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悪意のダンジョン  作者: 佐々木尽左
第2章 中層

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特別な施設(前)

 地下4層の探索を始めた初日はショウゴもクィンシーも上層とは違う様子に苦戦した。いくら能力が高くても無敵ではないので、怪我をすれば動きは鈍り、毒を受ければ最悪死ぬ。なので危険は可能な限り避ける必要があった。


 そうなると探索にかかる時間はどうしても長くなる。特に通路に仕掛けられた罠が厄介なせいで、かけた時間が同じなら上層の半分しか探索できないでいた。これに対する有効な方法は今のところ2人と思い付かないので時間をかけて探索している。


 一夜明かした翌日、2人は地下4層の探索を再開した。時間がかかるという以外は探索の方法は同じである。昨日の終わりから引き続いて通路を調べ回っていた。


 2つの罠を回避し、3回の魔物への待ち伏せを成功させた後、2人は昼休憩に入る。調査済みの部屋の隅に座って保存食を口にした。


 その間、クィンシーがショウゴに話しかける。


「昼から扉の向こう側を調べるが、少し怪しいところから行ってみようと思う」


「もしかして、他と比べて扉が立派そうなところか?」


「そうだ。資料にもあったが、噂の特別な施設なんだと思う。だから見ておきたいんだ」


「いずれは1回くらい入るだろうなとは思っていたけど。そうか、この階層からだったな」


「そういうことだ。扉にあった競技場(トラック)の印があったから、陸上競技をすることになる。中の構造が変わる度に競技も変わるらしいが、噂だと100レテム走を模したものらしい」


「100レテム、ああ、100メートルか。模したものね」


 町にいたときに教えてもらったことをショウゴは思い返した。全部で4パターンあるという。どれになるかは入ってみないとわからないらしい。


 何とも不安になる話しだが、雇い主がやる気を見せている以上は従うしかなかった。


 昼休憩が終わると2人は部屋を出る。先頭を歩くショウゴはクィンシーの指示を受けて歩いた。そうして他の部屋の扉よりも立派で競技場(トラック)の印がある扉の前に立つ。


「ここか。念のために罠の確認をしておくか」


「既に魔法で確認はした。ないぞ」


「お前、随分とやる気だな!」


 珍しく雇い主が先んじて罠の確認をしたことに対してショウゴは呆れた表情を見せた。もちろんそんな程度で動じるような相手ではない。軽く肩をすくめられ、扉を開けるように目で促される。ため息をひとつ付くと前を向いて扉を開ける。


 扉の向こうはまっすぐに伸びた部屋だった。しかし、部屋という表現よりも大きめの通路と言った方が正確に思えるほど縦に長い。ある程度進んだところに白線が部屋を横切るように描かれている。これが100メートル走なのであれば開始線なのだと理解できる。


「クィンシー、あの向こうまで、奥にある白線まで走りきればいいんだよな?」


「資料によるとそうらしい。聞き取り調査ではあいにく聞けなかったが」


「中に入れば、競技開始か」


「そういうことだ。それじゃ、行こうか」


 不安な気持ちを抱えたままのショウゴが雇い主に促されて室内へと入った。一見するといつもと同じ石造りだが、何が起きても不思議ではないと思わせるような圧迫感がある。


 2人が白線の近くまで寄ると扉がひとりでに閉じた。ショウゴが不安そうに周囲を眺めていると、どこからともなく無機質な声が聞こえてくる。


『これより、崩壊式100レテム走を開始します。選手の皆様は、白線の手前でお待ちください。尚、合図の前に白線から先に出た場合は失格となり、殺害対象となりますのでご注意ください』


「おい、なんか無茶苦茶不穏な案内が聞こえてきたぞ」


「我が下に集いし魔力よ、体に宿りし力を引き出せ、身体強化(ストレングスニング)


「クィンシー?」


「資料によると、自分自身に魔法をかける場合に限り、魔法を使っても合法扱いだそうだ。これはこの競技全般に言えることらしい」


「なんだそれ!?」


「魔法はともかく、さすがに身体能力はオレも一般人並みしかないからな。こうやって保険をかけて確実に生き残れるようにしておくわけだ」


「なぁ、俺は?」


「頑張れ!」


『間もなく競技が始まります。選手の皆様、白線の位置で準備してください』


 2人が言い合う間にも競技らしきものは粛々と進行していた。白線がほのかに光り輝く。


「ちなみに、崩壊式というのは、競技が始まった瞬間、オレたちのすぐ後ろから床が崩れ落ちていくことらしいぞ」


「これ考えた奴、バカじゃねぇの!?」


『位置について、用意、始め!』


 思わず心情そのままに叫んだショウゴだったが、その間にも事態は進行していた。無情なまでに競技は開始される。


 始まった瞬間、クィンシーは前に飛び出した。魔法で強化された身体なのでその加速性能は大したものだ。荷物を背負っているにもかかわらず、前世なら世界記録を打ち立てられそうな勢いである。


 一方、ショウゴは出遅れた。事前に概要を教えてもらってはいたものの、実際にその場面に遭遇してあまりの馬鹿馬鹿しさに我を忘れてしまったのだ。これは抜け穴的に魔法を使用したクィンシーに対する驚きで状況を一瞬忘れてしまったということもあるが、何にせよ開始(スタート)に失敗したことには変わりない。


 ともかく、走って前に進まないといけないのでショウゴも全速力で走った。前衛を務めるだけあって体力には自信はある。


 必死に駆けるショウゴは前を走るクィンシーの後ろ姿を目にしていた。さすがに魔法の支援があるおかげで速い。彼我の差は開く一方だ。


 ずるいと思いつつも手足を動かすショウゴだったが、ふと後ろの音に気付いた。ちらりと振り向くと、恐ろしい勢いで床の石が陥没してきているのが目に入る。その底は暗くてよく見えない。


「ちく、しょう!」


 可能な限り速く走れるようにショウゴは体を動かした。普段の戦いのとき以上に体を動かしていることは間違いない。こうなると、背負っている荷物が重しになり、腰の片手半剣(バスタードソード)が邪魔になる。クィンシーが長杖(スタッフ)を手に持っている理由が今になってわかった。教えてくれてもいいのにと心の中で愚痴る。


 崩落する床は少しずつショウゴへと近づいていた。思ったほど速く走れていないのかそれとも床の崩落が予想以上に速いのか、とにかく少しでも足を緩めると奈落の底に落ちるのは確実だ。


 前を走るクィンシーが白線を越えた。到着(ゴール)したのだ。減速仕切れずに向こうの壁にぶつかった。顔を押さえてもだえているがご愛敬の範囲だろう。


 一方のショウゴは未だ徒競走中だ。開始直後から全力疾走している。もはや1人で走っているので競争ではなくなっているが、今や走者を飲み込まんとする崩落と競争していると言うべきか。


 100メートルが遠い。ショウゴにとっていつもなら大したことのない距離だが、今だけは果てしなく遠く感じられた。


 あと5歩、体力はまだある。


 あと4歩、体は思うとおりに動く。


 あと3歩、床を蹴った感覚がおかしい。


 あと2歩、床が沈み始めている。


 あと1歩、床の感覚が、ない?


「ぶは!」


 最後の1歩が空を切ったせいでショウゴは倒れ込むように白線の向こう側に広がる床へと倒れ込んだ。直前までの勢いで滑り込んだ形である。


 そのまま床を滑り、次いで転がったショウゴは倒れ込んだまま息を荒げた。痛いのと苦しいのとに同時に襲われて何も考えられない。


 いくらか息が収まってきたところで今まで走ってきた場所を振り返る。白線と白線の間にあったはずの床がきれいさっぱりなくなっていた。底はまったく見えない。


「なんだよ、これ。下の階は、一体、どうなってるんだ?」


「この特別な施設は他の通路や部屋とは空間的に独立してるらしい。その証拠に、この部屋の縦の長さだと地図に収まりきらない。だから、底がどれだけ深くても下の階には影響しないようなんだ」


「そこまでする意味がわからねぇ」


「意味なんてないのかもしれないがな。あるいは、参加者をそこまでして殺すためなのか」


 次第に呼吸が落ち着いてきたショウゴは脇に立つクィンシーを見上げた。落ち着いた様子で底の抜けた穴の暗闇を見つめているのを目にする。


「それにしても、この競技、競技って言っていいのか? ともかく、今後もこれをやるのか?」


「せっかくなんだ。一通りやっておいてもいいだろう」


「本気かよ。でも、お前はいいよな。魔法があるから何とでもなるし」


「まぁな。おっと、来た来た!」


 2人が話をしているとその目の前に小さな鉄の板が現われた。ショウゴには1枚、クィンシーには2枚だ。これは競技に参加した者に与えられる専用鉄貨で、別の特別な施設に入るときに必要な場合がある。そのためのものだ。


 宙に浮く鉄貨を手にしたショウゴはそれをよく見る。町の外の貧民街などで使われるものよりも銅貨に近い。


 何にせよ、ショウゴにはもらってもまったく嬉しくなかった。

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