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キャンプをしたいだけなのに【2巻発売中】  作者: 夏人
第7章 人は誰にもなり得ない
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【第7章】 廃村キャンプ編 36 ひまわり5


 36 ひまわり5


「今さら、何を言うとる」

「あれ? 悪い話ではないと思いますけど」

 昼間に陽向が座っていた椅子に腰掛け、ニコニコと作り物めいた笑顔を作る卯月梅を、ひまわりは睨み付けた。

「土地を売れじゃと?」

「ええ。私も姉の悲願を叶えようと思いまして。あの土地にキャンプ場を作りたいんです」

梅はひまわりに流し目を送った。

「姉とはもうお話はついてたんですよね。村の中を流れる水路の内側の土地を、丸々キャンプ場にするお話です」

「誰に聞いた」

「姉自身ですよ。嬉しそうに教えてくれました」

 梅は顎の下で両の手の平を合わせた。

「元の土地の所有者さんたちに連絡をとって、話をつけて、全ての土地の所有権が麻原さんにあるんですよね。流石です」

 確かに、松江のキャンプ場計画のために、ひまわりは村を出た村民達に連絡をとった。土地を譲ってくれと。

 持っていても税金がかかるだけの土地だ。皆、ほぼ無償で渡してくれた。村を去った者として、最後の村民の頼みを断れなかったのもあるだろう。

 結果として、水路の内側の全ての土地の所有権を譲り受けることが出来、今はひまわりがまとめて管理している形になっている。

 だが、そこまでして骨を折ったのは、松江のためだ。陽向のためだ。

 この女のためではない。

「何が目的だ」

「だから、言ってるじゃないですか。姉の夢を叶えたいんです」

「さえずるな」

 ひまわりは吐き捨てた。

「あれだけ田舎暮らしをコケにしていたお前が」

「え? そんな事ないですよ。ご存じでしょ。私、何度も遊びに行かせてもらってたじゃないですか」

 ひまわりは笑顔を顔に貼り付けている梅を睨め付けた。

 こいつは確かに定期的に松江を尋ねてきた。

 田舎では到底手に入らない、街中の高級菓子を持って。

 見せつけるようにブランド品を身につけて。

 ひまわりはすぐにわかった。この女が、姉を見下すつもりでわざわざ遠くから足繁く片田舎に通っていることを。

「うちの村を、心底、馬鹿にしておっただろうが」

「誤解ですって。陽向ちゃんともよく遊んでたでしょ」

 陽向はいつも梅が来ると「ウメちゃんウメちゃん」と嬉しそうにしていた。美味しいお菓子ももらえるし、遊んでもらえるから当然だ。

「楽しかったなあ。陽向ちゃんとのかくれんぼ。身長の測りっこもしたなあ」

 懐かしそうに目を細める梅の顔に唾棄する勢いで、ひまわりは言った。

「意地でも外には出なかったくせに」

 陽向がどれだけねだっても、梅は決して屋外で遊ぼうとはしなかった。

 ブランドものの服と靴が土で汚れるのが嫌だったのだ。

「もお。誤解ですって」

 梅はひらひらと両手を振る。

「素敵だなあってずっと思ってましたよ。自然との暮らし。魂のデトックス」

 いけしゃしゃあとそう言う梅に、ひまわりは吐き捨てた。

「そんなに嬉しかったのか。姉が落ちぶれているのが」

 数秒、梅は困ったように小首を傾げていた。

 そして、唐突に、ニタアと笑った。

「ええ。超絶嬉しかったです」

 作られた営業スマイルではない。

 卯月梅という女の素の笑顔。

 その禍々しさに、ひまわりの背筋に冷たいものが走った。

「学歴なし。シングルマザー。汚い婆さんと同居の田舎暮らし。あれだけ雲の上の存在だった松江が、自分が比べ続けられた姉が、典型的な社会的弱者に成り果てていたんですよ。そりゃあテンション爆上がりですよ。毎月のように通っちゃいますって」

 梅はまるで鼻歌でも口ずさみそうな勢いで身体を揺らした。

「楽しかったなあ。『麻原さんに教わったの。結構難しいのよ』とか言いながら、囲炉裏に火を入れて、灰まみれになりながら、馬鹿みたいに時間をかけてお湯を沸かして、安いインスタント珈琲をふるまってくるんですよ。もうおかしくって」

 梅の口角は際限なく上がっていく。

「私が持ってきた高級スイーツを食べながら、姉はいろんな話をしてくれました。

『今年の夏は暑いから、トマトが良く実った』だとか。

『この前、麻原さんが川魚を甘露煮にしてくれた』だとか。

『基地局が撤退するかもしれない。ネットが使えなくなったら仕事が出来なくなる。どうしよう』とか。」

 梅は思い出して可笑しくなったのか、クスクスと口元を覆った。

「化粧っ気の無い姉の口から、そんな次元の低い世話を聞くのは、最高に心が満たされました。日本の未来に関わるような上の世界に足を踏み入れようとしている自分の立場を考えると、優越感の高まりが止まらなかったです。あれ以上のストレス解消なんてないですって」

 梅の饒舌を黙って聞いていたひまわりは、梅の顔を見ながら、その顔立ちによく似た、松江の顔を思い出していた、

 松江の、悲しそうな顔を思い出していた。

 松江はわかっていた。自分が妹に馬鹿にされていることに。

 ひまわりは何度も言った。あんなのに付き合うことはない。追い返せばいいと。なんなら儂が水をかけてやると。

 だが、松江は言ったのだ。

『あの子は、可哀想な子なんです』

 嫌みたらしい高級菓子の紙袋を丁寧に折りながら、松江は言った。

『私が、父親の元から助けてやれなかったから』

 松江は、妹の歪んだ精神すらも、責任を感じていたのだ。

『これで、妹の気が晴れるなら』と、一人、耐えていた。

 ひまわりは言った。

たしなめて、叱ってやるのも、姉の務めじゃぞと。

『そうかもしれませんね』

 松江はまた悲しそうな顔で微笑んだ。


 得意げに語る梅の言葉が切れたのを見計らって、ぼそりと呟いた。

「日本の未来に関わる上の世界、か」

 ご機嫌に揺れていた梅の身体がピタリと止まる。

「きっとご立派な職業なんじゃな。警察官僚だったか。お前が松江に上から目線で話しとるのが聞こえたわ。父親の敷いたレールに乗っとるだけなのに、偉そうに」

 梅は笑顔のまま、小首を傾げて言った。

「黙れよ。ばばあ」

 ひまわりは鼻を鳴らした。

「何を怒っとる。笑い飛ばしたらええ。未来の警察官僚さんなんじゃろ。底辺の死にかけばばあのひがみなんぞ、気にすることなどなかろうて」

 梅は答えなかった。いまだ笑顔が顔に張り付いている。

「しかし、おかしいのお。そんな出世街道まっしぐらなはずの、お忙しい、きゃりあうーまん様が、なんでこんな場末の病院にこそこそ現れて、怪しげな土地の売買を、死にかけのばばあに持ちかけとるんじゃ。そんな暇なかろう」

 ひまわりは「おやあ」と目線を中空に上げ、記憶を探る真似をした。

「そういえば、数年前の夏、テレビでニュースになってたの。ほら、元大臣が死んで、やってた汚職の数々が次々と明るみに出た事件じゃ。立花大臣じゃったか」

 梅の顔から笑みが消えた。

「その時、立花との黒い癒着が表沙汰になって、何人も名前が出とったの。確か警察官僚も数人いたはずじゃ。大スキャンダルじゃったの」

 梅の顔が硬く、能面のように変わっていく。

「失脚したんじゃろ。お前の父親」

 ギリギリギリギリ。

 何かをすり潰すような音が病室に響く。

 それが梅が奥歯を噛みしめている音だと気づくのにはしばらく時間がかかった。

「……お前も殺すぞ。くそばばあ」

 ひまわりは梅の殺意に染まる目をまっすぐ見つめた。

 ひまわりは構わず続ける。

「頼りのパパが立場を失って、お主の出世街道は完全におじゃん。自暴自棄になって、今は怪しいシノギに手を出す汚職警官か」

 ひまわりは梅から目線を離して自分の足先を見ると、再度、鼻を鳴らした。

「父親と同じコースか。なんだかんだ、似たもの親子じゃな」

 殴りかかってくるかと思った。

 なんなら殺されるかもしれないと。

 それならそれでいい。別に思い残しなど……。

 そこで、ひまわりの全身に衝撃が走る。

 この女、今、なんと言った?

『お前も』?

 ひまわりはゆっくりと梅に目線を戻した。

 梅は先ほどの怒りを湛えた顔から、打って変わって無表情だった。まるで蝋人形のような。

「父の失脚で、私のキャリア組の未来は途絶えました。地元の署に出向させられて。もう本庁には戻れないこともわかりました。ずっとノンキャリ達と同じ仕事に就かされます。私のこれまでの苦労は全て気泡と化しました」

 梅の顔は口以外、全く動かなかった。まるで麻痺しているかのように。

「私は絶望しました。どうにかして気持ちの安寧を測らなければいけませんでした。そこで、久方ぶりに、姉のくそ田舎に赴きました。これまで鬱屈したときはそこにさえ行けば、姉を見下せて、晴れやかな気分になれたので」

 梅の虚空を見つめる目だけが、眼鏡の奥で徐々に見開かれていく。

「姉はその時、忙しそうでした。なにやら用事があるようで。でも、私の事情を知っていたのでしょう。水路の側を歩きながら話そうと言いました。水の音は心が落ち着くからと」

 梅が早口になっていく。

「姉は言いました。気を落とすなと。人生、うまくいかないこともあると。父に頼りすぎていたあなたも悪いと。人のせいにしてはいけないと」

 梅は無表情のまま、また奥歯を噛みしめた。ギリギリと。

「偉そうに。どの立場から言ってんだ。私に全て押しつけて、自分は逃げたくせに。理想の田舎暮らし? ふざけんなよ。なんでお前が同情してんだよ。お前は私に見下されてなきゃいけないだろ。人生の敗北者なんだから、大人しく地面を這ってろよ。なに、楽しそうに子育てしてんだよ。なに、日々に生きがいを感じてんだよ。なに、夢なんて持ってんだよ。終いには、一緒にここでキャンプ場をしようだって? なんで、私が哀れまれてんだよ。下に見んなよ。馬鹿にすんなよ。見下してんじゃねえよ。耐えられない。認められない。許せない。だから」

 だから。

 だから、実の姉を、水路に突き落としたのか。


 ひまわりは目をつぶった。

 松江は、最後に、妹をたしなめようとしたのだ。

 妹を、叱ろうとしたのだ。

 そして、助けてやろうとした。支えてやろうとした。

 それが、姉の務めだから。


「畜生が」

 ひまわりの頬に涙が伝った。

「お前は人間じゃない。畜生以下じゃ」

 ひまわりを目を開くと、赤い目で梅を睨み付けた。

「お前は、儂が殺す」

 深夜の病室に笑い声が響いた。まるでお笑い番組を見た子供のような、楽しげな嬌声だった。

「あなたが? どうやって? 聞いたわよ。次の手術、成功の可能性、低いらしいわね。たとえ成功しても、一生寝たきりがほぼ確定してるんでしょ」

 クスクス笑いを梅は口に手を当てて押しとどめる。

「ごめんなさい。不謹慎だったわね。お気を悪くしないでください。でもね」

 梅は眼鏡の奥で目を細めた。

「麻原さん。あなたはここで退場なんですよ。お疲れ様でした」

 ひまわりは両の拳を握りしめた。

 ひまわりの頬を新たな涙が伝った。悔しかった。

 だが、今、ここでこの女に掴みかかったところで、勝てるわけがなかった。むしろ、暴行罪で逮捕されるのが関の山だろう。

 梅がパンっと両手を叩いた。

「ごめんなさい。変な感じになっちゃいましたね。楽しくお話しようと思ってたのに」

 梅はいつのまにか例の作り物の笑みを顔に貼り付けていた。

「もう済んでしまった過去の話はさておき、未来の話をしましょう。麻原さんはもういない未来でしょうけど」

 梅は合わせた手をまた顎の下に持ってきて、またにっこりと笑った。

「でも、陽向ちゃんはいますもんね」

 ひまわりは目を剥いた。

「どういう意味じゃ」

 梅は大げさに肩をすくめて見せた。

「さっきから言ってるでしょ。私はキャンプ場を作りたいんです。少しは悪いと思ってるんですよ。陽向ちゃんには寂しい思いをさせてしまいました。だから、せめて松江お姉ちゃんの夢であるキャンプ場を作るという願いは叶えてあげたいなと。まあ」

 梅は意味ありげに口角をあげた。

「陽向ちゃんの思う経営スタイルじゃないかもしれませんけど」

 他の土地でやればよかろう、とは、ひまわりは言わなかった。無駄だとわかっていたからだ。

 この女は他にどれほど好条件の土地があろうと、あの村にこだわるだろう。

 最後の最後まで、松江の夢を踏みにじりたいのだ。

「どうせ、普通は買い手なんてつかない土地です。それを! なんと! 相場に色をつけて! 買い取ってあげようというんです。あなたは明日来る業者が持ってくる書類にサインをするだけ。名義上の買い手は私が適当に見繕います」

 ひまわりは梅に唾を吐いた。梅が器用に身体を反らして飛んできた唾を避ける。

「馬鹿かお前は。今さら、儂が金など欲しいと」

「馬鹿はお前だろばばあ。話聞いてましたか?」

 梅がやれやれと首を振る。

「陽向ちゃんですよ」

 梅はまるで内緒話をするかのように片手を口に添えた。

「あの子、家出してるんですよ。親戚と折り合いがつかなかったみたいで」

 ひまわりは硬直した。

 そして気づく。最近の陽向は、いつも平日の昼間に見舞いに来ていたことを。

「高校も退学になったみたいだし、家出っ子たちのコミュニティからも追い出されちゃったみたいです。唯一の友達のおばあちゃんも、もうすぐ死んでしまいます。あら。これから先、どうなるんでしょう」

 梅は芝居がかった仕草で上げた両手を降ろし、ひまわりを見つめた。

「せめて、お金があれば」

 ひまわりは二の句が継げなかった。

「もう一度言います。未来の話をしましょう。あなたがいなくなった後の、陽向ちゃんの話です」

 眼鏡をかけ、質の良いパンツスーツを着た悪魔は、ひまわりの耳元で囁いた。

「死ぬ前に、あなたが出来る事はなんでしょうか」




「売った? なんで!」

 村の土地を手放したことを知った陽向の激高ぶりは相当のものだった。ひまわりに掴みかかりかねない勢いであった。

 土地を売った金は確かにひまわりの口座に振り込まれた。ひまわりは、すでにその金が死後に陽向に渡るように遺書もしたためていた。

「私に相談もせずになんでよ!?」

「あれは儂の土地じゃ」

 事実は伝えられなかった。大好きなウメちゃんが、大好きな母親を殺したことなど。言えるはずもなかった。

「誰に、どう売ろうと、儂の勝手じゃ」

 ひまわりは無理にぶっきらぼうに言って横を向いた。

 そうでもしないと、涙があふれ出そうだった。

 陽向は立ちすくんだ。

 ぎゅっと両手を握りしめる。

「い、一緒に、キャンプ場しようっていったじゃん」

 ぼろぼろと涙を顎から滴らせる。

「姉妹で、キャンプ、しようって」

 それを聞いて、ひまわりは呆然とした。

 この子の夢には。

 この子の未来には。

 儂も、おったのか。


 ひまわりは両目を固く瞑った。やるからには、徹底的にやらねば。

ひまわりは握りしめていたアイポッドを陽向に投げつけた。陽向が反射的に受け取る。

「それを持って、さっさと帰れ」

 こんな死に体の老人のことなど、忘れた方が良い。

 もうすぐ儂は死ぬ。

 これ以上、この子に死など見せたくない。

 ここでお別れにしよう。

 それが、この子のためじゃ。

 そう思ったから、ひまわりは顔を逸らしたまま、鼻を鳴らした。

「儂は、お前の妹ではない」

 陽向が息を飲んだ。

 信じられないほどに辛い沈黙が、二人の間に流れた。

「ひまわりなんか、嫌いだあ!」

 陽向が廊下を泣きながら走り抜ける音を聞きながら、ひまわりは声に出さずに呟いた。

 儂は、大好きじゃよ。




 死ぬつもりで受けた手術はどうやら大成功したらしかった。

 どこで運を使っとるんじゃとひまわりは我ながら思った。

 麻酔で寝ている間に、ベッドの横に赤いアイポッドが置いてあった。下手な字の書き置きと共に。

『どなってごめんね。これ、あげる。今から、確かめてくる』

 意味はわからなかったが、性懲りもなく陽向が来たことはわかった。

 また、突き放すべきだろうか。

 次に陽向が来たときにどう接するか、ひまわりは迷った。

 だが、幸い自分の寿命もいくらか延びたことだし、もっと、ちゃんと、これからについて話し合った方がいいと思った。だから、次に陽向が来たら、謝ろうと決めた。

 だが、陽向は来なかった。


 数ヶ月後。

 起き上がれるようになったひまわりは看護師に半ば無理矢理、車椅子に乗せられ、談話室に連れて行かれた。

 談話室とは名ばかりで、目に光のない老人数人が、自分と同じように車椅子に乗せられて並べられていただけだった。当然、会話もない。無論、ひまわりも世間話などする気もなかった。

 談話室にはテレビがあり、ニュース番組を流していた。老人達はなんとなしにテレビ画面を見つめていた。

 ひまわりは戯れにアイポッドのイヤホンを数ヶ月ぶりに耳に入れた。昨夜、看護師に頼んで充電してもらったのだ。

 相変わらずのアップテンポの曲は聴く気になれず、録音フォルダを開いた。久しぶりに陽向の声を聞く。

 相変わらず、どれもしょうもない内容だった。陽向の下手な歌声が入っていたり、妹との話し声が入っていたり、女友達との遊びの約束が入っていたり。

 そこで、一つ、録音データが増えていることに気がついた。

 まさか、陽向がメッセージを残してくれていたのだろうか。

 ひまわりは喜び勇んで、再生ボタンを押した。

『今さら、何を言うとる』

『あれ? 悪い話ではないと思いますけど』

『土地を売れじゃと?』

『ええ。私も姉の悲願を叶えようと思いまして。あの土地にキャンプ場を作りたいんです』

 自分のしわがれ声と、梅の不快な声が流れ出て、ひまわりは面食らった。

 なんてことはない。あの夜、適当にいじくり回していたせいで、偶然録音ボタンを押してしまっていたのだろう。

 もしかすると梅を追い詰められるような内容が入っていないかと全部聞いてみたが、梅は微妙な言い回しばかりしているし、松江の話の途中で録音は止まっていた。何かの証拠になりそうな代物ではなかった。

 そう。卯月梅が松江を殺した証拠など何も無い。あったとしても、梅がすでに隠滅しているだろう。

 ひまわりは無力感に打ちひしがれた。

 そこで、ある可能性に気がつく。


 この録音を、陽向は聞いたのではないか。

 

ぞわりと、ひまわりの全身が総毛立った。

 もし、聞いたとしたら、陽向ならどうする。

『今から、確かめてくる』

 誰に?

 決まっている。「ウメちゃん」本人だ。

 ひまわりは弾かれたように、イヤホンを耳から引っ張り抜いた。

 陽向が、危ない。

 そして、絶望的な事実を思い出す。陽向がメモを置いていったのは数ヶ月前だ。


「ああ。あの死体、身元わかったんだ」


 背後で看護師が呟いた。

「まだ若いのに」

 ひまわりが目線を上げると、そこにはテレビがあった。

 ニュースキャスターが、廃ホテルに遺棄されていた死体の氏名を読み上げているところだった。


 その日、談話室で一人の患者がパニックを起した。

 車椅子の老人であったが、その暴れようは尋常ではなく、看護師数人でも抑えることが出来ず、スタッフ総出で手足を押さえつけた後も、老人は喉が裂けるほどに叫び続けた。

 その叫びは、駆けつけた医師が鎮静剤を打ち込むまで、止むことはなかった。





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― 新着の感想 ―
うわー……高校の頃真相にたどり着いたら……
うわ1話でここまでむかつくの逆に感心するレベルだ 全力でぶん殴りてぇ
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