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キャンプをしたいだけなのに【2巻発売中】  作者: 夏人
第7章 人は誰にもなり得ない
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【第7章】 廃村キャンプ編 31 残り二発


 31 残り二発


 老婆の意識が途絶えるのを見届けた私は、がくりとその場に両肘をついた。ポタリと額から一滴の血が床に落ちる。

 カンナが心配そうに横から覗き込んでいるのに気づき、「大丈夫」と無理矢理に笑顔を作る。むしろ、車を穴だらけにしてしまって申し訳なかった。

「ナツ姉! 大丈夫! ナツ姉!」

 秋人が車に乗り込んでくるやいなや、叫びながら突進してきた。私の両肩を掴んでガクガクと揺さぶる。

「ナツ姉ええええええ!」

 私は揺れ動く視界を堪能しながら呟いた。

「秋人……」

「なに!?」

「うるさい」

「ごめん」

「あと、頭打ってんのよ。揺らすな」

「すみません」

 秋人がばつ悪そうにすっと身を引く。

 姫宮が背後で叫ぶ。

「ちょ! 私の心配もしなさいよ! こっちの方が重症でしょうが!」

「ああ。姫宮さん、いたんだ。大丈夫?」

「いたんだじゃねえよ! このシスコン野郎!」

 卯月刑事がそんな姫宮をなだめながら、ちゃっかりフィッシングナイフを取り上げる。それを横目に見ながら、キャンピングカー備え付きのシンクにもたれかかる。その後、秋人も拳銃を卯月に渡した。結局、一発も撃たなかったらしい。

「二人が走り出した後、僕は銃を手に入れて、卯月刑事と二人で屋内をクリアリングしてたんだ。あ、クリアリングってのは、タクティカル用語で、建物の部屋を一つずつ確認して安全を確保することね。おばあちゃんが土間のどこにもいなかったから、てっきり奥の浴室とかに隠れたのかと思って。最後は屋根裏部屋まで探してたんだよ。で、銃声が聞こえてきたから慌てて二人で走ってきたってわけ。でも、おばあちゃん、どこから屋敷の外に出たんだろう。裏口なんて無かったし、窓は全部、固定窓だったし、それに」

 私の額にハンカチを当てながら、まくし立てる秋人の早口を、私は片耳で聞き流していた。意識は倒れている老婆に向けられていた。皺だらけの顔を見つめる。

 強かったあ。

 二対一でもギリギリだった。何者なんだ。この婆さん。老人がしていい動きじゃなかったぞ。

銃を持っているからとか、そういう次元の強さではなかった。林間キャンプでそれは経験した。湖畔キャンプの白鳥や高原キャンプのランダルのような技術的な強さでもない。もちろん、肉体的な強さでもない。もっと精神的な。強いて言うのなら。

 執念?


「姫」

 私はふてくされて助手席に座った姫宮に声をかけた。

「なによ」と片頬が見事に腫れた姫宮がふり返る。

「ありがと。戦ってくれて。助かった」

 姫宮はほんの少しの間、黙って私を見つめ、舌打ちをすると前を向いた。

「別に、あんたのためじゃないわよ」

 その前を向く頭に問いかける。

「それはそうと姫。あんた、いったいこの婆さんに何したのよ」

 老婆は卯月と秋人によって、両手足をパラコードで念入りに拘束されていた。まあ、いまだに意識が戻る兆しはないが。

 姫宮は前を向いたまま、うんざりしたように叫んだ。

「知らないわよ!」

 フロントガラスに少量の血が飛び散る。うわあ。後で拭かないと。いや、穴が二つもあいてるし、フロントガラスごと交換かな。

「ご歓談中、悪いけど、出発するわよ。応援も、救急車も呼ばないと」

 運転席に座った卯月がそう声をかけると、ゆっくりと車が動き出した。

 



「私、なんだかんだで、死体を見るのは初めてだわ」

 管理棟。カウンターの奥の部屋。

 一人の男性が血だまりの中にうつ伏せに倒れていた。

「姫宮。この人がオーナー?」

 背後で涙目でうつむく姫宮は、無言で頷いた。

 オーナーのたっちゃんと呼ばれていたらしいドレッドヘアの男性は、出血の量から明らかに死亡していた。直視したいものでもなかった。やおら吐き気を感じて顔を逸らす。くそ。夢に出そうだ。

 秋人が即座に彼の元に跪いた。丁寧な手つきで顔を確認する。私たちに気を遣ったのだろう。そのままゆっくり顔を下向きに戻し、卯月に向かって首を横に振る。

 その後頭部。ドレッドヘアに既視感を憶える。

高校時代のほんの一瞬の記憶。だが、印象的な光景がよみがえった。まだ身長の低かった秋人の頭を小突く不良。水泳部の元エース。姫宮の彼。

「秋人、その人って」

「うん」

 秋人はやるせない表情で立ち上がった。

「拓也くんだね」

 私の背後で姫宮が嗚咽を漏らした。

 そうか。二人で、道を踏み外したのか。

 薬物売買に手を染め、こんなキャンプ場を作って。隠れ蓑にして取引を行って。

 そして、老婆の怒りを買い、撃ち殺された。

「た、たっちゃんが、ぜ、絶対上手くいくから、儲かるからって、言ったのに。あ、安全だからって、い、い、言ったのにいいい」

 本格的に泣き出した姫宮の肩を秋人が支え、「すみません。先に戻ってます」と二人で管理棟を出ていった。

「あったわ」

 卯月がオーナーの死体から一昔前の携帯電話のようなものを見つけ出した。姫宮の言っていた衛星電話だろう。

「うん。繋がるっぽい。ナツちゃんも先に出ておいてくれる?」

 警察との通信だ。関係者の私に聞かせたくない話もあるのだろう。私は素直に外に出た。正直、死体と長時間、同じ部屋にいたくなかったのもある。

 外に出ると、月明かりが辺りを照らしていた。夜空を見上げる。月は、今は完全にその身を現しているが、だんだんと暗い雲が空を覆いつつあった。そういえば、明け方は雪の予報だったか。

 思い出したかのように腕時計を確認する。深夜三時。

 思ったより時間が経っていない。ということは、私と秋人が薬で眠っていたのは、正味一時間程度だったのだろう。

 キャンピングカーのスライドドアは開け放たれ、その前に姫宮と秋人が椅子を並ベて座っていた。何やら話し込んでいるようだった。きっと拓也の思い出話をしているのだろうと思うと、会話に入る気にはなれず、少し離れてキャンプ場を見渡した。

 月に照らされた廃村は言いようのない物寂しさを醸し出していた。




「ナツちゃん。連絡がとれたわ」

 何分経ったのか。背後から卯月に声をかけられ、私の肩は跳ね上がった。

「ごめん。脅かした?」

「いえ」と首を横に振る私に、卯月刑事は「仕方ないよ。あんなことの後だもの」と微笑んだ。彼女も連絡が取れて安堵しているのだろう。表情が柔らかかった。

「でも、もう大丈夫。もうすぐ警察官がわんさか来てくれる。救急車もね。ナツちゃんはよくわからない薬も飲まされたし、頭も打ってる。ちゃんと病院で診てもらおう」

 私はぺこりと頭を下げる。

 私の不安げな表情を見て取ったのか、卯月は「ねえ。入り口に救助隊を迎えに行こうと思うの。管理棟まで案内しなくちゃだから。一緒に来ない?」

 私は頷いた。ここで一人、廃村を眺めているのもやるせなかった。

「いやー。それにしても、びっくりしたなあ。まさかナツちゃんとこんなところで再会するなんて」

 卯月が数歩前を行く形で廃村の道を二人で歩く。

「私の方がびっくりしましたよ。それに、卯月刑事、全然見た目が変わっていないから」

「え? 十年前と? ほんと? ありがとー!」

 卯月は両手で頬を挟んでふり返った。

「美容には随分突っ込んでるからなあ。そう言ってもらえると頑張ってる甲斐があるよー」

「へえ。突っ込むってどれくらい?」

「それは秘密だよ。野暮なこと聞くね」

いたずらっぽく笑う卯月に「すみません」と笑い返す。

「で、どうなの。秋人くんとは。籍はもう入れてるの」

「そんな訳ないでしょ」

「え、高校時代から付き合ってるのに? 秋人くん、甲斐性無しだなあ」

「当時から付き合っていません」

「嘘だあ。秋人くん。ナツちゃんにぞっこんだったじゃない。ということは、ナツちゃんが悪いんだ。うわあ。可哀想な秋人くん。十年もお預けされて」

「怒りますよ」

 笑顔で舌を出す卯月に、胸を掴まれるような懐かしさを感じる。高校の時、私と接する卯月刑事はいつもこんな感じだった。

 こっちが素なのか。それとも、銃撃戦の時の、あの厳しい態度が素なのか。

 いや。きっとどちらも卯月なのだろう。それでいい。

「卯月刑事、高校の校長室で、帰り際に言ったじゃないですか」

「え、なんて言ったっけ?」

「『ナツちゃん。ガールズトーク楽しかったね』って。エグい誘導尋問した後に」

「ええ! そうだっけ?」

 とぼける卯月に「そうですよ」と返し、自然と頬が緩んだ。

「正直、今の方がよっぽどガールズトークしてますね」

「二人とも、もうガールって歳じゃないけどね」

「卯月刑事は当時からそうだったですよ」

「あ、言ったな。言ってはいけない一言を」

 二人して笑う。ススキの林に笑い声が響いた。


 村の始まりの一本橋にまで来たとき、私は橋の近くに一台の真っ赤なスポーツカーが停まっているのに首を傾げた。昨日はあんな車は無かったはず。

「ああ。あれは私のよ」

 なるほど。あれに乗って卯月はここまで来たわけか。

「見かけによらず、派手なのが好きなんですね」

 高級そうな外車だった。すごいな。左ハンドルだ。道理でキャンピングカーもすいすい運転していたわけである。

「かっこいいでしょ」

「高そうですね」

「まあねー」と卯月は愛車を見てにんまりする。

「これまでの頑張りの証って感じ?」

 その表情に親近感を憶える。車に愛情が芽生える気持ちは痛いほどにわかる。愛車を次々と失った私からすると、特にだ。

「どれくらい、突っ込んだんですか」

「だから野暮だって」

 また、二人で笑った。


 どちらからというわけでもなく、二人して、橋の先を見つめる。もうすぐ、向こうから救助隊が来るのだ。

 私はふと、頭をよぎった一抹の不安を口に出した。

「あの、お婆さんのことなんですけど」

「うん」

 卯月が真顔になる。

「あの人は、本当にストローマンなんでしょうか」

「……違うと?」

 私は曖昧に頷いた。

 確証など、ない。

 老婆は確かに武装していて、そうでなくとも常人離れして強かった。そして確固たる殺意を持っていた。

 だが、思うのだ。

 あの老婆が二桁に登るような人数を、本当に殺したのだろうかと。

 しかめっ面で、おでんの餅巾着を頬張る老婆の姿を思い出す。

 川から私たちを引き上げてくれた、血に滲んだ皺だらけの手を思い出す。

 私はおもむろにキャンプ場をふり返った。

 放置された田畑を覆うススキが風に揺れる。

 老婆はここを奪われたと言っていた。

 姉も殺されたと。

 そこで私の中で違和感が生まれた。

 老婆は自作銃を持っていた。それで運営スタッフだった姫宮を撃った。

 その事実から、自然と管理棟の死体も老婆が殺したと私たちは決め込んでいたが。

『……たっちゃん…… オーナーが、最後に叫んだの』

 姫宮の言葉が思い出される。 

『ストローマンが来た。逃げろって』

 ストローマン。藁人形。

 自作銃を使い、手製爆弾を用いる殺人鬼。

 それは、本当に老婆だったのか?


「よくよく考えれば、おかしいんです」

 私は思考の流れをそのまま口に出した。

「姫宮の話では、オーナーの拓也は前の夜。つまり一昨日の晩に殺されたはずです。ですが、お婆さんは昨日、私たちが行きしなに車に乗せて一緒にキャンプ場に来た。おかしいですよね。その時にはもう拓也も死んでいて、姫宮は屋根裏に隠れていたんですから」

「なるほど」と卯月は顎に手を当てた。

「でも、こうは考えられない? お婆さんは一昨日の夜、このキャンプ場を襲撃して、オーナーを殺した。そして姫宮の存在には気がつかず、もしくは見つけられず、翌朝、帰路につこうとしていた。しかし、そこであなたたちが来たものだから、あなたたちも敵の一味かもしれないと思って取り入ってきた。そして再びキャンプ場に入り、今夜、姫宮が隠れていたことに気づき、改めて殺そうとした」

 卯月の考えに、なるほどと頷く。老婆の様子を直接見ていた立場としてはいくらか違和感は残るが、一応、筋は通っている。

「まあ、取り調べをすればその辺は解明されるわ。そもそも、あの老婆はストローマンではなく、このキャンプ場の殺しだけの犯人の可能性は大いにあるしね」

 なるほど。偶然手口がストローマンに似ただけだったという形か。確かに、それなら納得も出来る。

 卯月は緊張した声を出した。

「問題は、老婆は姫宮を殺そうとして失敗しただけの、ただの未遂犯。そして、オーナーの拓也を殺した犯人は別にいるっていうパターン」

 その可能性に、私は生唾を飲み込んだ。

 その場合、殺人鬼がもう一人、この村に潜んでいることになる。

「でも、それももう心配いらないわ」

 卯月が明るい声を出した。

「ほら。来たわ。思ったより早かった」

 卯月が指を指す。山間から、車のヘッドライトが近づいてくるのが見えた。

 思わず、安堵の息を漏らす。

 後に残った謎は、警察に任せよう。私はそれでいい。

 卯月が笑顔で手を振り、一歩前に出る。

 車は一台のようだった。この後、続々と登場するに違いない。

あっと言う間に近づいた車が、橋を渡ってくる。

 私はその場に立ったまま、長かった夜を振り返り、感慨にふけっていた。

 なぜだろう。ふと、老婆の最後の言葉が頭をよぎった。

『……阿呆が。あいつじゃ、ないわい……』

 確か、始めの射撃を外したことを悔やむ老婆に、急所でなくても姫宮の肩に命中したのだからそれで我慢しろと私が返したときに、老婆はそう呟いた。

 老婆は姫宮の肩を撃った。私はてっきり、老婆は胸や頭を打ち抜けなかったことを悔やんでいるのかと思ったから。

 あいつじゃ、ない。

 もし、老婆がそもそも別の人間を狙って撃ったのだとしたら。

 あの時、姫宮の側にいたのは。摑み合っていたのは。


 橋を渡り終えた黒いバンの助手席から一人の男が降りてきた。短髪のサイドを刈り上げている。警察の制服姿ではない。私服警官なのだろうか。それにしては随分派手なスカジャンだ。

 卯月が「佐藤。随分、早かったじゃない」と男に気さくに話しかける。

「ええ、ちょうど近くで仕事してたもんで。連絡を受けて」

「なに。あのジジイは来てないの」

「ボス自身は最近は現場には来ませんよ。歳っすかね」

「じゃあ、冬子は?」

「冬子も別件っす」

 私は会話について行けず、混乱した。刑事同士の話とは、こんな感じなのか?

「なんだ。下っ端の雑魚ばっかか」と卯月は大仰な溜め息をついた。

 男は笑って言った。

「ひでえな。ウメさん」

 ウメ。


 老婆の言葉が頭に響く。

『儂の名は、ウメではない』

『あんな奴と一緒にしてくれるな』


 老婆の住んでいた屋敷。大黒柱。

『ヒナタ 十さい』の横に刻まれた文字。

『ウメ』


 管理棟のカウンターに置かれていた三つ目の手紙。

『ウメ様へ』


 校長室。

 名刺。

 卯月が笑いながら胸ポケットから取り出し、私が受け取らなかった名刺。

『せっかくだし、下の名前で呼んで。私もナツちゃんって呼ぶから……』

『卯月刑事はどのようなご用件で来られたんですか』

 私が受け取らないと見ると、彼女はまるで始めからそう動こうとしていたかのような自然な動きで、テーブルにすっと置いた。私が読める向きで。

『卯月 梅』




「ああ。そうだナツちゃん」

 卯月が思い出したかのように私に振り向いた。

 バンの白いヘッドライトが眩しすぎて、私は目を細める。

 ガチャリと音を立てて、バンの両側のスライドドアが開く。次々と男達が降りてくる。

「さっき、屋敷でさ。言ってたよね」

 逆光で、卯月刑事の表情が見えない。

「撃てるの? 一般市民を?って」

 その手にはリボルバー拳銃が握られていた。

「さあ。問題です。この銃には何発残っているでしょう」

 装弾数は五発。

 屋敷で、かけ声と同時に一発。私が走り出した背後で、威嚇射撃二発。卯月は計三発撃った。

だから。

 卯月梅は囁いた。まるで内緒話でもするかのように。

「じゃあね。ナツちゃん」


 残り二発の銃弾が、轟音と共に私の胸に撃ち込まれた。





続きは今夜21時に投稿予定です。

よろしくお願いいたします。

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