ダンジョンの下層へ
休暇を終え、パリアの町を出発したショウゴとクィンシーは悪意のダンジョンへと向かった。いつものように地上で1泊してから中へと入る。
今回から地下7層を探索する2人だが、そこに至るまでの道のりは遠い。何しろ、地上の野営地を出発して2日近くかかるのだ。一瞬で転移できる装置がほしいとショウゴなどは思ってしまう。
地下3層で1泊して更に階下へと降りた2人は地下6層へと到達した。そこから地下6層へ続く階段のある部屋へと向かう。既に地図を作ってあるので罠にかかることはない。たまに遭遇する魔物を撃退するだけだ。
そうして階段のある部屋の手前までやって来る。扉に罠がないことは知っているので躊躇うことなく開けた。すると、階段の側で黒猫がちょこんと座っているのを目にする。
「あの黒猫、今度はいるんだ」
前に冒険者たちを追跡してこの部屋にたどり着いたときにはいなかった黒猫が今回はいた。なぜそんな差異があるのかショウゴにはわからないので首を傾げるばかりだ。
他にも気になることはある。この前の休みに町で再会したクリュスは黒猫のことを知っていた。しかも、タッルスという名前もである。どんな関係なのか興味があった。
色々と考えていたショウゴだったが、いつまでも扉の前で立っているわけにはいかない。部屋の中央まで歩く。すると、黒猫が透明な玉をくわえたまま近づいて来きてショウゴの前に腰を下ろした。
それを見たショウゴが片膝を付くと、黒猫はくわえていた玉を床に置く。それから再び顔を上げた。
床に置かれた玉を右手で拾い上げたショウゴがそれを見つめる。
「前と同じ水晶だな。中に刻まれてる文字は違う。何て書いてあるんだろう?」
「にゃぁ」
可愛らしい鳴き声を上げると、その黒猫は背を向けて階段に向かって歩き始めた。そして、そのまま歩みを止めずに階段を降りていく。後にはショウゴだけが室内に残された。
ショウゴは階段に近づく。他と同じ石造りで寸分の狂いなく正確に積み上げられた階段の階下を覗いたが、黒猫の姿は見えない。
「やっぱりいないな。クィンシー、あれ?」
振り返ったショウゴは自分の周囲にクィンシーがいないことに気付いた。扉の辺りへと目を向けるとそこに立っている。
「クィンシー、どうしたんだ?」
「別に。もう終わったのか?」
「え、ああ。終わったっていうか、黒猫はいなくなったが」
階段の手前からショウゴが大きめの声で伝えると、クィンシーが扉から近づいて来た。何となくではあるが不機嫌そうに見える。機嫌が悪い理由がわからない。
多少気後れしたものの、ショウゴは手元の疑問を解消するべくクィンシーに問いかける。
「クィンシー、今黒猫からもらったこの水晶の中に刻まれてる文字って何かわかるか?」
「『us』だな。それより、先に進むぞ。残りの時間で地下7層をある程度調べる」
素っ気ない態度でショウゴの質問に答えたクィンシーはそのまま階段を降り始めた。礼も言えないままショウゴもその後について行く。
雇い主の後ろ姿を見ながらショウゴは水晶について考えた。現在、手元には3つの水晶があり、それぞれ古代文字で『ta』『cr』『us』と中に刻まれている。これが一体何を意味するのかは未だわからないが、以前クィンシーが全部集めるとひとつの単語になる可能性があると指摘していた。もし何らかの単語になるのならばどんな単語なのか、そしてそれにはどんな意味があるのか非常に気になる。
何しろ、黒猫タッルスがこれを渡してくるということはショウゴに何かをさせたがっているということだ。クリュスもこのまま善意のラビリンスに入り続けるのならばタッルスに導かれ、可能なら手を貸してほしいと言っていた。ということは、さすがに記念品としてこの水晶を渡しているだけだとは思えない。
他にも、ショウゴは善意のラビリンスという言葉が気になった。書物に記されていただけでなく、クリュスがその言葉を口にしたということは何かしら関係があると見ている。ただ、それがどう関係しているのかは今のところさっぱりわからないが。
こういうとき、古い資料も目を通せて調べられるクィンシーに相談するのが一番だ。1人で考えるよりも余程良い結果が得られる。本来ならすぐにでも相談したいとショウゴは思っていた。
しかし、最近のクィンシーはどこかおかしい。前の探索の途中から人が変わってしまったかのようなのだ。そのため、ショウゴは以前よりも雇い主がとっつきにくいと感じている。更には、黒猫と水晶に関しても素っ気ない態度を取るようになった。特に今回は黒猫に近づこうとすらしなくなっている。以前なら捕まえようとしていたくらいなのに。
どうにも1人で抱え込むことになりそうでショウゴは内心頭を抱えた。現代語ならともかく、古代文字はさすがに読めないので資料を自分で読み解くこともできない。いきなり八方塞がりである今、このまま黒猫に導かれるしかないのかと肩を落とす。それにしたって、条件がわからないのでいつ黒猫に愛想を尽かされるのかわからない。
何とも嫌な感じだなとショウゴは思った。
地下7層にたどり着いたショウゴとクィンシーは早速探索を始めた。階段のある部屋の地図を記すとその周辺を歩き回る。
探索して間もなく、魔物が前方からやって来た。全部で5匹、そのうち4匹が小鬼長で、残り1匹が粗末な杖と小汚いローブをまとっている。
「クィンシー、ローブを着た小鬼が1匹いるぞ」
「小鬼祈祷師だ。こいつが出てくるんだったな」
魔法を使う魔物が現われたことにクィンシーの表情が厳しくなった。呪文を唱えると長杖をそちらへと向ける。
雇い主が小鬼祈祷師と魔法の撃ち合いを始めたとき、ショウゴは小鬼長4匹とぶつかった。先頭の1匹を斬り伏せると次の2匹目の首元に剣先を突き入れる。その間に残り2匹が左右から襲いかかってきたので前転して攻撃を回避して立ち上がると振り向いた。
魔法での支援を得られない状態のショウゴだが、小鬼長2匹程度ならばどうということはない。先程と同じく斬り伏せようと前に出た。ところが、背後から何かが飛来してくる気配を感じる。慌てて横に避けた。1拍置いて火の玉が通り過ぎてゆく。振り向くと小鬼祈祷師がいた。立ち位置が変わって魔物に背後を曝していたことに気付く。
挟み撃ちされているようなものなので危険だが、そこまで危ないとショウゴは思わなかった。今の小鬼祈祷師はクィンシーと戦っている最中だからだ。ショウゴの隙を見て魔法で攻撃したのだろうが、本来そんな余裕はあちらにもない。現にクィンシーによって確実に追い詰められていた。
再び目の前の小鬼長に集中したショウゴは今度こそ大きく踏み込む。錆びた剣を振るってきた方の剣をはじいて袈裟斬りにし、棍棒で殴りかかっていた方の攻撃を躱して右手を切り落とし、その首を切り裂いた。
自分の戦いが終わったショウゴはクィンシーへと目を向ける。ちょうど小鬼祈祷師を火だるまにしたところだった。
周囲に散る魔石を拾ったショウゴはクィンシーへと近づく。
「そっちも終わったみたいだな。珍しく長引いていたみたいだが」
「魔術使い同士の魔法戦は大体こんなものだ。遠距離で魔法を打ち合うからなかなか当たらないんだよ。眠らせるなりなんなりできれば早いんだが、大抵は抵抗されるしな」
「だから魔法を撃ち合ってたのか」
「そうだ。オレの場合は積極的に近づいて接近戦を挑むことも多いが。魔法以外はからっきしダメというヤツが大半だから効果があるのさ」
「確かにクィンシーは純粋な魔術使いじゃないもんな」
「ああ。しかし、ここから魔法を使う魔物が当たり前のように出てくるから、戦いは面倒になるぞ。オレの支援はあまり当てにするなよ」
「わかってる。大抵のことなら何とかするよ」
何てことはないという感じでショウゴは雇い主にうなずいた。実際、正面から戦えば大抵の魔物には勝てるだけの実力があるので安請け合いしているわけではない。だからこそ、クィンシーも大金をはたいてショウゴを雇ったのである。
「それにしても、魔物はともかく、罠の方はまだ大したことはないよな」
「探索を始めたばかりだからだろう。資料ではなかなか陰湿なものもあると記してあった。油断して引っかかるなよ」
「わかってる」
「よし、それでは行くぞ。今日中に探索できるだけしておくんだ」
戦闘後の休憩終わるとショウゴとクィンシーは探索を再開した。砂時計の砂の残りはもうそれほど多くはない。この間に少しでも先に進むのである。
ショウゴを先頭に2人は通路を進み始める。地下7層の探索は始まったばかりだ。周囲を警戒しながらゆっくりと奥へ歩いていった。




