導かれる者
出発の準備を整えたショウゴはパリアの町を出た。いつものように悪意の山脈側へと足を向ける。行く先は悪意のダンジョンだ。
1日強かけて不揃いな石で固められた大穴にたどり着く。松明を点けて明かりを確保すると中に入った。縦穴に備え付けられた螺旋階段を伝って降りると大きな空洞に足を踏み入れる。その奥には精緻な壁があり、その中央には均整の取れた男女の石像に縁取られた大きな半楕円形の入口があった。
ここまでやって来たショウゴだが、実のところ困った問題をひとつ抱えている。それは地図がないという現状だ。雇われているときはクィンシーが地図作成担当で指示を出していたのでショウゴは気にする必要がなかった。しかし、1人の今はそれが大きな問題としてのしかかってきている。一応羊皮紙とペンは購入したものの、ゼロから地図を描くというのは精神的にかなり徒労感を伴いそうだった。
不満を漏らしても事態は進展しないのでショウゴは悪意のダンジョンへと入る。そこは大きな広間だ。冒険者の間で正面玄関と呼ばれている場所だ。
そこにあの黒猫タッルスがちょこんと座っていた。まさかここで出会えるとは思っていなかったショウゴは呆然と眺める。
「にゃぁ」
一声鳴いたタッルスは立ち上がると背を向けて歩き出した。そして、通路をある程度歩いたところでショウゴへと振り向く。
誘われていることに気付いたショウゴはその後に続いた。クリュスに導かれるように伝えられてはいるが、どこに向かっているのかはまったくわからない。
しばらく歩き続けてショウゴは何となくタッルスとの距離感がわかってきた。距離の長短というより、進んだ通路の先をどこで曲がるのかということを常に教えてくれるという感じだ。地図を持たない身としてはとてもありがたい。これで行く先がわかればもっと安心できるだろう。
それはともかく、この方法で導かれる場合、問題が2つあった。ひとつは罠の位置までは教えてくれないという点である。タッルスが教えてくれるのはあくまでも経路のみらしい。勢い歩みは慎重になる。また、もうひとつは魔物との遭遇だ。こちらも自力で対処するしかない。その分だけ歩みが遅くなる。
幸い、ショウゴ1人でも対処はできた。罠については今までの経験からよく知っているし、魔物との戦いも経験だけでなく特別な能力のおかげで数の多さはそこまで問題にならない。こうして、確実に階下へと進んでいった。
ただ、悪意のダンジョンは広い。1階層降りるだけでも鐘の音1回分の時間がかかる。そのため、下層まで降りるのにかなりの時間が必要だ。ショウゴは地下3層と地下7層でそれぞれ1泊する。こういうときはこの広すぎる階層が恨めしくなった。
2泊した後、ショウゴはついに地下9層まで降りてくる。何となく予感はしていたので驚きはないものの、ここまでやって来たという緊張感はあった。
相変わらずタッルスはどの角で曲がるのかを教えてくれるだけである。それでもどこかにある目的地にたどり着くには充分なのだが、下の階層ほど罠と魔物が厄介になってきた。そして、もうひとつ面倒なのが冒険者の存在である。今のショウゴは1人で悪意のダンジョン内を進んでいるが、そんなショウゴにちょっかいをかけてくる者がいた。勧誘ならば断るか逃げるかで何とかなるが、追い剥ぎとなるとそうもいかない。今のところは返り討ちにできているが、罠や魔物よりもずっと面倒だった。
ある意味そんな試練を乗り越えたショウゴは今、通路の奥にある扉の前で立っている。これといって特徴のない扉だ。しかし、今まで扉は階段のある部屋ばかりを案内されてきたので首を傾げる。
「もしかして、この先に階段があるのか?」
今までの経験からするとそういうことになるとショウゴは考えた。しかし、悪意のダンジョンは全9層だと教えられていただけに悩んでしまう。
じっとしていても仕方がないので、ショウゴは罠の有無を確認してから扉を開けた。造りは他とほとんど変わらない小さな部屋である。しかし1点だけ、入口の奥の壁に5つの窪みがある石版がはめ込まれているのが他とは違った。そして、その部屋の中央にはタッルスがちょこんと座っている。
「にゃぁ」
タッルスの鳴き声を聞きながらショウゴは石版を見つめた。5つの窪みから小さな水晶のことを思い出す。懐から取り出したそれらを手にして石版に近づくと見比べた。ちょうどはめ込めるようだ。
ショウゴは試しに手に入れた順番に小さな水晶をはめ込んでみる。ぴったり収まったのでしばらく待ってみた。しかし、何も起きない。順番が違うことはすぐに理解できたが、ならばどの順番なのかがわからなかった。
小さな水晶を眺めながら顔をしかめていると足元から鳴き声が聞こえる。
「にゃぁ」
呼ばれた気がしたのでショウゴはタッルスへと目を向けた。じっと見つめられるので自分も見つめ返す。そのとき、不意に何かを思い付いて再び水晶へと顔を向けた。
「『ta』『ll』『us』、もしかして、これでタッルスなのか? そうなると『cr』『ys』は、クリス? いや、これでクリュスって読む? タッルス、クリュス。クリュス、タッルス。もしかしてこうだったり?」
まさかという思いと恐らくこうだろうという思いが混ざった感情のままショウゴは小さな水晶の順番を入れ替えてはめ込んだ。すると、石版ごと人1人分通れる大きさだけ目の前の壁が消え、地下へ続く階段が現れる。
自分の予想が当たったことにショウゴは呆然とした。そして、そんなショウゴなどお構いなしにそれまで座っていたタッルスが脇を通り過ぎて階段を降りてゆく。
しばらくじっとしていたショウゴだったが、自分の両頬を両手で叩いて気合いを入れ直した。それから階段を降りてゆく。
狭くて圧迫感のある階段を降りるのは思ったよりも時間がかかった。今まで悪意のダンジョンで利用していたものよりも体感で長い。
その末に降りた場所はいつも見る階段のある部屋と見た目は同じだった。床、壁、天井を構成する石材がぼんやりとした明るさで光っているのも変わらない。しかし、それまでの階層とは違って静謐で神々しい雰囲気であることに戸惑う。
「なんだここ?」
「にゃぁ」
周囲を見て動揺していたショウゴにタッルスが声をかけてきた。そして、そのまま扉の近くまで進んで立ち止まる。開けろと言っていることは明白なので罠の有無を確認してから開けてやった。すると、すぐに向こう側へと飛び出してゆく。
それからはまた上の階と同じだった。通路を進んだ先の曲がり角でショウゴを待つ。
当初は今まで通り慎重に進んでいたショウゴだったが、この階層の雰囲気を感じている間に罠が仕掛けられているとは思えなくなってきていた。かなり進んでも魔物が1匹も出てこないことから、本当に何もないのではと考えるようになる。道案内してくれているタッルスに問いかけて答えてくれたら良いのだが、さすがに猫と話はできない。
次第に周囲への警戒心が薄くなっていったショウゴはひときわ大きな門の前にたどり着いた。タッルスはこの門の前でちょこんと座って離れないでいる。
1人で開けられるのか不安な大きさの門であったが、ショウゴが取っ手を手にして動かすと重さを感じさせない軽さで開いた。中は広大な広間で奥に大きな水晶の鎮座する台座がある。
「大きい」
上の階にあった最奥の大広間よりも更に大きい広間にショウゴは圧倒された。一体何のための空間なのかわからない。
周囲を見上げたショウゴが呆けていると、その脇を通ってタッルスが奥へと進んだ。今までと同じ足取りでまっすぐ台座を目指す。
途中からショウゴはタッルスの行動に気付いた。黒猫の向かう先にある台座へと目を向けると、よく見れば大きな水晶はひどく濁っているように見える。そのまま眺めているとやがてタッルスが台座の前にたどり着き、くるりと振り向いてちょこんと腰を下ろした。そうしてショウゴを見据える。
「にゃぁ」
誘われていることを理解したショウゴは歩き始めた。大広間はかなり広いので少し時間がかかる。その間に大きな水晶のことを考えた。
まさかそんなものがここにあるとショウゴは思わなかったが、それが禍々しく濁っているということに更なる驚きを覚えている。周囲の雰囲気とはまったく正反対であり、この場にふさわしくないとさえ思えるほどだ。
それでもここにあるということは何かしら重要な意味があるのだろうし、タッルスがここに導いたということはあの大きな水晶をどうにかしてほしいということなのだろう。
黒猫が求めることが何かうっすらと気付きつつあるショウゴは大きな水晶に向かって歩き始めた。




