【第7章】 廃村キャンプ編 35 ひまわり4
35 ひまわり4
水路をのぞき込んでいて、足を滑らして、落下。
途中で頭を打ち、意識を失った状態で流され、そのまま溺死。
警察の調べは信じがたかった。だが、それ以外の説明はつかなかったし、松江がこの世を去ったのは間違いない事実だった。
「陽向は自分が育てる」とひまわりは主張したが、学校も近くに無い廃村間近の限界集落で、血のつながりのない老婆が引き取ることを行政が許すわけがなかった。
陽向は遠縁の親戚に引き取られていった。
あれだけ賑やかだった屋敷はまるで別世界のように静まりかえった。ひまわりはこれまでと同じように生活した。堰堤の整備をしながら、最低限の野菜を作り、最低限の食事を作り、暗くなったら眠った。結局、山の畑には一度も赴くことはなかった。
ある日、村の麓に唯一住んでいた村民の老人が、別れの挨拶に来た。街に住む息子の勧めで施設に入るらしい。
老人を見送った後、ひまわりは気がついてしまった。
村は、滅びた。
洗濯場で洗濯する者も、水を汲む者も、とうにいない。田畑を耕す者すら。下流の村も、もう皆、無くなった。
ひまわりが水源を守る意味は、無くなったのだ。
ひまわりが体調を崩したのはそのあとすぐだった。すぐに満足に歩けなくなり、街の病院に入院した。
「手術が成功しても、今後はベッドの上だろう」
医者と看護師がそう話しているのが微かに聞こえた。
「病は気から」とは、よくいったものだとひまわりは老人が詰め込まれた病室で一人笑った。
もうなんの感情も動かないと思っていたひまわりだったが、そんなひまわりの元に陽向が見舞いに来るようになったのには流石に驚いた。
さらに驚いたのは、陽向の外見だった。
真っ黒に日焼けていた顔は数年の間に白くなり、あろうことかその顔に化粧が施してあった。そして、サラサラだった黒髪がパサついた金髪になっていたことに老婆は仰天して、ベッドから転がり落ちそうになった。
「もうすぐ、高校生だもん。これぐらい普通普通」
ベッドの側に座り、そう得意げに笑う表情はまぎれもなく陽向だった。
「それより、聞いてよ。ひまわり。私、ほんとの妹ができたんだよー」
聞くと、引き取られた親戚の家には、数ヶ月だけ年下の女の子がいたらしい。
「髪も一緒に染めたんだー」
やけに袖が長いセーターからわずかにのぞいた指で、嬉しそうに金髪を撫でる陽向に、ひまわりは「そうかそうか」と涙ぐむのを必死に押さえながら頷いた。
唯一、陽向の未来だけが気がかりだった。
ちゃんと毎日笑えているか。それだけが。
これで、心残り無く逝ける。そう思った。
ひまわりの手術の日まで、陽向は小まめに見舞いに来てくれた。
学校の話はあまりしなかったが、妹の話はよくしてくれた。友達の話も。
そして、村の話も。
「私、絶対あの村で、キャンプ場やるんだー」
「やめとけ。客が来るわけなかろう」
「来るって。ひまわりにとっては当然のものでも、田舎の古いものはウケがいいんだよ。井戸とか、囲炉裏とか」
「どうだか」
「そういうのを残しつつ、やっぱりテントとか張れる場所も欲しいなー。家の前の庭とか。どう?」
「それなら、屋敷で寝ればいいじゃないか」
「わかってないなあ。テントにはテントのロマンがあるんだよ。パパが昔、言ってた」
そうか。この子は、父と母の夢を叶えようとしておるのか。
大好きじゃったもんな。
未来について語るのは楽しかった。たとえその未来に自分がいなくても、そこに笑顔の陽向がいるのならば、ひまわりはそれで良かった。
「その、耳にはめとるやつは、音楽を聴くやつか」
ある日の帰り際、ひまわりは金髪からのぞくイヤホンを見て言った。
「うん。アイポッドだよ。妹にもらったんだー」
お下がりというやつじゃな。
「すごいんだよ。録音も出来る機種なの」
「そうかそうか」
話の内容よりも、陽向と話ができることが嬉しくて、ひまわりはしきりに頷いた。
「そうだ。これ、貸してあげるよ」
陽向はイヤホンを外すと、ひまわりの両耳にはめ込んだ。赤い本体をひまわりの胸にポンと置く。
「入院中、暇でしょ。音楽はいいよお。日々が豊かになる」
誰の受け売りか、そんなかっこつけたセリフを吐き、ひまわりが遠慮する暇も無く、「あ、バイトの時間だ」と陽向は立ち上がった。
「じゃあ、次回、返してねー」
イヤホンを無理やりに耳にはめられ、ぽかんとしているひまわりを置いて、陽向はご機嫌に帰って行った。
相変わらず、勝手なやつじゃ。
その夜、ひまわりは、赤い「あいぽっど」とやらと格闘した。
陽向の入れている曲はどれも馬鹿みたいにハイテンションで、頭が痛くなりそうだった。なんとか穏やかな曲は入っていないかといじくり回した結果、録音フォルダを開いてしまったらしく、陽向がふざけて録音した会話が次々と再生された。
どれもしょうもない内容だった。陽向の下手な歌声が入っていたり、妹との話し声が入っていたり、女友達との遊びの約束が入っていたり。
微笑ましく聞いているうちに、また余計なところを触ってしまったのか、再生が途切れた。当てずっぽうで機器をいじる。
夢中になっていたひまわりは近づいてくる足音に気がつかず。ベッドのカーテンが突然に開けられた事に驚いた。
「麻原さん。お久しぶりです」
艶やかな黒髪。縁の細い眼鏡。高級そうなパンツスーツ。
面会時間がとっくに過ぎた夜中の病室で、卯月梅はにっこりと微笑んだ。




