23.サラ
私――サラは、メル市のパン屋で働いている店員。王都生まれの私が村の泥仕事になじめないだろうとテランスが気遣って、市の仕事を探してくれた。夫の気遣いが嬉しい。店主のシルベーヌは白髪交じりの初老の女性で、パン作りに関しては一流でとてもおいしいものを焼いてくれる。でも店が裏通りにあるためか、周りからはあまり認知されない。「店が回るくらいの売上があればいいのよ」と、シルベーヌは毎回笑っていた。
パンの原料の小麦は、これまでは遠く王国の東の方にある良質のものを使っていたけど、いつしかそこから買えなくなり、今ではメル市近郊で栽培しているものを使っている。理由は分かっている。それを解決できるのは自分の娘しかいないことも分かっている。でも母親として子にそんなことはさせられない。今では、滅びゆく世界の最後の娯楽として働く覚悟をしている。おそらくメル市の他の人たちも同じ気分でいるだろう。
今から5年前‥‥もうすぐ6年前になるのね。娘のロゼールが訪問聖女として、毎週一回、このメル市に来るようになった。メル市の人たちは最初は迷惑がった。そりゃそうね、勝手に窓を開けて入ってくるものね。やってることは泥棒と一緒よ。テランスから聞いたところによると、初期はロゼールが過呼吸を起こしてフローラが励ますことも頻繁にあったらしい。でも、2人は根気よく、瘴気に憑かれた人たちを治し続けた。メル市の人たちは次第にロゼールを受け入れ始めた。
そのタイミングで、ホリア村の何人かが、私の協力でメル市の集会所に人を集めて、ロゼールを聖女として国に突き出さないようお願いした。異論はもちろんあったが、ロゼールが自殺してしまったら私たちもメル市も終わりだ。やむなく受け入れるしかなかった人も多いだろう。
でも、聖女として突き出されるリスクを背負いながらも人々を治し続ける姿への尊敬は、しっかりメル市の人々にも共有された。今では貴族や貴族関係者を除く誰もがロゼールとフローラの顔を覚えているし、愛している。2人は口を隠すマスクをしているけど、口が見えなくても目つきと髪色で分かるわよ。この前ロゼールが市に来たときも、恐怖だかなんだか知らないけど口を手で塞いでいたでしょう。あれは変装を見破ってくださいって言っているようなものよ。髪の毛はフートで隠していたけど、頬のところから毛が出ていたから赤毛って分かるわ。たったそれだけで分かってしまうくらい、ロゼールは人気があるのよ。ロゼールのメンタルの弱さがすでに周知されていて、むやみに声を掛ける人がいなかったのは幸いだったわ。村の人に感謝しなさい。
あの時の私は店の片付けをしていたけど、店の前の人たちが騒ぐものだからロゼールが来たのに気づいたわ。裏通りの人にすら伝わるなんてね。ロゼール、あんたのことは市の人たちにはしっかりばれてるわよ。幸い、このパン屋は見つからなかったみたいだけどね。
シルベーヌはきっと騒ぐだろうから、初対面のふりをしてと何度も何度も言った。折れてくれてよかった。と思ったら翌朝フローラが現れたので、この時も説得するのに苦労した。
ロゼールの人気は、ロゼール自身がこのメル市の人たちにとって最後の希望であることの裏返し。でもそれをロゼール自身が知ったら強いショックを受ける。‥‥と思っていた矢先に、ホリア村から手紙が届いた。便箋には、ロゼール、フローラ、テランスの連署が記されていた。この3つの署名だけで内容が分かる。私はシルベーヌに頼んで仕事の休憩をもらって、事務室でそれを読んだ。
まず、テランスからの手紙。単身で働く私を気遣う内容、そしてロゼールについては短く『俺にはばらした、次はサラの番だ』と書かれていた。ついにロゼールが動いたのね。でもなぜ今?
その答えは、ロゼールの手紙に書かれていた。メル市の三方をテントが囲っているなか、私を気遣う文章から始まった。具体的な表現がないのは検閲を気にしているのか、それでも、メル市以外が全部壊滅的な状況にあると理解していることが、文面から伝わっってくる。そうか、知ってしまったのね。ついに、私たちがロゼールのメンタルを気にして隠していたことが、ばれてしまったのね。
手紙に『王都に行けない』と書いていたので、私はひとまず安心した。ロゼール、無理に王都へ行くことはないのよ。たとえ世界中がロゼールの敵だとしても、私とテランスはロゼールを守り通すわ。
でも、状況を知ってしまってロゼールはひどく悩んでいるみたいね。もうすぐロゼールの誕生日だし、私の方から村へ向かうのもいいんだけど。ロゼールがメル市の小さい聖女になるとしたら、やっぱり手紙に書いてあるとおり、ここへ呼んで話したほうがいいわね。
そして、最後はフローラの手紙。フローラもロゼールと一緒に訪問聖女をやっている。フローラの顔もメル市にあまねく知られているけど、これに関しては本人も把握しているから問題ない。
フローラも検閲を気にしているのか詳細は書いていないので詳しくは対面になるだろうけど、フローラ自身にも秘密があって、それをロゼールにばらしたこと、そのせいでロゼールが王都に行かなければいけないと悩ませてしまったことについて私への謝罪、あらためてロゼールを守るという固い決意が書かれている。
最後に書かれているのは‥‥えっ、告白? ロゼール、フローラに告白しちゃったの? えっ、女同士で? 結婚を前提にお付き合いを考えている? 生家の作法にのっとり正式に婚約したいのでまずは私の承認がほしい? テランスは承認済み? フローラの親はいずれ反対しなくなるから大丈夫? この表現がものすごーく引っかかるんだけど‥‥‥‥もちろん、私はいいわよ。まさかロゼールがフローラのことを結婚したいくらい愛していたなんてね。あの2人はいつも一緒にいるからね。親としてこれほどの話はないわ。孫の顔はジャックに期待ね。
あ、ロゼールのメンタルも考えて親から承認があった話はフローラからするのね。私たちは黙っていればいいのね。ええ、ええ、了解よ。
しかしフローラの生家ってどんなところかしらね。私は貴族だと思うんだけどね。貴族、貴族‥‥「あ」と、私はあの表現の真相に気付く。親は瘴気に囲まれた都市‥‥おそらくロゼールが行こうか悩んでいた王都にいて、明日をも知れぬ身。そんな中でロゼールのメンタルのために親を助けに行くのを諦め、そのロゼールとの結婚を選ぶ。親として何とも言えない気持ちになる。フローラ、本当にごめんなさいね。ロゼールへの返答と一緒に、フローラにも謝罪の手紙を書かなければいけないわね。
今はまだ店の営業時間だから、返事は夜ね。店内では3つの円いテーブルのうち1つしか客がいない。休憩を終わらせて店員として復帰するなり、通りの方がにわかに騒がしくなった。持ち帰り用の販売スペースにいたシルベーヌが、通りを走っていた青年に声をかけた。
「何があったんだい?」
「王都から陛下が来るんだってよ」
「あら、まあ!」
瘴気で覆われたはずの王都から、国王陛下が直々に? おそらく国王や衛兵たちはここへ来るのもやっとなくらい、ひどく弱っているだろう。それを押してでもここへ来るなんて‥‥。
このメル市は、他の都市と比べると瘴気などほとんどなく、人が住むことができる。もしそんな景色を、国王が見てしまったら‥‥。
ロゼールが危ない。私はそう直感した。貯金を崩して高い金を払って、速達を出した。




