真の願い
クィンシーとの契約が完了した翌日、ショウゴは宿屋『冬篭もり亭』の部屋を相部屋から個室へと移った。置き荷物があるとはいえ、身一つで背負える程度なので引っ越しはたやすい。
根城の移動が終わるとショウゴは宿を出た。用のある場所は特にない。仕事は終わったからだ。帰るための準備はしないといけないが、仕事ではないので急ぐ必要はない。
何となく歩いていたショウゴは気付くと冒険者ギルド城外支所まで来ていた。冒険者なので町に馴染みはなくてもここには馴染みがある。無意識に足が向くのは自然だった。
石造りのしっかりとした建物にいくつかある開け放たれたままの出入口近辺は往来する人々が多い。誰もが武装した男で、立派な装備をした者から貧民がとりあえず武装したという姿の者まで多彩だ。
室内に入ると数多くの人々がいて騒々しく、暴力的な雰囲気が漂う活気、汗と革の臭いが充満している。その中をショウゴは慣れた感じで受付カウンターへと進み、行列の最後尾に並んだ。
待ちながら周囲を見るといつもと変わらない騒々しさである。誰もがその日の糧を手に入れるために動き回っていた。この世界に転移してくる前に知っていた冒険者ギルドとは違って掲示板に依頼書が貼られているということはない。冒険者の大半は文字の読み書きができないからだ。そのため、仕事を探すときは受付カウンター越しに受付係と話をして依頼を引き受ける必要がある。この点はショウゴが最も驚いた事柄のひとつだった。
過去を思い出しながら順番待ちをしていたショウゴの番が回ってくる。受付カウンターの前に立った。いつものように受付係に話しかける。
「悪意のダンジョン関連の仕事はどんなものがあるか教えてくれないか」
「いいぞ」
気軽に応えてくれた受付係がいくつかの依頼を紹介してくれた。探険隊の護衛、貴人の案内、商売人の手伝い、パーティメンバーの一時雇用など、相変わらずいろいろとある。
尚、話は変わるが、ショウゴがこの世界の冒険者ギルドに最も驚いたもうひとつの事柄は、受付係が男ばかりということだった。若い女など裏方の職員にもほとんどいない。創作はやはり創作なんだなとがっかりした次第である。
話を戻すと、悪意のダンジョン関連の仕事はいつも通りたくさんあった。ショウゴとクィンシーが最下層の最奥で最後の試練を乗り越えたにもかかわらず、以前と同じようにだ。まるでゲームをやり遂げたか、あるいはアトラクションを最後までやりきったかのような感じである。ゲームは何度クリアしてもゲーム自体はなくならないし、アトラクションは何回でも挑戦できるものだ。あの悪意のダンジョンはそんな場所に見える。
「なぁ、最近悪意のダンジョンで何か変わった話はあるか?」
「変わった話? まぁあそこ自体が変わってるからな。そんな話があっても悪意のダンジョンだからの一言で済んじまうよ」
「それじゃ、一番下の階層の一番奥にある大広間に行って最後の試練を乗り越えた奴の話はどうだ?」
「噂で聞くことはあるが、事実確認はなかなかできないんじゃないか? 何しろ、その試練を乗り越えたヤツから話を聞けることなんて滅多にないそうだからな」
「どうして?」
「さぁな。単に秘密にしておきたいのか、それともしゃべれない理由でもあるのか、それすらわからないんだ。何しろ、試練を乗り越えた連中は揃って行方不明になるって噂もあるくらいだからな」
肩をすくめる受付係を見ながらショウゴは固まった。昨日のクィンシーの急ぎっぷりがどうも気になる。しかし、今となっては探しようがない。
もっと早くこの話を聞いていればと思うショウゴだったが、同時に聞いてもどうにもならないと思い直した。実際に経験しないと真に理解できない類いのことだから。
若干肩を落としたショウゴが城外支所の建物から出た。
こうなるといよいよやることがない。帰るための準備をしようと市場に寄るがどうにも意識がそぞろになる。悪意のダンジョンに意識が引っぱられているのはショウゴも自覚していた。どうにも中途半端な状態になってしまっている。
気付けば夕方になっていた。半日もぼんやりと過ごしたことにショウゴは我ながら呆れる。余暇の使い方のひとつではあるのかもしれないが、何とも気の晴れない使い方だ。
今日も1日が終わつつある頃、ショウゴは酒場『天国の酒亭』に入った。店内はかき入れ時ということもあって盛況だ。テーブル席は空いていない。次いでカウンター席へと目を向ける。すると、カウンター席の端、店の奥に不思議な雰囲気の人物を見かけた。ローブのフードを目深に被っているので端から見てもその正体はわからない。しかし、何となく確信があった。
近づこうとしたショウゴだったが、逆に横合いから給仕女に声をかけられる。
「あら、いらっしゃい。カウンター席なら空いてるわよ」
「ありがとう。注文はいつものでいい」
振り向いて返事をしたショウゴはすぐにカウンター席の端へと目を向けた。しかし、今しがた見かけたローブ姿の人物が見当たらない。そして、前もこんな感じだったことを思い出す。
少しの間呆然としていたショウゴだったが、別の客に往来の邪魔だと指摘されて慌ててカウンター席へと向かった。
馴染みの酒場で食事を済ませたショウゴは宿に向かっていた。あとは帰って寝るだけなので気が楽だ。解放感が心地よい。
日が暮れたあとの路地は当然暗い。これが歓楽街の表通りならば店の前に掲げられた松明や篝火である程度の明るさが確保できるが、路地裏となるとそうもいかない。
既に睡魔に襲われ始めていたショウゴは早く宿に戻るため脇道へと入った。それほど長くない小道なので反対側の表通りの人通りがよく見える。
ショウゴはのんびりと進む。周囲には誰もいない。そんな中、前方にフードを目深に被ったローブの人物が立っているのを目にした。怪しくはあるのだが、その雰囲気は知っているものだと気付く。
正体不明の人物の前でショウゴは立ち止まった。そして、自分から声をかける。
「クリュスか」
「覚えていてくださったのですね」
ショウゴの声かけに正体不明の人物が応じた。話しながらフードを背中へとずらすと、恐ろしいまでの精巧さで形作られた頭部が露わとなる。金髪碧眼の絶世の美女だ。
自分の予想が正しかったことにショウゴは安心した。同時に、いつもクリュスとの面会の時間は限られていることを思い出す。
「雇い主との契約は満期終了したよ。これでもう悪意のダンジョンに入る必要はない」
「あの試練という名の儀式を終えられたのですよね。もう1人の方は」
「クリュスはあの試練のことを知ってるのか? クィンシーがどうなったかも?」
「あの儀式は、今の迷宮に飲み込まれた者の魂を汚し、その活力を奪うためのものです。もう1人の方は残念ながら適合されてしまい、囚われてしまいました」
「嘘だろう? クィンシーが。いやでも、途中からおかしくなっていたのは」
「今の迷宮は、下の階層に向かうほど、変わり果てた施設に入る程狂いやすいようになっています。もう1人の方は踏み込みすぎてしまったのです」
クリュスに指摘されてようやく、ショウゴは悪意のダンジョンのせいでクィンシーがおかしくなってしまったことを確信できた。
顔を歪めるショウゴにクリュスが話を続ける。
「しかし、あなたはそうならなかった。そればかりか、今もあのタッルスに導かれていますよね。最後までその魂を染められないままでいたことは素晴らしいことです」
「そういえば、あの黒猫から小さな水晶をいくつかもらったんだ。これ、中に何の文字が刻まれてるのか教えてくれないか?」
「『ta』『cr』『us』『ll』『ys』です。正しく並べることができれば役立てることができるでしょう」
「やっぱり何かの単語なんだ」
「長らくあの迷宮にいましたが、これを揃えられた者はほとんどいません。それだけでも偉大なことです。そんなあなたにお願いがあります。どうか、このままタッルスに導かれて私を解放してくれないでしょうか」
「解放? どういうことだ?」
「それは、うっ」
「おい、またかよ。一体どうなって」
「申し訳ありません。もう、離れないと。危険、ですから」
初めて要求らしい要求を聞いたショウゴは苦しむクリュスに手をかけようとしたが、その前に離れられてしまった。持病があるのか制限時間があるのかわからないが、何か制限があるらしい。
解放とは何をどうすれば良いのかさっぱりわからないショウゴだった。しかし、この町を離れる前に黒猫タッルスにもう1度会うのは悪くないと考える。
裏路地を見つめながら、ショウゴは再び悪意のダンジョンに入ることを決めた。




