176話 元勇者の底辺冒険記その1
五・五章は補足的なお話です。
興味のない方はスルーしてくださっても問題ありません。
範囲としては処刑後~トールとジグの初対面辺りまでです。
「ひぃいいっ! はがっ、はぁはぁ!」
暗闇の中で恐怖と痛みに悶える。
首を切り落とされた感触が、今もはっきりと残っていた。
だが、首は、落ちていない。
生きている?
ここはどこだ?
闇で満たされどこにいるのかも定かでない。
四つん這いのまま、恐る恐る手探りで周囲を調べる。
堅い。これはなんだ。
手を上へと移動させた。
これは、甲冑?
がしゃん。
寄りかかった為か甲冑は倒れた。
緊張で全身が硬直する。
……人は来ない。近くに誰もいないのか。
僕はさらに探り続ける。
剣が並んでいるのか。
盾もある。
これは槍だな。
ここはどこかの武器庫、だろうか。
壁際までたどり着き、そこから壁伝いに扉を探した。
あった。
たぶん扉だ。
施錠はされていないようで、扉は抵抗もなく開く。
かがり火の並んだ薄暗い通路が目に入った。
じっと息を潜め目をこらす。
人はいないようだ。
僕はドアの一部を壊し、握るのにちょうど良いサイズの木の棒を得ると、棒を握ってかがり火の火を棒に移す。
部屋へ戻ると、ドアを閉めてもう一度何があるのかを確認した。
「やっぱり武器庫のようだね。でも、なぜ、ここに……」
首に手を当てて繋がっていることを確かめる。
僕は確かに、処刑台で首を落とされた。
今もあの恐怖の瞬間をはっきりと思い出せる。
生き延びたのは何かの偶然で、実は死んでいなかった?
いいや、僕は死んだ。
言い得て妙だが、死んだ実感があるのだ。
「くしゅん」
よく見れば裸だ。
下着も付けていない状態。
死ぬ直前まで小汚い服を着ていたはずなんだが。
そう言えば手錠もない。
ま、今はどうでもいいか。
とにかく着られるもの。あった。
棚から兵士用の衣類を見つけ、素早く袖を通し身につける。
「さて、ここを出るのは間違いないとして、無防備にうろつくのは賢くないな。できれば武器と防具が欲しいところだが――おや?」
明かりに照らされたのは僕の魔剣と鎧。
取り上げられてから、このような場所に保管されていたのか。
実に幸先が良い。目覚めた場所で所有物を見つけられるなんてな。
まずは漆黒の鎧を身に着けるとしよう。
「……同じ鎧、だよな?」
右手を握りしめる。
不思議だ。以前はあれほど気持ち悪く思っていたのに、今はこの防具に安心感を抱いている。それどころか長年の相棒のようにすら。
僕は魔剣を腰に帯びた。
《報告:黒鎧と魔装武具との同期が完了しました》
《報告:制限が解かれます。黒鎧は簒奪者の鎧へと変更》
《報告:六花蘇生が発動しました。残り五回》
目の前に表示された文字。
それだけで僕は全てを理解する。
ここで目覚めたのは偶然ではなかった。
「そうか、そういうことか! くひっ」
この鎧と魔剣は本来、一緒に使うべきものだったのだ。
それにより秘められた能力が解放される。
そして、六花蘇生とは死者蘇生の力。
リサ、君はこのことを知らなかったんだろ?
そうでなければ僕に、こんな素晴らしい物を与えないものな。
大きな腹の音が部屋に響く。
「……お腹が空いた。水も欲しい。ここしばらく碌なものを食べてなかったな」
強い空腹感が僕を襲う。
牢屋で出された食事はひどいものだった。
堅く小さいパサパサのパンに、腐った肉、それから泥臭い水。
最悪の食事だった。
僕は部屋を出ると、足音を立てないように通路を素早く進んだ。
すんすん。
美味そうな匂いが漂っている。
無意識に足がそちらへと向き、調理場らしき場所の扉を開けた。
「おおおっ」
調理場には誰もいなかったが、湯気の昇る鍋があって僕は駆け寄る。
鍋にはたっぷりと作られたスープが、テーブルにはパンがいくつも置かれ、料理に使ったのだろう卵や肉や果物が乱雑に放置されている。
無我夢中で掴み口に入れた。
「あむっ、はぐっ、むぐぐ」
パンをかじり、スープを流し込み、肉の塊にかぶりつく。
これほど美味しいと思える食事は初めてだ。
食べ物が胃を膨らませ、飢えが満たされて行く。
僕はもっと食事を楽しむべきだったんだ。
これからはもう少し食に目を向けよう。死んでからでは食べることなんてできないのだ。
ぴたり、僕は動きを止めた。
外から話し声が聞こえたからだ。
しばらくして声は通り過ぎて行く。
僕はパンを咥えたまま、適当なリュックを持ちだし、ここにあるありったけの食料を投げ込む。
扉をそっと開けて人がいないことを確認。
外を目指して通路を駆けた。
◇
王都の外に出た僕は、パンをかじりながら見上げる。
今夜は満月。
雲が多く、繰り返し月を隠していた。
ごっくん。
さて、これからのことを考えないとね。
僕を虚仮にした全ての奴らに復讐するのは確定だ。
だけど、それは力を付けてからだ。
今の僕ではトールには敵わない。
魔族と言う大きな後ろ盾をなくしたおかげで、各国を相手に戦うって無茶もできない。
「あはは、そうか、僕は本当に何もかも失ったのか」
あるのは剣と鎧とこの肉体だけ。
これが底辺。どん底ってやつだ。
認めるよ、トール。
君を侮り見事に足下を掬われた。
僕の方が馬鹿だったよ。
「次はもっと上手くやらないとね。時間をかけて」
月に小さな影がかかる。
それは次第に大きくなっていた。
あれは……バーズウェル?
黒いワイバーンが、突風を巻き起こして目の前で着地する。
「お前、僕を待ってたのか」
「ギャウ」
甘えるように顔を擦り付けてくる。
リサから譲り受けた騎獣ではあるが、相性の良さからよく懐いていた。
僕自身もこいつのことは気に入っていて、手ずから餌をやったりしていたんだ。
背中に乗れば、バーズウェルは大きな翼を広げる。
「ここじゃないどこか遠い土地へ行きたいんだ。そこでやり直したい」
「ギャウゥ!」
黒いワイバーンは飛び立つ。
僕の言ったことを理解しているのだろうか。
まぁ、暗黒領域とは違う方角へと向かっているようなので、このまま任せてみてもいいのかもしれない。
どうせ今の僕には行くあてなどないのだ。
◇
耳元を抜ける風の音で目が覚めた。
嗅ぎ慣れない生臭さを感じたが、寝ぼけていたこともあって、その意味を理解するには少々の時間がかかった。
朝日が彼方から顔を出す。
だが、それは地平線からではなく、水平線からだった。
え、え、どういうことだ!?
海の上にいるのか!??
前方も左右も後方も、定規で線を引いたような水平線がある。
「なぜ海の上を飛んでいるんだ! 今すぐ戻れ、早く!」
「ギャゥウウ?」
全く言うことを聞かない。
それどころか『言う通りにしたのに』とでも言いたそうな鳴き声を出す。
外海に出るなんて馬鹿なのか。
これは自殺行為だ。
たとえ空を飛んでいようが真下にいる怪物達は見逃しはしない。
「くそっ、助かったと思えばこれだ。バーズウェル、せめて高度を上げて飛べ」
「ギャウ」
持ってきたリュックの中を覗く。
食料と水はもって二日。
飢え死にするまでにどうにかこいつを陸地へ戻さないと。






