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キャンプをしたいだけなのに【2巻発売中】  作者: 夏人
第4章 ずっと側にはいられない
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【第4章】 星空キャンプ編 48


 48

 

「はーるちゃん!」

 そう言って、ひょいっと病室に顔を覗かせた奈緒の顔が元気そうで、春香は心から安心した。

「ナオちゃん。体の調子どう?」

「うん。全く問題なし。ほとんど検査しかしてないよ。シートベルトって偉大だねえ」

 そう言ってにこにこと奈緒は春香のベッドに歩み寄ってきた。

 春香も絆創膏だらけではあったが、大きな傷はそこまでなかった。疲労で丸一日、まったく目を覚まさなかったらしいが。

 春香はベッドの縁に腰掛けた。その隣に奈緒が座る。

 ん? なんか後ろ手に隠しているな。

「はるちゃん。あたし、今日、このあと退院するんだ」

「そうなんだ。私は念のためにもう一日って言われてる」

 奈緒は「そっかあ。じゃあ、あたしの勝ちだね」と笑った。

 春香も「いや、勝ち負けとかじゃないし」と笑った。

 少し、二人して黙って、奈緒がぽつりと言った。

「お別れだね」

 うん。お別れだ。

 小学校は違うけど、同じ市内のはずだから、また会おうと思えば会えると思う。でも、なんらかの理由でそれは難しいのだと言うことが、奈緒の口調からなんとなくわかった。

「ねえ。お願いがあるの。これ、ハルちゃんが持っててくれない?」

 そう言って奈緒は、後ろ手に隠していた、焼き杉の板を春香に差し出した。

 春香は思わず「わあ」と声を上げた。

 マッチとランプと一番星の絵。奈緒とナツと春香の絵。

 色が塗られたその作品は、愛おしいほどに輝いて見えた。

「すごい・・・・・・いいの?」

 奈緒は照れ笑いをしながら頷いた。

「うん。家に持って帰っても、どうせママに捨てられちゃうから」

 春香は黙った。娘が一生懸命描いた絵を、捨てる親などいるのだろうか。

 いるのだろうな。

 奈緒の目を見ていたら、それぐらいはわかった。

「今回の騒ぎがなければ、いいように言って押し入れに入れとくぐらいは許してもらえたかも知れないけど。ちょっとママ、今、パニックになってて。キツそうなんだ」

「そっか」

 そう答えることしか、春香には出来なかった。

「あ、じゃあ」

 春香はベッドから飛び降り、床に置いたボストンバッグに駆け寄った。

「これ。お返しにあげるよ。これならこっそり持っておけるでしょ」

 春香は奈緒が欲しがっていたテレフォンカードを差し出した。

 奈緒が驚く。

「いいの? ママにもらったんでしょ」

「うん。美和子さんはケチな人じゃないから。ナオちゃんにだったら許してくれるよ」

 奈緒はじっと、テレフォンカードを見つめた。北斗七星が描かれた星空カード。

「大事にする。宝物にする。お守りにする」

 時代遅れの代物を大事そうに胸に抱く奈緒に、春香はちょっと笑ってしまった。

「私も、この絵、大事にするね」




 ナツが目を覚ましていた。

 奈緒と二人して病室を覗いた春香は、喜んでナツに駆け寄った。

「なっちゃん!」

「ああ。奈緒と・・・・・・ええと、スピカ」

 ベッドに座り、眉間にしわを寄せてそう言葉を絞り出したナツに、春香と奈緒は固まった。

「・・・・・・なっちゃん?」

 ナツは春香達に申し訳なさそうな顔をした。

「ごめん。なんか、記憶が飛んじゃったらしいんだ。医者が薬の副作用がどうとか言ってたんだけど」

 春香は「え、どこまで?」と焦って聞いた。

「うん・・・・・・ バスで長野に着いて、3人でカレーを作って食べて・・・・・・そのぐらいまで」

 奈緒の表情が凍り付く。

「え、なっちゃん、あの冒険のこと、覚えてないの・・・・・・」

 奈緒が膝から崩れ落ちそうになった。

 それをがっと春香が支える。

「大丈夫だよ。ナオちゃん。思い出はこれからどんどん作ればいいよ。ナオちゃんはこれからも学校で一緒なんでしょ。大丈夫」

 奈緒もなんとか持ち直した。

「う、うん。そうだね。ありがとハルちゃん」

 ナツが首を傾げた。

「二人、仲悪くなかった? 随分親しくなったのね」

 ああ。そこからなんだ。

 その言葉に奈緒はまたショックを受けたようだったが、今度は自分自身で綺麗に持ち直した。

「そうだよ。もう親友だもんね」

 そう言って春香の肩を抱いた。

「ねー。ハルちゃん」

 春香も笑顔で応えた。

「ねー」

 ナツが「ふうん」とつぶやき、じとっとした目で二人を見た。

 お。嫉妬してる。自分にぞっこんなはずのナオちゃんが取られたと思い、焦ってらっしゃる。

 その様子には奈緒も満足したようで、上機嫌でナツにぺらぺらとこの数日のことを話し始めた。

 ナツはふんふんと聞いていたが、途中からあからさまに怪しむような目つきになった。

 そりゃあ、信じられないよね。こんな話。

 春香自身だって、いまだに夢だったんじゃないかと思ってしまう。

 そこで、春香は「あ、そうだ。なっちゃん」とにやりと笑った。

「スタンドバイミーの話したのは覚えてる?」

「ええ。したわね。それは覚えてる」

「銃を撃つシーンあったでしょ」

「ええ。名場面ね」

 春香は自慢げに言い放った。

「実はね。私もこの前撃ったんだ。バーンって。すごい反動だったよ」

 ナツはしばらく黙り、そして言った。

「スピカ。あなたも頭とか、うったんじゃない?」

 まあ、そうなるわな。

 春香は笑って言った。

「なっちゃん。私、春香って言うの。立花春香」

 ナツは「そう」と微笑んだ。

「よろしく。春香」




 ナツはまだ本調子ではないらしく、「ごめん。眠い」とまたスヤスヤと寝てしまった。

 奈緒と春香がその寝顔をなんとなしに見つめていると、「おや。まだ眠り姫ですか」とキザな来客が来た。

 ゆきおちゃんこと、白鳥幸男だ。

 奈緒は白鳥を見ると、嬉しそうに立ち上がり、そのお腹に「ゆきおちゃん!」と抱きついた。

 どうやらあの夜の戦いで随分打ち解けたらしい。

「二人とも、災難でしたね。今回は。いやあ。僕がいて、本当によかった」

 あ、この人の中では、全部自分の手柄になってるのか。

 うらやましい性格だ。

「僕も今日、退院しますので。ご挨拶をと思いましてね。ランプさんはまだ寝ているようですが」

 奈緒が抱きついたまま言う。

「さっきまで起きてたんだよ!」

「そうですか」と白鳥は笑って奈緒の頭を撫でた。

 春香は、「ランプは本名はナツって名前なんですよ」と教えようかと思ったが、なんとなく、嫌な予感がして、やめた。

「いやあ。今回は反省点も多い戦いでした。なにより自分のパワー不足には悩まされました。どうしようかな。筋トレでも頑張ってみましょうか」

 奈緒は「いいじゃん!眼鏡マッチョになりなよ」と笑った。

 そんな奈緒を白鳥は見つめた。

「では、奈緒さん。これでお別れです」

 奈緒も白鳥を見つめ返した。そこで白鳥が急に小声になった。

「奈緒さん。あなたは、支えてくれるランプさんや春香さんのような人の存在があれば、きっと大丈夫でしょう。でも。もし、つらくて、どうしようもなくなったら」

 白鳥は深い穴を連想させる瞳で眼鏡の奥から奈緒を見つめて言った。

「僕に連絡をくださいね。白鳥湖キャンプ場に連絡してくれれば、僕に繋がります」

 奈緒は頷いた。

「うん!」

 その奈緒の瞳に、白鳥と同じような底深い闇の片鱗があることに、春香は気が付かなかった。

 

 春香は知らなかった。

 この男との出会いが、憑依型の奈緒の精神と思考回路にほんのわずかな、とはいえあまりに深刻な影響を与えてしまっていたことを。

 これから十数年後、爽やかに笑うこの男と、側で眠る少女が死闘を繰り広げることを。

 楽しげに笑う少女清水奈緒が、親友であるはずの斉藤ナツと命がけでぶつかり合うことを。

 それはまだ、未来の話だったので。

 春香には、知る由もなかった。

 


 

 白鳥が妙な決めポーズをしながら、後ろ向きに病室を出た直後、「邪魔」と言う声をとともに、白鳥の腰が蹴り上げられる音がした。

「痛い! なんでそんなに乱暴なんですか!」

 そのやりとりで、誰が来たのかはすぐにわかった。

 岸本あかりは、病室に入ってくると、春香に「よっ」と手を上げた。

 春香も手を上げ、奈緒も少し迷った後に手を上げた。

 あかりはなんの遠慮もなく、ナツのベッドに腰掛けた。

 古びたザックを背負い、肩には一眼レフがかかっていた。病院を出るところで、別れの挨拶によってくれたのだろう。

「ふたりとも、怪我は?」

「大丈夫です」

「平気でーす」

 そう言うあかりが一番重傷ではなかったのかと思うが、半袖の服から見える肩には清潔そうな包帯が巻かれていた。あろうことかその上に一眼レフの肩紐をかけているので、心配するのも馬鹿らしくなる。

「春香。また、美和子さんにお礼を言っといてくれない? 家出娘が頼れそうな施設とか、いろいろ教えてもらったから」

「わかりました」と頷く春香に、あかりは言った。

「私ね、美和子さんとも話したんだけど、ちょっとやってみたいことがあって」

「はあ」

 あかりはやさしく笑った。

「家出する子ってさ、それぞれの事情を抱えてる訳よ。どうしても制度の隙間からこぼれちゃう子もでてくるし、まっとうには行動できない子もいる。だから、私は私のやり方で、そういう私みたいな子が集まれるコミュニティを作ろうかなって。例えば成人したメンバーの名義で部屋を借りて、そこをシェルターにするとかさ。それで働ける奴が働いて、それぞれができることを・・・・・・みたいな」

 春香にはよくわからなかったが、あかりが考えることなら、きっと本当に必要なことなんだろう。だから、春香は「いいと思います」と頷いた。


 春香は知らなかった。

 岸本あかりがこれから始めるその小さなコミュニティは、あかりの手を離れた後も、脈々とメンバーを変えて、場所を変えて、「誰かの居場所になってほしい」という願いとともに受け継がれていくことを。

 そしてそのコミュニティは、少なくとも一人。藤原紗奈子という家出少女を救うことを。

 でもそれもまだ未来の話だったから。

 春香が知るはずもなかった。


 岸本あかりは立ち上がった。一眼レフが揺れる。

「まあ、とりあえずは、妹に会いに行くわ。全部はそれから」

「はい。そうしてあげてください」

 あかりは春香を見た。奈緒を見た。そして、寝息を立てる少女を見た。

「じゃあ、みんな。お互い、頑張ろうか」

「はい。頑張りましょう」

 あかりは後ろ手に手を振って、病室を後にした。


 岸本あかりは知らなかった。


 自分が命がけで救い出した斉藤ナツという少女と、十数年後に思いもよらない形で再会することを。

 再び戦友としてともに戦うことを。

 父の形見の一眼レフが、彼女に受け継がれることを。

 そして、その斉藤ナツという女性が、あかりの妹、岸本美音と出会い、時に励まし、時に支え、時にケンカし、時に笑い合う、生涯の友となることを。


 岸本あかりは知る由もなかった。


 だってそれはまだ、ずっと未来の話なのだから。





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