31.サラ
私――サラは、その日もいつも通り閉店の準備をしていた。閉店時間を知らない新参の客たちを追い出し、店のドアや大窓のカーテンを閉め、そして持ち帰り販売用ブースの前のドアを締めて鍵をかける。ブースの棚の中に入れてあった売れ残りのパンを次々と店内に運ぶ。最近は売れ残りが少ないからあまり大変ではないけどね。
まったく、あの手紙は届いたかしら。いや、あそこまでは遠いからもうちょっとだと思うわね。ロゼールはバカだわ。何度でも言うわ。バカだわ。
「店主さん、終わりました」
「あら、サラ、最近苛立っているようだけど体に毒だわ」
シルベーヌは何事もなかったかのように笑って、売れ残りのパンの中からいくらか抜き出して皿に乗せ、奥へ消えていった。やれやれと、私も奥へ行って飲み物の用意をする。
「今日はあの席へ座ろうね」
シルベーヌが指さしたのは、あのテーブルだった。ロゼールがこの前突然来た時に座らせた、3つあるうち1つの円いテーブル。そこにパンとスープ、飲み物を置いて、私は落ちるように椅子に座った。
「兵隊さん、いつ帰ってくれるのかしらね。ははは」
私の苛立ちを見透かしたように笑っていた。
「ひやひやしますよ」
「それにしても、聖女がまさか陛下の治療をなさるなんてね、想定外だったわ。あれで流れが変わっちゃったねえ」
「そうねえ」
私はその場を生返事で済まし、自分の肘でテーブルを揺らして、はあっとため息をついた。
すると唐突に、ドアのノックが聞こえる。何よ。もう店は閉店よ。
「私が出ますね」
「いやいや、今は仕事の時間ではないわよ、ここは私の店だから私が出るわね」
立ち上がりかけた私よりも早く立ち上がって、シルベーヌが入り口のドアを開け‥‥「えっ!」と後退りしていた。声がひっくり返っている。私は猛烈に嫌な予感がした。
氷のように固まったシルベーヌに金髪の男性が頭を下げているのが見える、すぐに何人かの衛兵が入ってきて、それに取り囲まれるように金髪の男性がこちらへ歩いてきた。よく見れば、この前ここで会った兵士だった。だが今の装いは‥‥どう見ても下っ端の兵士のそれではなかった。四角形の角と思うような大きな肩章をつけた黒い軍服で、ボタンが金色に輝いていた。鎧を外してみれば、身分にしてはわりと痩身で、歳はあまりいってなくまだ元気に動き回れる中年という感じだった。
私はその見た目で、すぐに状況を察した。しかしまだ認めるわけには行かない。私は礼儀を知らない人のふりをして、椅子に座ったまま姿勢を正した。
金髪の男は、すぐさま私に頭を下げる。
「あなたが聖女のお母様だったか」
「気持ち悪いわよ。あんた誰よ」
「この‥‥!」
隣の衛兵が怒り声を出すのを手で制して、金髪の男は続けた。
「この前は名乗っておらず申し訳ない。儂はこのクローレン王国の国王、ガストン・ベルハイムだ。このたびは聖女に不愉快な思いをさせたこと、ここにお詫びする」
そして、粛々と頭を下げる。
椅子に座って楽にしているはずなのに、私にとって長い時間が経過する。
「‥‥私の子は別に聖女ではないわよ。人違いじゃないの?」
「いいや、間違いなくあなたが聖女の母だ」
「だから違うわよ」
「‥‥信じてもらえないだろうが、儂は聖女のためなら喜んで何でもする。聖女の嫌がることは絶対にさせないし、望むものは何でも与える。話も聞く。このことを娘に伝えてもらえないだろうか」
「だから私の子は聖女ではないわよ。今すぐ帰りな」
「‥‥‥‥あなたとまたお会いできることを望む。今日はこれにて失礼する」
王だか知らないけど金髪の男はもう一度丁寧に頭を下げてから、衛兵とともに店を出ていってしまった。ドアの前で真っ白になっていたシルベーヌが、はっと我に返ってドアの鍵を閉めてから、おそるおそるテーブルに戻った。
「サラ、ちょっと失礼すぎない‥‥?」
「あら、自殺とひきかえに繁栄するような国にはこれで十分よ」
私は酒でもないただの水を一気飲みした。
‥‥それをどんと、ガラスのコップが割れそうなくらいテーブルに叩きつけると「‥‥ごちそうさま」と言って、そのまま2階へあがった。後ろから「ちょっと、まだ何も食べてないでしょ」という声があるが無視する。
私は自分の部屋で、窓の外を眺める。そこには何の変哲もない裏通りの景色が映し出されていた。
‥‥ん? 変哲がない?
‥‥あれだけ多かった兵士がいない。誰もいない。右にもいない。左にもいない。
まさか。まさか。まさか。
私は階段を駆け下りて、シルベーヌに何も言わず鍵を開けて外に出て、大通りまで行った。
あれほどしつこかった兵士たちのほとんどがいなかった。昨日まではこの時間も人の話し声の聞こえる大通りが、空っぽだった。今日は日曜日でもないのに。
さっき王が来たときよりも、遥かに嫌な予感がした。
どうする、ロゼールに手紙を出す?
いや、私の行動はすでにマーキングされているかもしれない。ここで特定の人や村に手紙を出すなど、自殺行為だ。
聖女が王を治療したと聞いた時に送ったこの前の手紙で、察してほしい。
王は、聖女のために何でもすると言っていた。
だが、もしそれができるなら前世の記憶を持つロゼールはあんなに聖女を嫌がらない。
ロゼール、無事でいて。
私は祈っていることしかできない。




