【第5章】 高原キャンプ編 3
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さて。私に降りかかった悲劇の話の続きをしよう。
私が失ったのは職だけではない。
湖畔キャンプ。白鳥湖キャンプ場において、私は愛車の黄色いミニクーパを湖に沈められた。
あれは良い車だった。もともと中古車で、ナビも古いし、エアコンの効きは悪かったし、外観の小傷も沢山あったが、それを補ってあまりある愛着があった車だった。
ちなみに沈めたのは白鳥幸男とかいうマッチョ眼鏡サイコパスだ。マジで許せねえ。警察に引き渡す前にもう二回ぐらい轢いてやればよかったと今でも本気で思う。
とはいえ、服役中の変態にいつまでも呪詛を送っていても人は前には進めない。私は新しい相棒を手に入れることにした。
しかし、いざカタログを捲っていろんな車種を調べてみてもどうもしっくりこない。キャンプに適したオフロード車や、流行のSUVなど、たくさん候補は挙がったが、やはりあの可愛くレトロな存在に敵う車は見つからなかった。調べれば調べるほど黄色いミニクーパの勇姿が脳裏にちらつく。同じ車種を中古で買おうかとも思ったが、何分古いモデルなのであまり出回っていない。それに、きっと同じ型の車があったとしても、その車は外観が同じだけであって全く別物である気がしてならなかった。
もう私にとって、愛車とはあの子しかいなかったのだとそう思ってしまうほどだった。
友人の美音には「まるで失恋みたいですね」と言われた。的確かもしれなかった。
もう一人の友人、紗奈子には「失恋の痛手は、次の恋で上書きするしかないよ!」と笑われた。失恋で自殺寸前まで追い詰められながら今では立派なシングルマザーをしている紗奈子が言うと説得力がすごかった。
ということで、私は丸一年の逡巡の末、新しい恋に踏み出したのだ。
警察署を出た私は、空を見上げた。雲一つ無い青空だ。腕時計を見る。もう夕方になろうかという時間だったが、初夏の日差しは燦々と降注いでいた。まだ五月だとは思えない容赦の無い日光に晒されながら、署の駐車場を横切り、新しい恋人のところに向かう。ごめんね。待たせちゃって。
私は気がついたのだ。私にとって、理想の車はあのミニクーパしかいないと。それはもうごまかしようのない事実なのだ。もう今さら他の車なんかに乗れるものか。
だったら、もういっそ自動車でなければいいのだ。
一台の黄色いバイクが、署の駐車場にちょこんと駐車されていた。
ホンダCT125ハンターカブ。
正確な区分は125CCの原付二輪である。原付という名ではあるが、50CCではないのでバイク中型免許が必要。速度制限もない。立派なバイクだ。
カブシリーズらしいコンパクトでかわいらしいフォルムでありながら、随所に軍用車を思わせる無骨なデザインがちりばめられている。
そして、何よりボディカラーである。
シリーズ新色のターメリックイエロー。
そう。この色だよ。斉藤ナツの愛車と言えばこの色だ。
幸運を呼び込みそうな鮮やかな、でもちゃんと深みのある濃い黄色のボディー。その随所を固める黒とシルバーの機械部分。そしてキャンプ用に取り付けた実用的なオプションパーツの数々。機能的なキャンプ専用バイクといった雰囲気を醸し出している。
かっこいい。え? かっこよくない? うん超かっこいい。なにこれ最高じゃん。
私はハンターカブに近寄り、その黄色いつややかなボディーを撫でた。
新車だ。傷一つ無い。
その愛らしさに出来れば頬ずりしたいぐらいだったが、初夏の日差しでボディーはかなりの高温になっていたので、思いとどまった。
ハンターカブの前にも後ろにもキャンプ道具がてんこ盛りに詰まれている。それなりに高価なギアも多いので、長時間駐車する際は盗難が気がかりだが、今回に限ってはその心配はなかった。だって警察署だもん。署の玄関前に盗難を働く馬鹿はいまい。
私は「よっ」とハンターカブにまたがった。ちなみにシートは純正のものが固く感じたのでクッション性能の高いものに交換している。
鹿のキーホルダーをつけた銀のキーを差し込み、エンジンをかける。手元のスイッチでも始動できるのだが、あえて右足のレバーに体重をかけて踏み切るアクションでエンジンを始動させる。キックスタートだ。
ブルンと揺れて車体が振動を始める。かかった。
125CCならではの控えめで少し高音のエンジン音が耳に心地よかった。
純正サイドスタンドと、追加で取り付けているカスタムサイドスタンドの二つを後ろ足で外し、出発する。
警察署を出て、田舎の広い車道をハンターカブで軽快に走り出す。
夏の空気を自分の身体で切り開き、風を作る。風を切るとはよく言ったものだ。
この爽快感は、自動車では決して味わえないものだ。取調室で鬱屈したストレスが風で洗い流されるようだった。
が、それは信号で止まるまでだった。
ハンターカブは座高が高いのが難点で、女性の平均身長の私はまたがった状態ではどう頑張っても片足しか地面につかない。まあ、片足が届くなら信号待ちぐらいでは問題ないので慣れれば特に苦ではない。ちょっとお尻をずらさなければいけないがまあそれぐらいだ。
問題は日差しである。気持ちいいほどの晴天。直射日光が私の全身を容赦なく直撃する。アスファルトの照り返しも半端ではない。これでまだ五月だというのだから恐れ入る。まったく、近年の気温の上昇には閉口してしまう。真夏などどうなってしまうのだろう。その苦痛のほどは、さっきの空調が効いた取調室に戻りたいとちらりと考えてしまうほどであった。
日差しと天候だけは如何ともし難い。確かにこれは冷房が搭載された自動車と比べるとバイクの難点であると言わざるを得ない。
車道の先に蜃気楼まで見え始めた。
くそ。信号ってこんなに長かったっけ。
気を紛らわそうと私はハンドルに固定したスマホを覗いた。ナビアプリが起動している。
『馬ヶ岳高原キャンプベース』
それが今日の目的地だ。到着時間を確認する。どうがんばってもキャンプ場につくのは夜になってしまいそうだった。そこで私は大事なことを思い出した。
慌てて辺りを見回す。信号の近くにわずかな木陰を見つけ、キックボードのようにバイクをそこまで移動させた。小回りが利くとこういう際には便利だ。
私はハンドルに固定したスマホを取り外し、一本の電話をかけた。
数回のコール音のあと、カチャリと電話が取られる。
「はい! 馬ヶ岳高原キャンプベース、代表のランダルでーす!」
陽気な男性の声がスマホの向こうから届く。対して私はできるだけ申し訳なさそうな声を作った。
「あ、すみません。斉藤です・・・・・・」
「ああ! サマーくんだね! 取り調べは終わったのかい? 全く、君って子は何をやったんだい?」
「あ、えっと、人命救助? 的なやつです」
電話の向こう側で口笛が吹かれる。
「すごい! やるじゃないかあ! うんうん。困った人は助けてあげないとねえ!」
「すみません。樽木さん。今日の午後からの約束でしたのに。そちらに着くのは夜になってしまいそうなんです」
「構わないさあ! そんなこと!」
電話の相手は大仰に笑った。
「今日は平日だからね。それほどの客数じゃないんだ。全然、私一人でなんとかなるよ!」
「すみません」
「そ・れ・よ・り・も!」
彼は芝居ぶった声で言った。
「私のことは樽木ではなく、ランダル! もしくはボス! と呼んでくれ給え! 前にお願いしただろう?」
私は若干、口ごもりながらも、「はい。ボス」と答えた。
「よろしい! では待っているよ! 夕食をともにしようじゃないか!」
「あ、それは自分で用意します。今日は働いていませんし」
「そんな! 遠慮しなくていいよ!」
「ですが・・・・・・」
「いいから、いいから! 何時頃になりそうだい?」
私は腕時計をに再度目を落とす。
「十八時ごろまでにはつくかと・・・・・・」
「オッケイ! 待っているよ! サマーくん!」
プッと通話が切れた。彼の大声で少し耳が痛くなった気がする。
前の電話の際も思ったけど、癖のある人だなあ。
信号はちょうど青に変わったところだった。スマホをホルダーに戻すと、左足でロータリー式ギアシフトを操作して走り出す。
再び心地よい風が吹き抜けていく。
今日目指すキャンプ場には客として行くのではない。
働きに行くのだ。
『馬ヶ岳高原キャンプベース』
私の、新しい職場だ。
明日も朝から投稿します。
どうぞよろしくお願いいたします。




