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悪意のダンジョン  作者: 佐々木尽左
後日譚

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未練の果て

 老人は今日も荷物を担いでパリアの町を出発した。西にある悪意の山脈に向かって歩く。かつては美形だったであろう面影がある顔は今やすっかり深い皺が刻まれていた。


 パリアの町の西にある悪意の山脈は鉤爪(かぎづめ)海の西側沿岸に広がっている。西側には凶悪な魔物が生息し、東側は魔物を手懐けた山賊が割拠していることで有名だ。


 肌寒い春先の風を浴びながら老人はひたすら西へと向かって進んでいた。途中で地面が傾く。山脈の麓に入ったのだ。


 かつてはたまに町へと戻ってくる冒険者パーティとすれ違ったことを老人はふと思い出す。とある冒険者パーティは近づくと手を上げて声をかけてきてくれた。別の冒険者パーティはぼろぼろでパーティメンバー全員が傷を負っていた。かつては何とも思わなかったが今は懐かしい一場面だ。


 悪意の山脈の麓で1泊した老人は翌日、更に西へと足を向けた。地面の傾きは体感では変化がない。鐘の音1回分歩いたかどうかという辺りで山脈の切り立った山腹に出くわした。その山腹に4人ほど並んで通れる大穴があり、不揃いな石で固められている。かつて最初に探索した者が掘った穴を、後に拡張整備して多くの冒険者が入れるようにしたものだ。


 老人は荷物から松明(たいまつ)を取り出して火を点ける。かつてのように魔法はもう使えないので今はすべて手作業だ。


 揺らめく炎が照らす周囲は一面不揃いな石で固められている。穴は悪意の山脈の山腹からまっすぐ奥へと続いていた。一見するとすぐに崩れそうにも見えるが、見た目に反して丈夫である。


 何の感慨も顔に浮かべずに老人は奥へと進んだ。明かりが照らすのは下へと垂直に伸びている縦穴である。直径は横穴とは違って6人ほど並んで通れる大きさだ。その縦穴にはかつて螺旋状の階段が壁に沿って下に向かって造られていた。底は光が届かない。


 かつてはこの縦穴にも不揃いな石で敷き詰められた壁があったのだが、螺旋階段共々崩落して今は剥き出しの土が顔を見せていた。今の縦穴には不安定な木組みの()が組まれて下へと伸びており、下へと降りられるようになっている。


 松明(たいまつ)を片手に老人は木組みの階段を降りていった。軋む音、揺れる木材が何とも不安をかき立てる。


 この縦穴は結構深く、なかなか終着は現れない。思った以上に時間をかけて降りることになる。それでも老人は構うことなく降りていった。


 老人はやがて木組みの階段の底にたどり着く。足場は一面瓦礫と土砂ばかりだ。かつて崩落した壁や螺旋階段の材料に周囲の削れた土砂である。


 設置されている篝火(かがりび)に薪を入れた老人は松明(たいまつ)の火を移した。周囲が照らされると、撤去作業のための道具があちこちに散らばっていることがわかる。その中のひとつ、先に鉄が仕込まれた老人の3分の2程度の大きさのシャベルを手に取った。そうして瓦礫や土砂の撤去を始める。


「はぁ、はぁ」


 年寄りにとってはここにたどり着くまでだけであってもかなりの重労働だ。足元の瓦礫や土砂の撤去作業などやろうものならたちまち息が上がるのは当然だろう。しかし、そんなことはお構いなしに老人は作業を続けた。


 老人は若い頃、この掘っている先に何度も入ったことがある。別の大陸からやって来てその奥にあるものを手に入れようとしたのだ。探索は順調に進み、試練を乗り越え、あと少しというところでそれを逃してしまう。これが悔しくて仕方なかった。以来、もう1度挑戦するべく、その場所に通じるこの縦穴を掘り続けている。


「あらゆる願いを叶える水晶」


 最も奥深い場所にあったあの水晶は確かにそう思わせるだけの雰囲気があった。台座に鎮座したそれはには威厳があり、触れば願いを叶えてくれるように見えたのだ。


 それなのに、目の前にあってもう少しでこの手に届きそうだったというのに、裏切り者のせいでその水晶に触れることができなかった。若いときの老人が水晶に近づこうとするとかつて雇っていた冒険者が邪魔をしてきたのだ。あれは俺のものだと叫びながら。


「バカな。あれはオレのものだ。絶対に!」


 あの裏切り者と契約したとき、老人は自分が水晶を手に入れるまで協力するという条件を入れていた。なのにそれを途中で破棄して老人の元から離れ、あまつさえ行く手を邪魔してきたのだ。許されざる暴挙である。


 もちろん、その程度で諦める老人ではなかった。自らのものを奪われんとするために必死に抵抗したのだ。かつての老人は裏切り者と激しい戦いを繰り広げたのである。しかし、残念ながら瀕死の一撃を与えられて動けなくなり、他にも多数いた協力者共々地上まで叩き出されてしまった。


 そのことに気付いたとき、かつての老人はあらん限りの力を振り絞って怒り狂う。すぐにでも引き返して奪還したかった。しかし、地上に放り出されたときに身の回りの物がほとんどなくなっていたことに気付く。武器も荷物もない状態ではさすがに返り討ちに遭うことは間違いない。そのため、泣く泣く一旦町に戻ることにした。


 町に戻ったかつての老人はすぐに準備を整えるべく奔走する。しかし、肝心の長杖(スタッフ)を再び手に入れるのに手間取った。これは町の中にある魔術師ギルドでないと手に入らない代物なのだ。魔術使いであることを証明し、大金を積んで初めて手にできるのである。


 しかし、ここで大問題が発生した。魔術使いであることを証明するためにギルド職員の前で実際に魔法を使う必要があるのだが、ここでかつての老人は自分が魔法を使えなくなっていることに初めて気付いたのだ。理由はわからない。しかし、魔法が発動しないという事実だけが横たわっていた。


 こうして魔術師ギルドを追い出されたかつての老人は途方に暮れたが、更に追い打ちをかけられるような事実を突き付けられる。あそこに続く縦穴の螺旋階段が全域にわたって崩壊したのだ。慌てて事実を確認するために現地へと向かうと、確かに縦穴は人工的な構造物が一切崩れ落ちていた。


 あまりのことに茫然自失となったかつての老人だったが、気力を振り絞って立ち上がる。穴を掘ってでもまたあの場所に行ってやろうと誓ったのだ。しかし、魔法が使えなくなっていたのでさすがに1人ではどうにもできない。そこで、町で仲間を募った。幸い、裏切り者と戦うために協力した冒険者たちがすぐに集まってくれた。そして、今現在に至る。


 あれから、何十年と縦穴を掘り続け、今や老人1人だけとなった。しかし、諦めるつもりはさらさらない。必ずまたあそこに向かうのだ。そのために、今日も撤去作業をする。


「はぁ、はぁ」


 疲れた体を鞭打って老人は縦穴を掘り続けた。意識が朦朧とするが毎度のことだ。このときたまに夢のような記憶が蘇る。故郷に帰りたいあまりに気が狂ってしまった老人の思いだ。長年調査と研究を重ね、ついに到達した先で水晶に囚われてしまった狂人の怨念は今も帰りたがっている。老人はその気持ちが少しだけわかる気がした。


 あとどのくらい瓦礫や土砂を撤去すればいいのかわからないまま縦穴を掘る老人だったが、その執念がついに報われるときがやって来る。


 最初は、瓦礫と瓦礫の間にある空間だと老人は思った。崩れ落ちた堆積物の重なり方によっては小さい空間ができることもあるのだ。それに何度も失望させられたことがあるので、とうの昔にそんなことでは期待しなくなっていた。


 ところが、瓦礫と土砂を撤去するほどその空間は大きくなる。いつもと違うことに気付いた老人はまさかと思った。思いつつも撤去する腕に力がこもる。


「やっと、やっと通じたのか!」


 やがて疑念は確信に変わった。それは瓦礫と瓦礫の間にある空間ではない。かつて迷宮に通じる空洞に繋がっているのだ。


 必死になって掘った老人はついに人が出入りできるくらいの穴を開ける。疲れる体を物ともせず、松明(たいまつ)を手にかつての空洞へと入った。


 老人は手にする明かりを頼りに空洞の中を眺める。剥き出しの岩や大きな空洞の天井には氷柱(つらら)状の鍾乳石があちこちにある。


「間違いない。ここだ、やっと来たぞ!」


 喜び勇んで老人は奥へと進んだ。この先すぐに石造りの壁があり、その中央には均整の取れた男女の石像によって支えられた半楕円形の入口があるはずなのだ。


 期待を胸に老人は歩いたが、間もなく剥き出しの岩の壁にぶつかる。


「は?」


 明らかに自然の壁だった。人工物などではない。そして、どこにも入口が見当たらない。


 一体何がどうなっているのか老人には理解できなかった。かつてはここに迷宮の入口があったはずなのだ。それが影も形もないというのは一体どういうことなのか。


 呆然とした表情のまま、老人は空洞の中をさまよう。あるはずのものがどこにもない。


 やがて老人はその場に立ち尽くした。

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クィンシーは飲まれたまま元に戻らなかったのか… 認知も歪んだまま執着だけが残って哀れなことに・・・
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