【第5章】 高原キャンプ編 4
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馬ヶ岳高原キャンプベースは文字通り山の上にある高原キャンプ場だ。冬場はスキー場として利用されているらしいが、近年のキャンプブーム到来に伴い、夏場はキャンプ場として活用される流れになったらしい。
冬はスキー場、夏はキャンプ場という経営スタイルの施設は結構多い。スキー場のレストハウスは元々トイレもあるし電気も通っているので、キャンプの管理棟としてそのまま転用できる。また、ゲレンデのレストハウス前は斜面の終わりとしてなだらかな事が多いので、広大な平面がすでに整地されている状態だ。キャンプサイトとして転用するには申し分がない。
そんな中でも、馬ヶ岳高原キャンプベースは少し特殊であった。大抵、スキー場を転用したキャンプ場は山の麓、つまり、山の下部のゲレンデの最低地点にあるレストハウスの周りをキャンプサイトとすることが多い。それに対し、馬ヶ岳高原キャンプベースは最高地点(山頂エリア)のレストハウスを管理棟とし、その周りにサイトがあるのだ。
標高は1000メートル超える。本来、スキー場のそんな高さの所にはリフトに乗って行くものだが、馬ヶ岳は山頂まで車道が通っている。つまり、車やバイクで山頂までアクセス可能なのだ。
黄色いハンターカブが馬ヶ岳の曲がりくねった車道をすいすい進んでいく。125CCのバイクなので大型バイクの馬力には到底及ばないが、坂道で減速することはあっても止まることはなかった。この規格のバイクの中では、ツーリングでの性能に定評があるのも納得だった。この子がいれば、行けないところなんてないと思えた。だってカブだから!
時刻は17時を回っていた。街中ならまだまだ明るい季節だが、山中ではそうもいかない。木々の隙間から差し込む夕日は頼りなく、それも山の角度により完全に届かなくなった。辺りが急激に暗くなる。私はヘッドライトをつけた。ハンターカブの純正のヘッドライトはそこまで光量が強くないと聞いていたため、私は購入当初から追加でフォグランプと呼ばれる補助ライトを前輪の左右に取り付けている。三つのライトから発せられる頼もしい光が暗い車道を照らし出した。
途中、何台かの車とすれ違う。カップルやファミリーが多かった。日中のみ山頂でデイキャンプを行っていたのだろう。その度に私は速度を極限まで落として道を譲った。少し大げさだったかも知れないが、ガードレールの向こうが断崖絶壁になっているカーブが少なくなかったのだ。ハンドルさばきを間違えば真っ逆さまである。そんなリスクは背負いたくない。
永遠に続くかと思われたカーブ地獄がようやく終わりを迎えた。右に左に揺らされて平衡感覚がおかしくなりそうな所だったので、山頂の看板が見えた時の安堵は大きかった。ライトが薄暗い中に映し出した『馬ヶ岳高原キャンプベース』の看板は材質からして真新しい。オープン直後のキャンプ場であることが看板一つから伝わってくる。
木で作られた鳥居のような門をくぐると、草原が広がっていた。日が沈んでいるので全体像は見えないが、相当広い。元々のゲレンデも相当規模が大きいのだろう。かなり遠くに明かりがついた建物が見えた。管理棟だ。あそこが草原の中心らしい。他に明かりがないことから、キャンプ客は皆帰ったのだろう。
足下を見ると草原にはタイヤの跡があった。どうやら車両のまま入って良いらしい。私は管理棟を目指し、ハンターカブで草原を突っ切って行った。暗いのでスピードはあまり出せないが、道のない平野を走り抜けるのは言いようのない開放感がある。周りが見えたらより爽快だろう。是非、日中にもやってみたい。
暗い草原をライトを頼りにがたがたと進む。リアボックス周りに括り付けた荷物たちが落ちないか心配だったが、今のところ荷崩れの気配はなかった。紐でギチギチに固定しておいてよかった。
管理棟は平屋の大きな建物だった。恐らく冬場はレストハウスとして食堂にでもなっているのだろう。ガラス張りの室内からわずかながら明かりが漏れていた。
「おーい! 待ってたよ!」
管理棟の出入り口が開いて、一人の男性が歩み出てきて、私に手を振った。室内の明かりが逆光になってよく見えないが、大柄な男性だった。大きな帽子を被っている。
あれが私の雇い主、樽木さんだろう。
「すいません! 遅くなりました!」
管理棟の前は大きな広場になっていた。その広場はきちんと整地されているらしく、急にタイヤの回りがよくなる。そのまま管理棟の近くまで走らせると、とりあえず軒下にハンターカブを停め、入り口に立っている樽木の元に駆け寄った。
「はじめまして! 斉藤ナツです」
樽木はにっこりと微笑んだ。
「はい。こんばんは。私がランダル。よろしくね!」
樽木、ことランダルは近くで見るとやはり背が高かった。180センチはあるだろうか。それにしては全体的に痩せているせいか、威圧感は感じられないのが不思議だった。日焼けていたが綺麗にひげが剃られており、清潔感があるからかもしれない。屈託のない笑顔と、その際にできる目尻の皺も好印象だ。歳は40代後半と行ったところだろうと私は当たりをつける。
だが、服装が特徴的だった。
チェック柄のシャツ。バックルの大きなベルト。着古されたジーンズ。皮のブーツ。そして頭にはカウボーイハット。
西部劇の住人にしか見えない。これはもうわざとやっているのだろう。
「いやあ。バイクで登場とは粋だねえ。山道を登るのは大変だったんじゃないかい?」
「いえ。それほどでもなかったです。長かったですけど」
「そうだろう。そうだろう。ここの標高は1000メートルを超えるからねえ」
ランダルは食堂の中を指し示した。
「書類が置いてあるから読んでサインをしてくれるかな? その間に夕食の準備をしよう。折角だから外で食べようと思うのだが、どうかね?」
「ありがとうございます。樽木さん」
「私のことはランダル! もしくは・・・・・・」
「ありがとうございます! ボス!」
遮るように言い直した私に、ランダルは相好を崩した。
「よろしく。サマーくん」
食堂のテーブルで契約書にサインをしているわずかな間に、広場の中心に夕食会場が設営された。あっという間だった。それもそのはず。ランダルはキャンピングカ―で広場の中心に乗り入れたのだ。
レトロな車だった。バスと言ってもよい。細長いが全ての角が丸いフォルム。フォルクスワーゲンだろうか。
キャンピングカーが停車すると、ランダルが車体の側面のスライドドアから降りてきた。両手にバーベキューコンロを持っている。車内から漏れる暖色の光が草原を微かに照らし出す。
私は書き終えた書類をそのままテーブルに置いて、まるで見とれるようにそのキャンピングカーに歩みよっていった。ランダルはキャンピングカーの側面にタープを張って即席の屋根を作っていた。その屋根にランタンを吊り下げたので、本格的に広場が暖かい色に染まった。
暗い草原に囲まれた広場の真ん中に煌々と光るキャンピングカー。それにふらふらと近寄る私はさながら光に吸い寄せられる夏の虫のようだったろう。
車種が知りたくて車の正面に向かう。
丸い小ぶりなヘッドライトが二つ。まさにお目々といった形だ。大抵はエンブレムがある鼻の部分にはタイヤが一つ取り付けられていた。車の前方にスペアタイヤがあるのは珍しい。ヘッドライトと相まって、つぶらな瞳と大きな鼻のパンダの顔のようだった。
「お。気に入ってくれたかい。フォルクスワーゲン、タイプ2、キャンパーだ」
再びスライドドアから出てきたランダルは、今度は折りたたみテーブルを持っていた。
「1978年製。ウォークスルータイプだよ」
そう得意げに言うランダルの背後から見える車内には水面台や冷蔵庫が見えた。車の後方はベンチになっている。あれが倒れてベッドになるのだろうか。
興味津々にのぞき込む私の様子が嬉しかったのか、ランダルは上機嫌に車の紹介を始めた。
「キッチンはオリジナルのものが古くなっていたので、自作したんだ。見てみるかい?」
「いいんですか」
ランダルが「もちろんさ」と言うがはやいか私はキャンピングカーに乗り込んでいた。
外から見た大きさはワゴン車というサイズ感だったが、乗り込んでみると、随分車内は広く感じた。すぐに気づく。天井が高いのだ。私ぐらいの身長なら屈まなくてもなんとか立てる。見たところ天井にはまだ何かしらのギミックがありそうだった。さらに天井が高くなったりするのだろうか。
助手席は回転式のようで、後方のベンチと対面でテーブルを囲める仕組みになっているらしい。
ランダル自慢のキッチンは確かに真新しいようだった。蛇口の形状も今風だ。だが、外側の装飾にはこだわったようで、シンク下の戸棚は全て木製だった。レトロな雰囲気を壊したくなかったのだろう。
そのそばにはテーブルが床に固定されていた。アルミ製の支柱は床にしっかり組み込んであるが天板は折り畳み式のようだ。後部座席と回転する助手席の真ん中に当たる位置だ。これを中心として家族で団らんするのだろう。
ジューと肉が焼けるいい音が聞こえてきた。見ると、いつの間に火を入れたのか、足の長いコンロに大きな鉄板が置かれ、その上で二つの肉塊が煙を上げていた。
「好きに見てくれたまえ。きっとカンナも喜んでいるよ」
「カンナ?」
ランダルは肉から目を上げずに言った。
「車の名さ。そう呼んでいるんだ」
愛着という感情が馬鹿にならないということは私自身つい最近経験したばかりだったので不思議には思わなかった。愛車に名前をつけてしまうことだってあるさ。
そう納得して、車内に目を戻した私はびくりと身体を震わせた。
後部のベンチシート。おそらくは倒れてベッドになるのであろうほぼ垂直のシートに、一人の少女が座っていた。
セーラー服を着ていた。膝までぐらいの紺のスカートに白いシャツ。襟には細くて赤いリボン。色白。長い黒髪が背中に流れている。
そんな美少女がちょこんと後部シートに座っていた。
え? さっきまで、いなかったよね。
彼女はおどおどした様子で、ぺこりと私に頭を下げた。
私も慌てて下げ返す。
ゆっくりと後ずさるようにして、私はキャンピングカーから降りた。
「えっと、ボス?」
「なんだい? サマーくん!」
私は肉をひっくり返しているランダルを見た。上機嫌に口笛を吹いている。
「・・・・・・娘さんですか?」
ピタリと、ランダルが動きを止めた。
肉がじゅーと鉄板の上で音を立てる。それを無言でランダルは見つめた。
何秒、いや何十秒だろう。ランダルはまるで停止ボタンを押された映像のように微動だにしなかった。
「た、樽木さん?」
「おっとまずい。焦げてしまう」
私の声に我に返ったかのようにしてランダルは動き出した。
「少々ウェルダンよりになってしまったかも知れないが、許しておくれサマーくん。それから私のことは・・・・・・」
「しっかり焼いたのも好きですボス」
ランダルは平皿に肉を移しながら「それはよかった」とにやりと笑った。
「そうだ。カンナは娘の名だよ」
私は再びキャンピングカーに乗り込んだ。予想はしていたが、少女の姿はすでに消えていた。シートにはもう誰も座っていない。
「なんで気がついたんだい? ああ。そうか。写真を見たのかな」
私はそう言われて車内を見渡した。助手席の前に写真立てがある。近寄って手に取った。少し若いランダル。相変わらずカウボーイの格好をしていた。
そのランダルに抱きつく幼い女の子がいた。同じくカウボーイのコスプレをしている。二人とも満面の笑みだった。
写真立ての裏を見る。
『カンナ。十歳』
私は黙って、写真立てを戻した。




