女の願望
──クィンシー側──
前回の探索で荷物の大半を失ったクィンシーは町の城壁外にある市場に寄っていた。安全な町に寄り添うようにある貧民の集まりには質を問わなければ大抵の物は揃えられる。
道具を買い直しているクィンシーは淡々と買い物を繰り返していた。今やっている探索に耐えられるかどうかを基準に選んでいる。幸い、蓄えはあるので金には困らない。
一通り買い揃えた後、クィンシーは周囲へと目を向ける。そのときになって市場の喧騒を意識した。余程買い物に集中していたらしい。
そういえば、前の探索から町に戻ってから1人でいることが多くなった。以前は休みの日でもあの青年冒険者と割と一緒にいたことを思い出す。転生と転移の違いはあれど同じ世界からやって来た者同士で、何だかんだと共通の話があったからだ。あれはあれで楽しかったが、あの青年と契約する前はこれが普通だったので元に戻ったとも言える。調べ物で忙しかったから仕方がない。
返す返すもあの隠し部屋で手に入れた書物を失ったのは手痛い損失だ。あれを解読できていれば奇跡のラビリンスの謎に迫れたかもしれないというのに、つまらないことで襲ってきたあの愚か者たちは本当に度しがたいとクィンシーは顔を歪める。
これに比べると、冒険者ギルドの資料室で得られた成果はあまり大したことはない。一応手がかりは掴めたがそれ以上のことは掴めなかったのだ。前みたいに再び奇跡のラビリンスでの発見を期待するしかないだろう。
色々と考えながら歩いていると、クィンシーはいつの間にか市場から出ていた。空を見上げると既に朱くなっている。空腹感もあることから酒場へと足を向けた。
歓楽街へと進むクィンシーは路地を歩く。普段は行きつけの酒場に行くことが多いが、この日の気分は別の酒場だった。なので、いつもとは違う道をたどる。
どこかの裏路地に入ってクィンシーはのんびりと進んだ。周囲には誰もいない。そんな中、前方にフードを目深に被ったローブの人物が立っているのを目にした。
それを見てクィンシーは立ち止まる。目を見開いて正体のわからない人物を見つめた。いや、正体がわからないというのは正しくない。単に顔が見えないだけというのが正しいだろう。雰囲気は知っている人物のものだからだ。
わずかに躊躇った後、クィンシーが口を開く。
「お前、どこかで会ったことがあるよな」
「覚えていてくださって嬉しいですわ」
自分の予想通り相手が女であることにクィンシーは安心した。そして、聞き覚えのある声を耳にして確信する。
「クリス、だったよな。確か、迷宮に認められた者の前に現われる使者だったか」
「その通りです」
話ながら正体不明の女はフードを背中へとずらした。すると、恐ろしいまでの精巧さで形作られた頭部が露わとなる。銀髪紅眼の絶世の美女だ。
見覚えのある顔を見たクィンシーはわずかに口元に笑みを浮かべた。何を喜んでいるのか自分でもよくわからなかったが、機嫌良く話を続ける。
「前に会ったとき以来、何度かあんたを見かけたことがある。確か、他の冒険者と一緒にいたよな?」
「そんなこともありましたね」
「酒場で見かけたときは驚いたが、人前で顔を曝すのは良くなかったんじゃないのか?」
「さすがに酒宴の席で顔を隠すわけにはいきませんから」
「その割に、周りの男共が騒いでいなかったような気がするな、今から思い返すと」
「私など大したことがないと思われているのかもしれませんね」
「さすがにそれはないだろう」
何となく人間味が薄い微笑みを浮かべるクリスの言葉をクィンシーは否定した。当人も本気で言っていないのは明白だ。そうでないと普段フードで顔を隠しているはずがない。
しかし、今話したいことはクリスの美貌についてではなかった。クィンシーが話題を切り替える。
「それで、オレの目の前に現われたということは何か用があるからなんだよな」
「用というほどのことではございませんが、ひとつ確認を。あなたは今もあらゆる願いが叶う奇跡にご興味はありますか?」
「興味があったらどうだというんだ」
「もしあるのでしたら、迷宮が用意する特別な施設をご利用ください。地下8層の『図書館』型の特別な施設と呼ばれている場所です」
「そこに何かあるのか?」
「あなたが望んでいらっしゃることを知ることができるでしょう」
「どうしてオレにそんなことを教えるんだ?」
「私は迷宮に認められた者の前に現われる使者なのです。そして、認められた者を導く使命があるのです」
「だったら、最初から全部教えてくれたらいいだろう」
「何をおっしゃいますか。望む物を手に入れるために相応の試練を乗り越えるのは当然でしょう。労なくして手に入れた物に何の価値がありましょうか」
艶然と話すクリスの言葉にクィンシーは黙った。信じられないのならば否定して立ち去ってしまえば良い。しかし、どうにも怪しいというのに興味を引かれてしまう。
「今もご興味がありましたら、ぜひ参考にしてください。では、いずれまたお目にかかれるのを楽しみにしております」
クリスと名乗った女は怪しげな笑みをたたえながら再びフードを目深に被るとそのまま立ち去った。表通りに出るとすぐに人混みに紛れて見えなくなる。
その様子をクィンシーはじっと見つめていた。その表情は少し硬い。大して興味がないように振る舞おうとしたが失敗していたことを自覚しているからだ。
しばらくその場に佇んでいたクィンシーは酒場に向かうべく再び歩き始めた。
──ショウゴ側──
今日も1日が終わり、ショウゴは酒場『天国の酒亭』で食事を済ませた。あとは宿に帰って眠るだけである。
日が暮れたあとの路地は当然暗い。これが歓楽街の表通りならば店の前に掲げられた松明や篝火である程度の明るさが確保できるが、路地裏となるとそうもいかない。
既に睡魔に襲われ始めていたショウゴは早く宿に戻るため脇道へと入った。それほど長くない小道なので反対側の表通りの人通りがよく見える。
ショウゴはのんびりと進む。周囲には誰もいない。そんな中、前方にフードを目深に被ったローブの人物が立っているのを目にした。怪しくはあるのだが、その雰囲気は何となく知っているものだと気付く。
正体不明の人物の前でショウゴは立ち止まった。そして、自分から声をかける。
「もしかして、クリュス?」
「覚えていてくださったのですね」
ショウゴの声かけに正体不明の人物が応じた。話しながらフードを背中へとずらすと、恐ろしいまでの精巧さで形作られた頭部が露わとなる。金髪碧眼の絶世の美女だ。
自分の予想が正しかったことにショウゴは安心したが、同時に訝しむ。前に会ったときは悪意のダンジョンから離れるように忠告された。しかし、まだ通い続けている。再び警告されるのだろうかと身構えた。
そんなショウゴにクリュスが悲しそうに微笑む。
「あなたは今も善意のラビリンスに入っていらっしゃるのですね」
「仕事だからな。勝手に止めるわけにはいかないんだ」
「とても残念です。あなたのような方は入るべきではないというのに」
「なぜか俺の評価がやたらと高いみたいだけど、俺ってそんなにいい人間じゃないぞ」
「そうでしょうか? そうだとしても、今の迷宮に飲み込まれるほどではありません。これからも悪事には手を染めず、人を陥れないようにしてください」
「まぁ、できるだけ頑張ってみるよ」
「もしこのまま善意のラビリンスに入り続けるのならば、タッルスに導かれてください。そして、可能ならば手を貸してほしい」
「タッルス? 誰だそれは?」
「あなたは黒い猫に会ったことはありませんか?」
「あの黒猫、名前があったのか!? もしかしてクリュスの飼い猫?」
「飼い猫ではありませんが、大切な存在ではあります」
予想外の話を聞いたショウゴは驚愕した。黒猫に名前があったこともクリュスがその黒猫を知っていることもだ。
疑問が次々と湧いてきて混乱するショウゴにクリュスが話を続ける。
「あなたの魂はまだきれいなまま。ぜひ、そのままのあなたでいてください。そのためには、決してあの迷宮で手を汚さないでください。できれば今一緒にいらっしゃる方とは別れていただき、うっ」
「おい、どうした?」
しゃべっていたクリュスが突然顔を歪めたことにショウゴは動揺した。前も最後はこんな感じであったことを思い出す。相変わらず何がどうなっているのかさっぱりわからない。手を差し伸べようとしたが拒絶される。
何もできないショウゴからクリュスは離れた。そして、気分が悪そうに顔を歪め、よろめきながら表通りへと姿を消す。
またしても話しの途中でクリュスに立ち去られたショウゴは呆然と立ち尽くした。




