【第7章】 廃村キャンプ編 30 対決
30 対決
老婆は二人の女に自作銃を向け、首を捻った。
先ほど老婆自身が肩を撃ち抜いた姫宮という女は、先回りした老婆に対し、驚愕の表情を浮かべ、恐怖のあまり今にも崩れ落ちそうだ。
だが、ヒッピー娘。
ナツという女は違った。驚きに目を見開いたものの、すぐに姫宮の前に立ち、盾になった。そして、老婆を鋭い瞳で睨み付けている。切り替えが早すぎる。
こいつ、想定しておったな。
完全に老婆の行動を予測していた訳ではないのだろう。もしそうなら、怪我人とここまで走っては来まい。あくまでも不測の事態を考えての、パターンの一つとして可能性を考慮していた程度だろう。
老婆はチラリと姫宮の両手に握られたフィッシングナイフに目をやった。
だから、一旦、キャンプ地を経由して武器を回収してきたのか。儂が坊主と眼鏡女を出し抜いて、自分たち自身が儂と対決する展開に備えて。
抜け目のない奴じゃ。
だが、ナツ自身はショルダーバッグを肩にかけている以外、何も武器を持っている様子がない。どこに隠しておる。
「もう一度言う。スライドドアを閉めろ」
ナツは老婆を睨み付けたまま、ゆっくりと平行移動する。姫宮もナツに沿って動くので、常にナツの背後に隠れている。ナツは手をスライドドアの取手にかけた。
ガタンと音を立ててドアが閉まる。
やはり。余裕がありすぎる。
銃を向けられているのだ。自作銃とはいえ、威力のほどは姫宮の肩の傷で証明済みのはず。
「その銃、良く出来てるわね」
ナツが語りかけてきた。
「パイプ一本で一発ってとこかしら」
老婆は自身が組み上げた銃を構え直した。
この銃の構造は単純である。鉄パイプ一本に一発の弾丸と必要量の火薬が込められている。銃口の反対側のパイプの根元に撃針が仕込んであり、引き金を引くと撃鉄が降りて撃針を叩き、火薬が発火。弾丸が飛び出すという仕組みだ。一発撃てば、パイプの束ごと回転させて撃鉄の前に次のパイプをセットする。
「そうなると、装弾数は四発。さっき三発撃ったから、あと一発」
ナツの背後で姫宮が瞳に光を取り戻す。あと一発凌げばなんとかなると思ったのだろう。
老婆は自分の動かないしかめっ面を初めてありがたいと思った。もし、顔の筋肉が麻痺していなければ思わずほくそ笑んでしまっていただろう。
「と言いたいところだけど」
ナツがコキリと首を鳴らす。
「さっき、居間に使用済みのパイプが転がってた。壊れたのかと思ったけど。でも、あんたが今持っている銃には銃口がちゃんと四つある」
ナツは本当に興味深げに老婆の銃を見つめた。
「面白いわね。それ、銃身ごと外して、装填するのね。つまり、使用済みの三本はすでに外してあって、新しいパイプをはめ込んでる。だから、装弾数はリセットされて四発」
鋭い娘だ。この状況下で相手の武器の構造まで把握しおった。
老婆はナツに舌を巻きながらも疑念がますます大きくなった。
そこまでわかっていて、なぜこの女は堂々としておる。銃が怖くないのか。
「婆さん。あんた、私たちに何飲ましたの」
急な話題転換に一瞬思考が追いつかなかった。ホットワインに混ぜた薬の話か。
「安心せい。死にはしないとそう言ったじゃろ。病院からくすねた薬じゃよ。儂が暴れたときなんかに打ち込まれた。飲んでも効くらしいから試してみたが、思った以上に、すぐに効いたな」
「素直に飲んでくれて助かったよ」と老婆は笑った。笑ったところで老婆の表情筋は大して動かないが。
「てか、私のネックナイフ、返してくれる?」
ナツが不機嫌そうにまた話題を変える。
「ああ。これか?」
老婆は自身のお守りと一緒に首から提げた黄色い小型ナイフをチラリと見た。
「思ったより刃は短かったが、使い勝手がいいの。ロープを切るのに最適じゃった。もう少し貸しといてくれ」
老婆は「さて。世間話はこれぐらいにしようか」と場を仕切り直そうとした。だが、ナツの「ねえ」という声に阻まれる。
「なんで、こんなことをするの」
「言ったじゃろ。殺された姉の復讐じゃ」
「誰が殺したの。いつ?」
次々と質問を投げられ、そこで老婆は気がついた。
この娘、余裕ぶった振りをして、時間を稼いでおるな。
屋敷に残った二人は、そのうち、家のどこにも老婆がいないことに気がつくだろう。そしたら血相を変えてこちらに向かってくるに違いない。それをナツは待っているのだ。
「なあ。ヒッピー娘」
老婆はナツに語りかけた。ナツも時間稼ぎはもう出来ないと悟ったのだろう。無言で老婆の言葉を待った。
「儂は別にお前を殺す気は無い。姉の件とは無関係であることは、流石に儂もわかっとる。邪魔をせんでくれたらいい。黙って見ておってくれ」
儂はお前を、殺しとうはない。
「悪いけど」
ナツは一瞬の迷いもなく答えた。
「それはできない」
老婆は溜め息をついた。
「交渉、決裂じゃな」
姫宮が短く息を吸い込む音が車内に響く。ナツの肩のショルダーバッグがドサリとその場に落ちた。
「そうね。残念だけど」
ナツが視線を落としながら、すっと右手を背中に回す。
「仕方ないのう」
老婆は引き金に指をかけた。親指で撃鉄を上げる。
「戦争じゃ」
ナツが背中から鉄のフライパンを引き抜いたのと、老婆が引き金を引いたのはほぼ同時だった。いや、わずかにナツの方が速かったのだろう。胸の前に出されたフライパンに弾丸は弾かれ、金属音と共に側面の窓を割った。反動でフライパンもナツの手を離れ、床に転がる。
老婆は次弾を装填するため、鉄パイプの束を手でガチャリと回す。その隙を狙っていたのだろう。ナツが突進してきた。無論、その動きも老婆は想定済みだ。素早く後ろに下がる。
だが、老婆は下がることが出来なかった。すぐに足が後部座席にぶつかったからだ。対して、ナツは閉所での動きとは思えないほどに勢いをつけて老婆に飛びかかった。完全に間合いをわかっている。
老婆は咄嗟に左側面に飛び退いた。が、ナツは勢いをそのままに、天井に取りつけられたハンドルを左手で握ったかと思うと、空中で腰を捻って方向転換し、後部座席の背もたれを蹴りつけた。そして老婆に向かって背もたれの上を垂直に駆け抜けた。
こいつ、猿か。
老婆は咄嗟に銃を構えようとするが、全長一メートル近くある自作銃を高速で迫る相手との間に挟み込むことは不可能だった。天井から手を離したナツに両手で銃口を掴まれる。反動で引き金が引かれ、轟音と共に運転席のフロントガラスに穴が開いた。姫宮が悲鳴を上げてしゃがみ込む。
老婆は銃越しに、ナツに壁に押しつけられる形になった。目の前にナツの顔が迫る。
そうか。ここはこの娘の領域か。
老婆はここでようやく地の利が相手にあったことを理解した。
先ほどの屋内での銃撃戦。あれは完全に老婆の領域だった。当然だ。元々老婆の住処なのだから。
そして、この車は、お主の家、じゃったな。
ギリギリと二人で自作銃を押し合う。
「……いいフライパンじゃな」
老婆は絞り出すように言った。
「ありがとう。スキレットっていうのよ」
ナツも額に汗を浮かべながら返す。
膠着状態の中、老婆はあと何秒の猶予があるか考えた。
二発の銃声。屋敷の二人が聞き逃すはずがない。事態に気づいて走ってくるはずじゃ。あって数十秒。それまでにこの二人を倒さなければ、儂は負ける。
十年間。
もうベッドから起き上がることはできないと医者に診断されてから十年。
死んだ方がましだと思えるリハビリをこなし、ぼけた老人を装って周囲を欺き、日に日に進む身体の衰えを無視して身体を鍛え続け、十年間。
この数十秒に全てがかかっている。
老婆はふっと銃を押す力を抜いた。唐突な脱力に、全力で銃を押し込んでいたナツがバランスを崩し、前のめりになる。
その額に、老婆は渾身の頭突きを叩き込んだ。
鈍い音と短い呻き声。ナツの銃を掴む力が一瞬緩む。
その瞬間に老婆はナツの腹を蹴り飛ばした。
派手な音を立てて、ナツが車内の床に倒れ込む。即座に老婆はナツに銃を構える。急所を外す余裕などない。四肢を撃ち抜いたところでこの娘は止まらない確信があった。
許せ。ヒッピー娘。
「あああああ!」
側面から叫び声が上がる。姫宮がフィッシングナイフを両手で構えて突進してきた。
老婆は冷静に太刀筋を読み、ナイフを避ける。同時に銃を反転させると、銃床で姫宮の腹を叩いた。くぐもったうめき声を漏らして姫宮の動きが止まる。その横面に銃床を振り抜いた。姫宮がもんどり打って倒れる。
「くそばばあ!」
ナツの叫びにふり返ると、額から血を流しながらもナツが立ち上がっていた。右手には黄色いネックナイフが握られていた。儂の首からかすめ取ったのか。いつの間に。大した娘じゃ。全く。
長い銃を狭い車内で振り回す愚行を繰り返すつもりはなかった。ぱっと左右の腕を入れ替える事で銃口の向きを変える。利き手ではない左手で引き金を引くことになるが問題あるまい。この距離なら必ず当たる。
だがその時、予想外に姫宮も立ち上がった。彼女の手には相変わらずフィッシングナイフが握られていた。血を床に吐き出しながら姫宮が叫ぶ。
「調子のってんじゃないわよ!」
右にナツのネックナイフ。左に姫宮のフィッシングナイフ。
両方は防げない。
老婆は瞬時に判断した。
ナツのネックナイフの刃渡りはせいぜい5センチ。あんな小さな刃物で人は殺せん。
老婆は再度、銃を持ち替えた。姫宮に銃口を向ける。姫宮がびくりと肩を震わす。
ガチャリとパイプの束を回転させる。
「姫! 伏せて!」
叫ぶと同時に、ナツが突っ込んで来た。右の太ももに鋭い痛みが走る。刺しよった。
だが、予想通り、動きが止まるほどのダメージではない。
引き金を引く。間一髪、姫宮は床に倒れ込み、回避した。フロントガラスに二つ目の穴があく。
老婆は焦らず、振り向きざまに、ナツの側頭部を銃床で殴打した。ナツがその場に倒れ込む。ネックナイフが床に転がった。
最後の一発。
老婆はゆっくりと銃を構え直した。右手の人差し指を引き金にあてがい、しゃがみ込む姫宮に銃の狙いを定めた。姫宮の瞳が絶望に染まる。
儂の勝ちじゃ。
パイプの束を左手で回転させる。
が、回転しなかった。
老婆はきょとんと銃を見つめた。
力一杯に引っ張ってもパイプの束が回転しない。
なんだ。なぜ急に固くなった。部品がイカれたのか。
しかし、すぐにそうではないことに気づく。
老婆の左手が意に反してだらんと垂れ下がったからだ。
銃が固くなったのではない。
儂の力が弱くなった。
気がつくと、老婆は膝をついていた。ガチャンと音を立てて銃が車の床に転がる。
「安心して」
ナツが背後で立ち上がる。
「死にはしないんでしょ」
老婆は呆然と自身の脚を見た。ネックナイフで刺されたとばかり思っていた右の太ももには、見覚えのある注射器が刺さっていた。
やられた。
老婆は床に倒れ込んだ。急速に意識が遠のいていく。
ナツの顔が上からのぞいた。その顔に向かって呟く。
「負けたのか。儂は」
「ええ」
ナツは頷いた。
「あなたの負け」
バンッとスライドドアが開け放たれた音がした。坊主が何やら叫んでいる。
やるだけやった。だが、それでも儂は結局、し損じた。
脳裏をよぎったのは、今夜の一番始めのしくじりだった。
「……最初の一発、当ててさえいればな」
白くぼやける視界の中、ナツが小首を傾げる。
「当てたじゃない。姫宮、死にかけたわよ」
ナツがまるで慰めるように言う。
「何があったか知らないけど、あれで、十分じゃない?」
老婆は最後に鼻を鳴らした。勘違いをしている娘と、目的を達することが出来なかった自分をあざ笑う様に。
「……阿呆が。あいつじゃ、ないわい……」
瞬間、老婆の意識は完全に霧散した。




