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キャンプをしたいだけなのに【2巻発売中】  作者: 夏人
第4章 ずっと側にはいられない
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【第4章】 星空キャンプ編 44


 44


 目を開けた春香の耳に響いたのは銃声だった。

 春香はシートベルトに腰を座席に固定された状態で、宙づりになっていた。両手を挙げ、まるで一回転するジェットコースターに乗った観客のようだ。

 え、なに? どういう状況?

 頭が反対に向いたまま、慌てて周りを見る。どうやら、車が横転して、逆さになってしまっているらしい。ナツも、奈緒も、あかりも、ゆきおちゃんも、同じように宙づりになっていた。みんな気絶している。

 あかりは唯一、うめき声を上げながら首を振っているので、覚醒間際のようだ。だが、意識がはっきりするまでにはまだ時間がかかるだろう。

 パアン!

 またもや銃声が鳴って、運転席のガラスに穴が開いた。角度的にゆきおちゃんに当たるすれすれだ。

「さっさと出てこい! このまま蜂の巣にするわよ!」

 すずの声だ。

 くそ。なんてしつこいんだ。なんなんだよその情熱。

 春香は腰のシートベルトのバックルをいじくり回した。これ以上撃ち込まれたら、本当に誰かに当たっちゃう。

 シートベルトが外れ、春香は床、元々はバンの天井にドサリと落下した。

 慌てて窓から外をのぞき見る。

 銀色の拳銃を片手にもったすずがこちらに歩いて来ていた。くそ。何丁、銃を持ってるんだ。ここは法治国家日本じゃないのか。

「立花春香あ! さっさと出てこい!」

 そう言って、また一発撃ち込んできた。今度は奈緒にすれすれだ。

 これ以上はまずい。このバンから遠ざけないと。

 春香は四つん這いで床というか天井を移動し、すずとは逆側のドアをこじ開けた。外に転がり出て叫ぶ。

「こっちだよ! 間抜け!」

 自分、口が悪くなったなあ。シズカが混ざったのかしら。

 すずがバンを回り込もうと走り出した音がした。春香も慌てて目の前の森に逃げ込む。

 その時、背後から、パトカーのサイレンの音がした。

 ウーウーと、まだ遠いようだが頼もしい音が響く。

 やった。助かった。

 春香は思わず立ち止まろうとした。その瞬間、轟音とともに春香の数センチ横の木の幹に風穴が開いた。

 まじか。

 警察がもうそこまで来てるんだぞ。むちゃくちゃだ。

 春香はサイレンの音の逆方向に走り出すしかなかった。

 夜の森だ。暗いなんてものじゃない。

 春香は木の幹にぶつかり何度もぶつかりながら、まるでピンボールのように走った。

 懐中電灯でもあれば、まだましだったろうが、そんな物を持っていたら、きっと狙い撃ちにされる。今でさえ、すずは背後から定期的に狙撃してくる。

 だが、春香が見えないと言うことは、すずにも見えないという事だ。すずが撃った弾も、大抵は数メートルずれたところに着弾している。しかし、驚くほど近くの木々が弾ける事もあり、立ち止まることも走りを緩める事も出来そうになかった。

 走り続けるうちに、森の中は真っ暗というわけではないことに気が付いた。わずかだが、月明りでもあるのか、ぼんやり視界が通る。それでも走り抜ければ木々にぶつかり続けることに変わりはなかったが。

 どうすればいい。

 相手は大人だ。いずれ追いつかれる。そもそも、春香に目的地なんかない。ただ、車からすずを遠ざけたかった。その一心で走り始めたのだ。当てもない逃避行だ。

 幸い、木々が邪魔して弾はまっすぐ届かないようだし、すずも春香をはっきりとは視認出来ていない。

 よし。どこかに隠れてやり過ごそう。

 大きな木でも見つけて、その陰に身を隠すんだ。すずが通り過ぎた後に、こっそり戻って警察に保護してもらおう。それが唯一の勝ち筋だ。

 そう考えて、逃げ惑いながら、隠れられそうな場所を探す。しかし、ここだという場所はなかなか見つからない。なんとか隠れられそうな場所は時折あるのだが、万が一に見つかった時のリスクを考えると、そう簡単に踏ん切りが付かず、走り抜けてしまう。

 すずが背後どれくらいの距離にいるのか春香には見当もつかなかった。すぐ後ろにいる気もするし、遠く離れていてもおかしくないと思った。もしかしたらもう巻いたのではないか。そんな風に楽観的に思い始めると、思い出したかのように弾丸が飛んでくる。

 くそ。どこだ。どこに隠れればいい。

 春香が焦り始めた時、急に視界が開けた。

 木の根に躓き放題だった足が、水平な地面に走り出る。地面は膝ほどの高さの草が生い茂っていた。

 草原だ。あの、昼間に来た、旧キャンプ場跡。

 春香は面食らった。もっと遠い場所にあるイメージだったからだ。

 春香が思っていた以上に車が進んでいたのか。それとも、計らずに最短コースを駆け抜けてしまったのか。それだけ長い距離を春香は逃げ回ったのか。もしかしたら、春香達の昼間の大冒険も、実際はそこまで長い距離ではなかったということだったのかもしれない。

 そんなことを考えて数秒立ち止まった春香の足下の土が、銃声とともに吹き飛んだ。

 春香は我に返り、弾かれるように走り出した。

 そして絶望的な事態に気がつく。

 まずい。すずにとっても視界が開けてしまった。

 さっきまで木々に囲まれていたから春香の位置も特定されにくいし、狙撃も難しかったのに。これじゃ あ、すずからは春香が丸見えじゃないか。

 草原を突っ切るような形で走り出してしまった春香は、広場を走りきり、向かい側の林に飛び込むまで、春香はすずから狙われ放題だ。

 春香は焦燥に駆られながら、前を見る。向こう側までどう見積もっても100メートル近くある。

 銃声。

 また、春香のすぐ足下の土が飛び散った。

 春香はぞっとした。足を狙ってるんだ。

 とっさの判断で、春香はジグザグに走り出した。直線的に走っていたらいずれ当たってしまう。

 慣れない動きを草だらけの地形でやるのは難しかった。体の切り返しに失敗して何度も転んでしまう。その度に春香は死に物狂いで立ち上がった。

 疲れた。極度の疲労で足がますます動かなくなる。そのうち、ただまっすぐ走っても転ぶようになってきた。春香は自分の太ももを拳で殴りつけ、うなり声を上げて立ち上がった。

 動け。立て。走れ。

 死んでたまるか。

 永遠に感じた草原がようやく終わりを迎える。目の前に、林の中に続く小道が見えた。

 春香はその小道に全力疾走で飛び込んだ。

 一気に周りが暗くなる。あれだけ自分を苦しめていた暗闇に心から安堵した。

 まだだ。すずはきっとすぐ後ろにいる。はやく隠れる場所を見つけないと。

 小道は10メートルほど続いただろうか。春香が小道を駆け抜けると、目の前にちょっとした空間が広がった。そこには一つの廃墟があった。

 ログハウスだろうか。もともと旧キャンプ場の受付かなにかだったのかも知れない。

 しかし、その小屋は原型がないほどに朽ち果てていた。側面は崩壊し、大きな屋根が崩れ落ちてきていた。三角の屋根だけが地面に直に乗っているような形だ。その地面と屋根の間に、わずかな隙間があった。ぽっかりと黒く大きな口を開けている。人が一人ぐらい入れそうだ。

 あの隙間に入り込んで、隠れられるかもしれない。

 春香は意を決してその穴に駆け寄ろうとした。

 その背中を、すずが後ろから思い切り蹴り飛ばした。

 春香はごろごろと地面を転がった。ただでさえ限界を超えた全力疾走で息が荒れていたのに、そこで背中を蹴りつけられたのだからたまらない。地面の上を咳き込みながらのたうち回る。

追いつかれた。

「このくそガキ! 手間かけさせんじゃないわよ!」

 すずがそう言い放って、倒れる春香をもう一度蹴りつける。春香は小屋とは反対方向にまた転がった。

 小屋を背に立つすずの息もこれ以上ないくらいに荒れていた。苦しそうに息を吐きながらも、勝ち誇った顔で春香を見下ろしたいた。

 勝った。すずの表情がそう心情を物語っていた。

 すずはふーふーと息を整えながら銃を握った手で前髪をなでつける。両腕の火傷が生々しい。顔にも手にも数え切れないほどの擦り傷があった。すずも夜の森には苦労したらしい。

「たく。さんざん逃げ回ってくれたわね。でも、これで・・・・・・」

 そこですずは口を閉じた。

 春香が立ち上がっていた。

 足をがくがくさせながら、拳を顔の前に構えた。

「・・・・・・まだ。まだ私は」

 その春香をすずは横なぎに蹴りつけた。大した手応えもなく春香は地面に倒れ込む。

 小石や落ち葉だらけの地面を頬に感じる。

 その地面に春香は両手をついた。

 腕が疲労で痙攣している。足も。それでも立ち上がった。

 拳を握る。

「・・・・・・まだ」

 その胸をすずが足の裏で蹴りつけた。後方にズザザと音を立てて春香は倒れ込む。

 息がつまり、春香は目をつぶった。

 まだだ。

 春香は立ち上がり「うわあああ!」と叫び声を上げてすずに突進した。

 拳を振り回し、すずの胸をポカポカと殴りつける。

 あきらめない。私はもうあきらめない。あきらめてなるものか。

「うっとうしい!」

 すずが春香の横っ面を殴りつけた。春香はぐらりと傾く。その腹をすずは容赦なく蹴り上げた。春香はドサリとその場に崩れ落ちる。

「たくもう! なんなのよ!」

 すずが大声で悪態をつく。

「いい加減に・・・・・・」

 そこですずは息を飲んだ。

 春香が震えながら立ち上がったからだ。

 春香はうなり声をあげながらすずの腰にしがみ付いた。

「あああああ!」

 すずが「この!」と春香の頭を掴み、引き剥がそうとする。

 春香は腰にしがみついた状態で、そのすずの手に噛みついた。

 すずが悲鳴を上げる。

 

 ずっと、心のどこかで死にたいと思っていた。

 それが一番楽に思えたから。

 姉が死に、母に捨てられ、父には無視された。きっと誰にも望まれていない。自分なんか生きていてどうするんだ。そんな風に思っていた。

 でも、今は思う。

 生きたい。

 私は、生きたいんだ。


 すずはその側頭部に銃のグリップの底を叩き付けた。

ガッと鈍い音が響き、春香の視界が大きくぶれた。

 ずるずるとその場に崩れ落ちる。その春香をすずが忌々しげに足で払った。

「もう終わり! あんたは負けたの!」

 すずは地面にうずくまる春香にそう怒鳴りつけ、ため息をついた。目をつぶる。

 さあ、こいつを引きずって、どうにか依頼人に引き渡さないと。

 やることが多い。こんなところでグズグズしてられるか。

 そう考え、すずは目を開いた。

 そして、ぽかんと口を開けた。


 立花春香が立ち上がっていた。


 顔を腫らしながら。額から血を流しながら。

 両の拳を握りしめ。

「・・・・・・生きるんだ」

 そう言って、少女は震えながら立っていた。

 その瞳はすずを強く睨み付ける。

「私は、生きるんだ」

 すずは困惑した。

 なんなのよ。

 自殺願望があったんじゃなかったの。

 ここまでされて、こんな状況で。

 なんであきらめないのよ。

「い、いい加減にしなさいよ! もう無理でしょ。あきらめなさいよ!」

 すずは怖くなった。

 だから叫んだ。自分に言い聞かせてきた言い訳を並べた。

「もう、誰かが死ぬのは変わんないのよ! だったら、あんたが死んで、その分、有能な政治家が一人生き残るんだから、それで良いでしょうが。その方が日本の未来も・・・・・・」

  春香は叫んだ。その小さな体で、少女は叫んだ。

「知らないわよ! そんなこと! 知ったことじゃないわよ!」

 春香は拳を握りしめた。涙で潤んだ瞳で、まっすぐにすずを睨み付ける。

「私は生きるの。生きてやるの。誰のためでもない。私のために生き残るの!」

 それになんの理由が、どんな理由がいるって言うんだ。

 生きてやる。

 生き残ってやる。

「私は生きる。誰がなんと言おうとも。誰が私を殺そうとしても。誰が私に生きるなって言っても。どんな環境でも! 私は!」

 ボロボロとこぼれる涙を春香はきらきらとまきちらしながら叫んだ。

「生きて! 生きて生きて生きて生きて生きて生きて生きて生きて生きて!」

 たった12歳の少女は、喉から血が出るくらい、渾身の力で叫んだ。


「生き抜いてやるわよお!」


 シズカと一緒に。


 すずは顔をゆがめた。

 限界だった。

 生きる。ただそれだけを叫ぶ少女に。

 自分が、自分の不幸な境遇を理由に長らく斜に構えて目をそらしてきたことに、ここまでまっすぐ向き合う少女に、すずの心は耐えられなかった。

 ゆっくりと銃口を春香の眉間に向ける。

 

 それでも、春香はすずを睨み付けていた。


 二人の間に、夏の夜風が吹き抜けた。


「グオオォオオォオオォオオォオオ!」


 その地獄から響いたような重低音は、二人の世界を一瞬でぶち壊した。

 すずが弾かれたように後ろを振り向く。

 ツキノワグマはすずのすぐ真後ろにいた。触れ合うか触れ合わないか、そんな距離。仁王立ちで、両手を高く上げ、大きく口を開けていた。鮮やかな赤い口内の、あまりに鋭い牙が闇夜に鈍く光った。

 すずはとっさに銃を向けた。

 だが、野生の速度に人間が叶うはずもなかった。

 バシッ

 すずの手が熊の手でたやすく弾かれる。鮮血とともに、銀色の銃が飛んでいった。

 次の一撃で、すずはまるで紙切れのように横なぎにされ、地面に叩き付けられた。

 熊は間髪入れずにその上にのしかかる。恐ろしいうなり声を上げながら。

 すずの悲鳴が、森に響いた。





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熊「で、俺の出番ってわけ」
[一言] ここでクマさん再登場とかwww
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