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悪意のダンジョン  作者: 佐々木尽左
第2章 中層

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29/63

黒猫からの贈り物

 不安になる休憩室という名前の通り、最後まで不安を抱えたまま異様な部屋で一晩を過ごしたショウゴは何とも言えない気持ちで翌日を迎える。朝を迎えるにあたってすっきりしたり頭が重かったりすることはあるが、こんな微妙な気分なのは初めてだった。非常に珍しい体験ではある。ただ、目を開けたときにろくでもない言葉で視界を埋め尽くされるのはとても気が滅入るが。


 一方、クィンシーはまったく平気な様子だった。内心でどう思っているかまではわからないものの、少なくとも見た目ではいつも通りである。ここで1泊すると主張しただけのことはあるが、ショウゴとしては見習いたいとは思えない精神だ。


 食事も終えた2人は準備を整えると不安になる休憩室から出た。今日も地下5層へ続く階段を探すのだ。


 通路に出たショウゴがクィンシーに顔を向ける。


「今日はどこを探索するんだ?」


「ここからだと左側の方だな。いい加減そろそろ見つけてもいい頃なんだが」


「これでダメならまた探索範囲を拡大するんだよな。もう1週間はこの階層にいるのか」


「探す前に諦めるのはやめろ。ほら、早く進め」


 仏頂面になったクィンシーに対して肩をすくめたショウゴは前に向き直った。そうして警戒心を強めて歩き始める。


 現状は地下4層へ降りてきた階段を中心に2人は円を描くように探索していた。今日はその円の最後の部分を調べに行くわけだが、もしここで地下5層へ続く階段が見つからなければ、その円の範囲を拡大することになる。そうすると探索範囲も広くなるのでより時間がかかるのだ。ショウゴもどうせ階下に降りるのならば探索する地域は狭い方が良いとは思っている。なので、願うところは雇い主と変わらない。


 昼休憩までは通路を丹念に調べ上げ、その後に調査済みの通路で囲まれた区域にある部屋を探索していく。そして、やっとの思いで地下5層へ続く階段のある部屋を発見した。もうこれ以上地下4層を探索せずに済むと思ったショウゴなどは大きく息を吐き出す。


 部屋の奥に階下へと続く階段を目にした2人は、同時にすっかり見慣れた黒猫がいつもの場所にちょこんと座っていることに気付いた。


 何となくいるだろうと予想していたショウゴがクィンシーに話しかける。


「やっぱりいたな」


「そうだな。まるで出迎えてくれてるみたいじゃないか」


 もはや不思議だとは思わなくなった2人は開け放った扉の前から黒猫を眺めていた。この後しばらくすると身を翻して階下へと姿を消すまでがお決まりの流れだ。なので、そのときまで扉近辺でじっとしている。


 ところが、今回の黒猫はいつまで立ってもその場から立ち去ろうとしなかった。口に何かを咥えて待っているようである。


 そこでショウゴは気付いた。何歩かあるいて部屋の中に入る。


「ショウゴ、どうした?」


「あの黒猫、口に何か咥えてるんだ。なんだあれ? 透明な玉?」


 立ち止まって黒猫を見つめていたショウゴはクィンシーが追いつくと再び階段へと近づいた。そうして部屋の半ばまでやって来ると、今度は黒猫が近づいて来る。


 今までにない行動をする黒猫に2人は困惑した。その場でじっとして何をするのか見極めようとする。


 そんな2人のことなど気にする様子もなく、黒猫は更に近づいて来た。そして、ショウゴの前にやって来ると腰を下ろす。


 黒猫に見上げられたショウゴは一層困った。何かを期待されているのはわかるが、何を期待されているのかがわからない。とりあえず目線を合わせようと片膝を付く。


 目の前の人間をじっと見つめていた黒猫は口にくわえていた物を床に置いた。それから再び顔を上げる。


 床に置かれた物をショウゴは右手で拾い上げた。透明な水晶のように見える。


「なんだこれ? 水晶? いやでも、中に何か書いてあるぞ。ダメだ読めない」


「水晶の中にか? ほう、『ta』? こりゃまた古い文字だな」


「古代文字ってやつか? それにしても、どんな方法で水晶の中に文字を」


「にゃぁ」


 可愛らしい鳴き声を上げると、その黒猫は背を向けて階段に向かって歩き始めた。そして、そのまま歩みを止めずに階段を降りていく。後には2人だけが室内に残された。


 結果は予想できたが、それでもショウゴとクィンシーは階段に近づく。他と同じ石造りで寸分の狂いなく正確に積み上げられた階段の階下を覗いが、黒猫の姿は見えない。


「やっぱりいないな」


「ただの猫ではないというのはわかるが、こうなると気になるな」


 2人ともしばらく階段を見つめた。黒猫の正体は相変わらずわからないが、何かしらに導こうとしているように見える。


 たった今まで見ていた黒猫の姿を思い返していたショウゴは、何となく前に町で出会ったクリュスのことを思い出した。姿形はまったく異なるが、雰囲気はどことなく似通っているような気がしたのだ。気のせいと言われたらそれまでだがどうしても引っかかる。


「あの黒猫、なんで俺にこの水晶を渡したんだろう?」


「それはわからんな。しかし、何かの礼なのかもしれん。お前、今までに猫に何かしてやったことはあるか?」


「いや、特にないはず。あの黒猫はもちろん、普通の猫にだって。そもそも俺に近寄ってこないし」


「そうなると、この奇跡のラビリンスで何かをしたからか? 一体何を?」


「ここにいるときはクィンシーとずっと一緒だっただろうに」


「そうなんだよな。しかも上層の階層では姿を見せるだけだったのに、この階層だとその水晶を渡してきたわけか。となると、地下4層での行動が鍵になったんだろうが」


「俺って何かしたっけか?」


「オレもお前の行動を思い返しているが、特にこれというのは思い付かないんだよな」


 2人してショウゴの行動を振り返ったが、水晶を渡されるような出来事はまったく思い付かなかった。気まぐれという可能性も当然あるが、何かしらの理由があるように思えてならない。


 手にしていた水晶を再び見つめたショウゴは前の世界のビー玉を思い出した。色とりどりの透明なガラス玉の中には玉の中に模様があるものも珍しくない。転移する前の世界ならば工業的に難しくないことだ。しかし、この世界ではガラス自体が珍しいので、更に文字が仕込まれているとなると本当にこの世界のものなのか怪しく思えてくる。


 また、クィンシーがいうには中に刻まれている文字は『ta』という古代文字のようだ。ということは、少なくともこの世界の現代で作られた代物ではないということになる。悪意のダンジョンも古代からあるらしいが、それに匹敵する古さというわけだ。


 水晶を片手にショウゴが色々と考えているとクィンシーが話しかけてくる。


「ショウゴ、その水晶をしばらくオレに貸してくれないか?」


「これを? いいけど、何をするんだ?」


「調べてみたいんだ。その中に文字が刻まれてるのが気になってな」


「確かにきになるな。でも、調べるあてなんてあるのか?」


「この辺りだと冒険者ギルドの資料室しかないが、ないよりかはましだろう」


「そうだな。それじゃ、渡しておくか」


 黒猫から託された水晶をショウゴはクィンシーに手渡した。自分では調べる手段がないので代わりに調べてもらえるのならばありがたい。そんな軽い気持ちから応じた。


 水晶を手放したショウゴは雇い主に向き合ったまま思い出したことを伝える。


「クィンシー、そういえば地図はまだ描かないのか?」


「おっとそうだった。すっかり忘れていたよ。これもあの黒猫が妙なことをするからだな」


 ショウゴに返答しつつもクィンシーは羊皮紙とペンを取り出して階段のある部屋を地図に描き加えた。これで地下4層での活動に区切りが付く。


 その間にショウゴは自分の砂時計の様子を窺った。もうほとんど砂が落ちきっている。あと1回ひっくり返すと今日の探索は終わりだ。


 地図を描き終えたクィンシーが道具を片付けて長杖(スタッフ)に持ち替える。


「もういい。ショウゴ、今日はまだ時間があるから下に降りるぞ」


「わかった。上層のパターンからすると、同じ魔物でも強くなってるはずなんだよな」


上位豚鬼(ハイオーク)がどれだけ強くなってるかなんて考えたくもないが、行くしかないだろう」


「あいつらが小鬼(ゴブリン)並にわらわらとやってくるのは想像したくないね」


「そうなると、今まで以上に強い魔法を使った方が良さそうだな」


「数を相手にするときは頼むぞ」


 これから向かう階層のことを話しながらショウゴとクィンシーは階下へ続く階段を降りていった。更に強くなる魔物に辟易としながらもその足取りに淀みはない。


 今のところ悪意のダンジョンで2人にとって致命的な出来事はなかった。このまま進めるのならばより下の階層へ降りることもできるだろう。


 周囲に足音を響かせながら2人は1歩ずつ階下へと進んでいった。

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