すべてが終わって
戦いの興奮が収まってくると、ショウゴは腹の痛みをより強く意識するようになった。熱を伴う痛みが神経を苛む。
クリュスによって冷たい床に優しく横たえられたショウゴはその顔を見上げた。とても優しく微笑んでいる。わけもわからずに乗った話だがやりきって良かったと思えた。
しかし、気になることがある。そのクリュスの姿が透明感を伴うようになってきたのだ。さすがに気になったショウゴが問いかける。
「クリュス、お前、なんか透き通ってきてないか?」
「この善意のラビリンスの核である水晶が壊れたので、その化身である私もそのうち消え去ることになります」
「何だと? どういうことだ」
「私は元々、この善意のラビリンスを管理する支配人でした。人間たちが楽しく不満を持つことなく活動できるようにするための窓口だったのです」
まさかの事情を聞いたショウゴは目を見開いた。確かに人間とも思えない面があるとは感じていたが、本当に人間ではないとは思っていなかったのだ。
そんな驚きの表情を見せるショウゴにクリュスはくすりと笑う。
「余程驚かせてしまったみたいですね。では、今少しある時間をかけて、この迷宮のお話をしましょう」
優しく微笑むクリュスはショウゴに語り始めた。
事の始まりは今で言う神話の時代である。この世界を作った神々はその作ったものたちに囲まれて暮らしていた。その中でも自分たちに似た生き物である人間を子のようにかわいがっていたが、人間もまた神々を親のように敬愛していたという。そんな人間たちは神々を喜ばせたいという思いから、そのための施設がほしいと願った。そうして神々によって造られたのがこの善意のラビリンスである。
迷宮という名を冠することになったこの建物だが、実際にはあらゆる娯楽や遊戯が楽しめる総合施設だった。陸上競技、闘技、演劇、舞踏、饗宴、盤上娯楽、美術、音楽、文学、哲学、祭事など、人々はここで様々なものを生み出してゆく。そして、あるときはそれを楽しむ自分たち人間の様子を神々に見てもらい、あるときは神々と一緒にそれらを楽しんでいた。こうして、神々と人間は楽しく暮らしていたのだ。
新しい楽しみが次々と生み出されるこの善意のラビリンスを神々は愛した。そして、その喜びをもたらしてくれる人間にあるときから返礼するようになる。迷宮が中で活動する人々から思いや魔力を少しずつ受け取り、それをささやかな幸せに転化させるようにしたのだ。その幸せというのは喜ばせ方によって様々である。歌によって喜ばせた者は美声、踊りによって喜ばせた者は健康、詩によって喜ばせた者は知恵など、現われる形は千差万別だった。
話を聞いていたショウゴが口を挟む。
「随分と、幸せな時代だったじゃないか」
「そうですね。私もとても幸せでした。しかし、それは永遠に続かなかったのです」
悲しげな微笑みを見せたクリュスが続きを語った。
神々は地上で人々と暮らしていたが、それはやがて終わりを迎える。人間を独り立ちさせるときがやって来たと考えた神々はこの世から立ち去ったのだ。
このとき、善意のラビリンスはそのまま残され、人間は以後も使い続ける。それ自体はともかく、人間は神々と離れたことで次第に正しく認識できなくなっていったのがゆがみの始まりだった。神々に対する親愛が信仰へと変わってゆく。
これに伴い、神々を喜ばせるための施設は神々を崇める神殿へと変質した。すべての遊技は神々に対する奉納であり、同時に儀式となる。行動に対する意味づけが変化したのだ。しかし、神々のための行動には変わりないので迷宮はささやかな幸せを与え続けた。その後、いつしかこのささやかな幸せは『神の奇跡』と称されるようになり、人間は善意のラビリンスを奇跡のラビリンスと呼ぶようになる。
「奇跡のラビリンスの由来は、これか」
「そうです。これがゆがみの始まりでした。人間の意識の変化を見過ごしてしまったのがいけなかったのでしょう」
「それは別にクリュスが悪いわけじゃ」
「いいえ、私はこの後も判断を誤ったのです」
ショウゴの言葉をさえぎったクリュスが話を続けた。
迷宮の呼び方が変わった後も人間は奇跡のラビリンスを使い続ける。しかし、やがて神々に対する信仰よりも自らの欲望を優先させるようになった。より大きな神の奇跡を得るために遊戯は過激になっていったのだ。ところが、与えられる神の奇跡という名の幸せはささやかなものしかないために人間は失望し、ついには奇跡のラビリンスを捨てたのである。
人間が去った後、迷宮は役目を終えたと判断して地中へと沈み、核である水晶は活動を停止した。長い眠りについたのである。
「思えば、あのとき私は活動を停止するのではなく、消え去るべきなのでした。善意のラビリンスは神々という親が人間という子に与えた玩具のようなものです。それ故に起こせる奇跡が少ないのは当然のことででしょう。親が子に過大な報酬をあたえれば、子が狂ってしまいますから。そして、大人になった人間には子供の玩具が必要ありません。私は、人間が独り立ちしたときに眠るのではなく消え去るべきでした」
「そんなこと言うなよ。別にお前が悪いわけじゃないだろう。迷宮を扱い損ねた人間が悪いじゃないか」
「ありがとう。しかし、私は無防備すぎました。眠りにつくまでの私は善意のラビリンスだった時代から何も変わっていませんでしたから、人間の悪意に対して無防備でした」
「そういう風に言うってことは、まだ続きがあるのか」
「ええ」
前よりも薄れてきたクリュスが今に続く話を語り始めた。
奇跡のラビリンスと呼ばれるようになった善意のラビリンスの目覚めは正に暴力的だったと言える。停止していた迷宮の核はいきなり流し込まれた魔力で起動したのだ。しかも、その魔力は純粋なものではなく、人間の欲望に染まったものだった。人間の悪意に対して何の対策もされていなかった迷宮の核は1人の老人によって染め上げられてしまう。
起動直後、己の中に流れ込む人間の欲望に危機感を覚えた迷宮の核は最初抵抗を試みた。しかし、それが敵わないと知ると次いで何とか自己保存しようと努める。その結果が黒猫タッルスだった。
以後、クリュスはクリスとなり、歪んだ善意のラビリンスの支配人として振る舞うことになる。奇跡のラビリンスとして欲望で人々を呼び集め、そして飲み込んでゆく迷宮に変貌したのだ。
悲しそうにクリュスは自嘲する。
「クリスは人間の欲望に染められたもう1人の私でした。普段はクリスとして動き、クリュスはたまに表にでるのがやっとだったのです」
「そんな状態で、よくクリスに気付かれずに動けたな」
「いいえ、記憶は共有していたのですべて知られていました。ですから、私はタッルスに導かれるにふさわしい者が道を踏み外さないように忠告するのが精一杯だったのです」
「それじゃ、タッルスが何をしようとしていたのかは」
「はっきりとは知りませんでした。ただ、途中まで導かれた者がたまにいましたから、おおよそのことはわかっていましたが」
「よくクリスが見逃していたな」
「クリスとしては、適度に善意を示すことで人間を混乱させるために利用していました。そのため、今まで見込みがあった方々はいずれも」
「わかった。もういいよ。終わったんだからな」
話を聞いていたショウゴは次第に意識が遠のいていくのを自覚した。これはいよいよだなと悟る。
「そうだ、せっかくだから俺の話も聞いてくれよ。俺さ、実は10年前にこの世界へ転移してきたんだ。それ以来帰る方法を探してたんだけど、結局見つけられなかったんだよ。ひどいんだぜ、ある日突然別の世界だったんだから」
「この世界の人間とは微妙に違う気配がありましたが、そういうことだったのですね。では、これから神の元へ戻る私がお願いしてみましょう。あなたに対する謝礼はあってしかるべきですから」
「へへ、やった。帰れる、んだ」
かなり透き通ってきたクリュスをぼんやりと見つめながらショウゴが笑った。そうしてしばらくか細い息を繰り返した後、動かなくなる。
「ありがとう、ショウゴ。あなたの魂に祝福を」
静かに横たわるショウゴにほとんど透き通った姿のクリュスが慈愛に満ちた笑顔を向けた。そうして、そのまま完全に姿が消える。
こうして大広間には誰もいなくなった。
この日、悪意のダンジョンに大きな異変が起きた。突如としてその機能が停止したのだ。中で活動していた多数の冒険者たちは大混乱に陥る。そして、誰もがこぞって脱出した。
更にこの1週間後、迷宮に続く縦穴の螺旋階段が全域にわたって崩壊する。以後、この迷宮に冒険者が入ったという記録はない。




