48.ロゼール
教会の関係者しか通れないような場所の近くの部屋に、王都から持ってきた壇が運ばれた。
この壇は、本来は上の部分が黄金に王国全土の地図が彫られたものになっている。私はそれを見て、ぞっとした。
地図の中で瘴気のある部分が黒ずむのだが、目の前の壇では、黒ずみどころではなかった。全部が真っ黒になっていた。まるで最初から黒い物体だったかのように、黒いのが当たり前であるかのように、それは鎮座していた。そしてただ一点だけ黄金の輝きが見える。位置からして、このメル市やホリア村のことだろう。
「‥‥確か、聖女のいる場所は瘴気があまり強くならないという話だったね」
「はい。聖女を王都に留め置く理由とも説明されましたね」
先程の会議でも、そのような話があった。私がメル市にいたいと言うと、フローラの定期的な往復、そしてこの壇を使って王都の瘴気を忘れず掃除することを条件に許してくれた。
壇を使うことで、黄金の板に彫られた地図上の特定の地点にある瘴気を遠隔で取り除くことができる。そしてそれは、直接当地へ赴いで祓うよりも強力で、効果的なものだった。この壇そのものが国家の運命を握っているといっても過言ではない。さすがに瘴気にかかった人を治したり、森や湖にある瘴気の源となる地割れを塞いだりするためには現地に行かなければいけないけど。
私がしばらく見ない間に、それが真っ黒になっている。この真っ黒な地図の中で、数え切れない人が死に、苦しんでいる。ごめんなさい。私は少しだけ黙祷した。
「‥‥じゃ、王都の瘴気を祓うね」
「やり方を教えて下さいね」
「もちろん」
この部屋には、私、フローラだけでなく、国王、司祭も私たちを見守っている。本来、壇の使い方を説明するのは司祭の役目なのだが、イザベラの記憶を持つ私が全部知っているので任された。
「瘴気を祓いたい地点に指をつけて、そのまま押し込む」
私は自分の指で、王都を触る。真っ黒で彫られた地名すら隠れており、初見にはどこに王都があるか全く分からないが、私はよく知っている。中央からやや上‥‥こちらから見ると奥の部分だ。
フローラも、私の指の上に自分の指を乗せてくる。温かかった。
私とフローラは手を握る。
「そして、聖の魔力を流し込む。たくさん。できる限りたくさん。体中のものを全部吐き出すつもりで」
もちろん、それで本当に魔力が全部出るわけではない。一度にあと2,3回は使える。でもそれは、イザベラが1人で使っていたときだ。今は私とフローラの2人がいるので、きっと瘴気の掃除は早く終わる。
不思議な感じのする風が私とフローラの前髪を押し上げ、壇が白く光った。そしてしばらくたつと光はうすれ、風もおさまる。‥‥王都の部分が、生まれ変わったばかりの黄金となって輝いていた。
今頃、王都を薄暗くしているもやは晴れ、数年ぶりのきれいな青空が蘇っているはずだ。人々に憑いた瘴気までは治らないからまたフローラが行かなければいけないけど、人々の心に希望は戻っただろうか。
「‥‥綺麗です」
「私も初めて見るよ。こんなに綺麗なのは。フローラが一緒にいるからかな」
「ふふ‥」
イザベラの時は私が指さした一点の狭い範囲しか浄化できなかった。でも今は、その一点のまわりの瘴気も少しだけ薄くなっている気がした。それに体力もあまり減っていない。私はフローラの顔を見るのが照れくさくて、ずっと横顔ばかり見せていた。
すぐに国王と司祭が壇を覗き込んできた。「おお、こんな王都が見られるのは実に何年ぶりか‥‥」と、司祭は感無量だった。
◇
真っ黒な地図をもとの黄金に戻すにはかなりの時間がかかるが、とりあえずこのメル市から王都へ向かう道だけ先に浄化した。数日かかった。それが終わった翌日、国王や司祭たちは帰途についた。
ここへ来る時に馬車は使っていなかったので、国王は帰りも馬に乗っていた。何度もフローラを振り返っているのが印象的だった。
私とフローラの仕事はまだ多い。残りの部分の浄化はもちろんのこと、メル市から兵を借りて周辺の山林にある瘴気の源の裂け目を浄化した。本来はもっと早く浄化しなければいけない場所が王国中の至る所にあるのだが、そもそも私たちを護衛できる兵士が現地で調達できない。王都の兵士が使えるようになり次第、フローラが王都周りに向かってくれることになった。王都から離れた場所であれば私も一緒に行く予定だ。
私はいつか王都に行きたいと思っている。そうすれば、定期的に王都へ行くフローラとより長くいられるからだ。国王になれば、ますます王都にいる時間は増えるだろう。
でも、王都、特に王城の中にはつらい思い出もたくさんある。私の発作が無くなったわけではないから、今すぐ行くのは危険だと思う。そしてフローラが私のことを気遣っているのがよく分かる。しばらくはこのメル市で、聖女の仕事に慣れよう。
フローラは王太女として、そして8歳以降失われた時間を取り戻すための教育が必要だ。王都から教師がメル市へ派遣され、聖女の仕事の傍らで勉学に励んでいる。物覚えが非常によく、通常の何倍ものスピードで進んでいるらしい。そもそも8歳直前の時点で、10歳レベルの勉強をしていたらしいので驚きだ。教育の時間が減り私との時間が増える日も早いかもしれない。
教会や瘴気関係の授業では私が講師になったりもした。聖女を2回経験したベテランの講義だよ。フローラと一対一の授業は照れくさかったけど、フローラの真剣な顔に助けられた。質問も鋭かったので私が焦ってしまう一幕もあった。でも時々いたずらされた。
◇
治療を求めに教会まで来る人も減ってきた。でも治療が必要な人はまだまだいる。寝たきりで教会に来ることができない人も多い。
私とフローラははじめ、隠れて活動していた頃に使っていた上着と長ズボンをそのまま使っていた。このほうが、みんなに私たちを聖女として認知してくれると思ったから。でも国王たちが去る直前に、新しい服を着ることになった。私の心情を考慮して、イザベラの時に着ていた代々聖女に伝わる専用の服とはデザインが大きく変えられた。スカプラリオという基本は変わらないが、かわいらしい服に仕上がっていた。それでいて、空を飛べるよう、しっかり股を隠しているデザインだ。
‥‥でも不思議なもので、日曜日になると元の服を着たい気分になる。昼食を食べ終わると私もフローラも古ぼけた黒に近い上着と男ものの長ズボンに着替えた。マスクはつけないけど、私は髪の毛をフローラに結んで丸めてもらう。後ろ頭に大きい赤の玉ができた。「フローラは髪が伸びたらどうするの?」「ポニーテールにしようと思ってます」そんな会話があった。
「さあ、行こう!」
「はい!」
私とフローラは日曜日の午後が始まる頃に手を繋いで、地面に足をつけたまま教会を出た。周りでは多くの人が集まっている。寝たきりの病人を持つ市民たちだ。
父の護衛がついているから正確には3人組だ。まだまだ私たちの行く先には人垣ができる。この人気は当面、衰えそうにない。恥ずかしいけど、おそるおそる手を振る。
市民が玄関のドアを開けて「よろしくお願いします」と頭を下げた。「どこ?」「2階です」「はーい」そんな間の抜けた声を出して、市民と一緒に階段を上った。
以前はこのメル市に、窓から勝手に入ってくる聖女がいた。
だが今は、もうそのようなものはない。今の聖女は玄関から入ってくる。




