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悪意のダンジョン  作者: 佐々木尽左
終章 深層

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最後の一手

 次第に追い詰められてゆくショウゴは迫る竜巻と冒険者の合間を縫ってクィンシーとクリスをちらりと見た。クィンシーは引きつった笑みを浮かべ、クリスは顔を歪めながら敵意のこもった視線を向けてくる。


 どちらもショウゴを追い詰めている割には余裕がない。魔法の行使は魔力を消耗しても体力は使わないし、あの2人はほとんど動いていないのだから疲れることもないはずだ。それにもかかわらず苦しそうなのは、やはりこの場に何かあると見做すべきだろう。ここまで追い詰められながらも致命的なことになっていないのは、無表情ながらも息が上がってきている冒険者の動きが鈍くなってきているからという理由も大きい。


 苦労して冒険者の1人を殺して一息ついたショウゴは考える。どうやったらこの状況を打開できるだろうか。何かきっかけを掴めるようなものがないか探す。


 そのとき、冒険者を操っているらしいクリスが苦しみだした。両膝を床に突いて息を荒げる。


「ああ、この大切なときに! お前は来るな! うっ」


 周囲に注意を払う余裕すらないらしく、冒険者たちの動きも止まった。操る余裕もなくなったらしい。そのせいで何人かの冒険者が竜巻に巻き込まれて吹き飛ばされる。


 これは絶好の機会であるからショウゴは活かさなければならない。ところが、それを逸してしまいそうになる程のことが起きる。クリスの髪と瞳の色が変化を始めたのだ。銀髪紅眼から金髪碧眼へと変わってゆく。


「嘘だろ」


 その光景を見たショウゴは目を疑った。クリスからクリュスに変わりつつある。確かに2人は色違いでうり二つだと思っていたが、さすがに同一人物だとまでは思っていなかったのだ。


 驚いているのはショウゴだけではない。クィンシーもまた驚いていた。竜巻の操作を忘れるほど離れた場所で苦しんでいるクリュスあるいはクリスを凝視している。クィンシーがクリュスのことを知っているのかどうかはともかく、別人物に変わること自体を驚いているようだ。


 やがて完全に金髪碧眼へと変化した。苦しみの形相を浮かべていた顔が穏やかなものになる。床に両膝を突いたまま顔を上げた。わずかに視線をさまよわせた後、ショウゴに目を向ける。


「台座にある水晶を壊してください!」


 やはりそうだったかと自分の推測に自信を持ったショウゴだが、その言葉で奮起したのはクィンシーも同じだった。目を血走らせてショウゴを睨み、竜巻の操作を再開する。


 一方、クリスから解放された淪落者のたまり場の冒険者たちは動揺していた。ショウゴに対する敵意はあるが自ら動くまでには至っていない。そこへ竜巻が突っ込んできた。何人かが巻き込まれて吹き飛ばされると、慌ててショウゴと竜巻から離れる。


 こうして、竜巻に襲われるショウゴとそれを緩やかに囲む冒険者、そして、遠くで竜巻を操作するクィンシーという形になった。状況は振り出しに戻る。


 どうにかして濁った大きな水晶に近づきたいショウゴだったが、竜巻が邪魔をして突破できない。武器を投擲して水晶を壊すという手段は遠すぎて有効ではない。例え投擲範囲内であってもダガーは既に手元にはなかった。今手元にあるのは右手の片手半剣(バスタードソード)と新しく買い直したナイフ、そして転写のナイフだ。


 そこまで考えてショウゴはこの呪いの道具の性質を思い出す。使用者の体を傷つけると対象者の同じ部位に同じ傷を転写するナイフだ。当然、痛みも伴う。まだ切り札は手元にあったのだ。


 竜巻を避けながらショウゴは考えた。魔法を使うときには精神を集中する必要があるので、途中でその集中を乱されることを魔術使いはひどく嫌う。なので、転写のナイフで傷を転写してクィンシーの精神を乱す方法は有効だ。問題なのは、クィンシーも優秀な冒険者なので生半可な自傷では耐えられてしまうという点である。つまるところ、不意を突いて大きな傷で行動を一時的に止めなければならない。更に呪いに気付かれて対策されると確実に負傷する自分が不利になる。機会は1度だけだと考えるべきだ。


 正直なところ、ショウゴはやりたくなかった。痛いのが嫌なのはもちろん、自傷行為に抵抗感があるからだ。薄皮1枚を切るのとは違う、死ぬかもしれない一撃を自分に突き刺す。動けなくなっては本末転倒だが、そのくらいの傷でなければクィンシーは止められないという矛盾に悪態をつく。


 迷っている時間はもうなかった。2つの竜巻がショウゴを襲うその脇で3つ目が誕生したのだ。さすがにこれを全部避け続けるというのは無理がある。


「くっそ、あの野郎、ふざけやがって!」


 顔を歪めながら叫んだショウゴは左手で転写のナイフを鞘から引き抜いた。器用に逆手へと持ち替えるとそれを脇近くの腹に押し当て、片手半剣(バスタードソード)を持ったままの右手の力も借りて思いきり突き立てる。


 強烈な痛みがショウゴの腹に発生した。それに耐えるのが精一杯で動きが一気に鈍る。脂汗が吹き出てきた。歯が噛み合わずに鳴る。


 文字通り痛みを伴った一撃だが、その甲斐はあった。発生直後のものも含めて竜巻3つがすべて消えたのだ。クィンシーは全身を硬直させて床にうずくまっている。


 目論見は成功した。後は濁った大きな水晶へと近づくだけだ。ショウゴは脚を動かす。ところが、痛みで思うように体が動かない。クィンシーが感じる痛みはショウゴのものだ。当然その激痛には同じように耐えなければならない。


 思った以上にきついことをショウゴは今更実感した。昔見た物語などで登場人物が重傷を耐えて動く場面があったが、あのようにはいかない。改めて人間は痛みに弱いことを思い知る。


 しかし、ここでうずくまるわけにはいかなかった。何としても水晶の元へ向かわなければならない。歯を食いしばって進もうとする。


「肩を貸します。さぁ、参りましょう」


 そのとき、左肩を持ち上げてくれる人物にショウゴは囁かれた。ちらりと見るとクリュスだ。いつの間にか側に来てくれていたのだ。


 クリュスの肩を借りたショウゴは前に進む。クィンシーはそれを止めることができない。しかし、淪落者のたまり場の冒険者たちがまだ周囲を囲んでいた。その大半は髪と瞳の色が違うクリュスに動揺して動けずにいたが、中にはお構いなしに武器を振るってくる者もいる。


 あわやというところまで迫ってきた一部の冒険者たちだったが、突然その動きが止まった。クリュスが何事かつぶやいた直後である。


 これでさえぎるものは何もなくなった。クリュスに支えられたショウゴは濁った大きな水晶が鎮座する台座の正面までやって来る。


「にゃぁ」


 すっかりその存在を忘れていた黒猫タッルスがショウゴに近寄ってきた。そのままだらりと下げる右手でかろうじて持っていた片手半剣(バスタードソード)に触れる。すると、その剣身が輝いた。


 それを見ながらショウゴがつぶやく。


「これでやればいいわけか」


「はい。どうか()に終わりを、囚われた魂に解放を、もたらしてください」


 願われたショウゴは体を震わせながらもクリュスから離れた。そして、輝く片手半剣(バスタードソード)を上段に構える。


「止めろ、それは、オレのだっ!」


 背後から元雇い主の声がショウゴの耳に入った。しかし、それに反応する余裕はない。


 全身に力を入れたショウゴは目を見開いた。両手で持った剣をそのまま一気に振り下ろす。この瞬間だけは痛みを意識の外に追い出して放った一撃は水晶に当たった。その表面に亀裂が入ると同時に、剣身の輝きが中へと吸い込まれてゆく。


 ショウゴが両手で持った剣から輝きが失せた少し後、濁った大きな水晶に大きな変化が現われた。無数の悲鳴と共にひときわ大きな煙が出てきて、老人のよう姿を(かたど)る。それはクリュスからも同じように出てきており、大きな煙のようなものに合流した。


 やがてそれらは散り散りとなり、大半がクィンシーに、一部が生き残っている冒険者たちへと吸い込まれてゆく。やがて完全にその煙が消えてなくなると次々に床へと倒れた。


 悲しそうにあるいはつらそうにその様子を眺めていたクリュスは小さくつぶやく。すると、生死を問わずに大広間にいた者たちの姿が消えた。


 剣を振り下ろしたままのショウゴは肩で息をしながら固まったままだ。痛みに耐えるのに精一杯なのである。


「ありがとう、ショウゴ。あなたのおかげですべてが終わりました」


 側に寄ってきたクリュスの言葉を聞いたショウゴは全身の力を抜いた。そのまま床に倒れかける。しかし、そうなる前にクリュスが支え、優しく床に寝かした。


 次第に息が荒くなっていくショウゴは自分を見つめるクリュスを眺める。その微笑みはとても優しげだ。それを見ていると最後までやりきって良かったと思える。


 満足感に浸れたショウゴはクリュスに対して力なく笑った。

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