「私はナツよ。斉藤ナツ」
「そうか」
老婆はもう声を抑えなかった。
「儂は、ひまわりじゃ」
坊主頭がふり返って怒鳴る。
「おい。ばばあ! うるせえぞ! 一人でブツブツ言ってんじゃ……」
その声を遮るように、ナツは言った。随分通る声で、はっきりと。
「カンナ。ストップ」
坂を上り終えようとしていたキャンピングカーが、唐突に動きを止めた。
ロン毛の呆然としたように呟いた声が、車内に間抜けに響いた。
「え?」
ゆっくりと、車が後退し始める。
「なんだ! エンストか!?」
「わかんね! 急に止まった!」
「ブレーキ!」
「きかない!」
ジェットコースターと揶揄した斜面を、車が凄まじい勢いで下り始めた。
同時に、ナツが飛び起きて、運転席に走る。ひまわりもがむしゃらに身を起し、後に続いた。転がる死体を踏みつけ、宙を舞うキャンプ道具をかき分けてよじ登るように運転席を目指す。
坊主頭が感づいた。
「は? こいつら……」
その顔面に、ナツの拳がめり込む。
一瞬揺らいだ坊主頭だったが、すぐにナツの頬を殴り返した。ナツは止まらなかった。坊主頭のフードの根元を掴み、助手席から引きずり出そうとする。坊主頭が喚きながら腕を振り回す。
ロン毛の男は狂ったようにブレーキを叩き踏んでいた。だが、機能していない。車は加速度的にスピードを上げ、斜面を下り落ちていく。
「なんなんだよおお!」
そう叫んだロン毛の首を、ひまわりは後部座席ごと羽交い締めにし、締め上げた。ロン毛が息に詰まり、鶏のような声を出して暴れ出す。
窓の外で、夜の林の木々が凄まじい勢いで流れていく。
ナツが苦痛の声を上げた。
見ると、坊主頭が助手席に片肘をまわして掴まりながら、ナツの腹部に膝蹴りを繰り返していた。ナツは気力で坊主頭にしがみついていたが、苦悶の表情はただ事ではなかった。ひまわりは暴れるロン毛を締め上げながら迷った。助けに向かうべきか!?
「ひまわり!」
ナツが振り絞るように叫んだ。
「そいつを離すな!」
次いで叫ぶ。
「姫えええ!」
天井に向かって。
「今だああ!」
「ああああああ!」
天井から人間の上半身が飛び出してきた。正確には、屋根裏部屋から一人の女が半身を乗り出し、逆さづりの状態になったのだ。坊主頭の目と鼻の先にぶら下がった彼女の手には手錠がはめられていた。黄色いロープが垂れ下がっている。そしてその片方の手には一本のスプレー缶。
ブシュウウウウウ!
黄色い塗料が坊主頭の顔面に噴射される。坊主頭が絶叫した。
「カンナあ! ブレーキいい!」
ナツの叫びと共に、車がガクンっと大きく揺れる。その振動で坊主頭の肘が後部座席から外れる。降下中に急停止した車内で、ナツと坊主頭、二人の身体が宙に浮いた。
「おらああ!」
ナツが叫び続ける坊主頭を背負い投げた。慣性の法則の働きも相まって坊主頭は凄まじい勢いで車内を転がり落ち、キャンプ道具と死体でもみくちゃになりながら、後部座席に激突した。
坊主頭の悲鳴が途絶えた。
車が完全に停止する。
ひまわりは自身が締め上げているロン毛の男に目を戻した。急ブレーキの影響でより深く腕が入り込んだのだろう。声もなく白目を剥いていた。
ひまわりがロン毛から腕を離すと同時に、女が天井から落下してきた。傾いた床に背中を打ち付け、悶える。
その女に一瞥もしないで、ナツは拳を握った。息も絶え絶えに。
「よし。まずは二人!」
ナツは上着の下に手を突っ込み、銀色の板を引っ張り出した。六枚の金属板が重なった、折り畳み式の焚火台が床に転がる。
「あと、六人」
続きは明日23日8時から投稿いたします。
よろしくお願いいたします。




