エピローグ
このお話で終わりです。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
例年よりも寒かった冬が終わりを告げ、3月も末が近くなれば、随分と空気が暖かくなってくる。さすがに桜はまだだけど、コンクリートの隙間には気の早いタンポポが、黄色い花を咲かせていた。
現在、光乃城学園の講堂では詩子さんのお別れ会が執り行われていた。
昨日、卒業したばかりの3年生も混じって全校生徒が参加し、卒業式以上の盛り上がりをみせている。
すでに、あちこちからむせび泣く声が聞こえ、時々「いかないでくれ」と奇声なのか吠えているのかわからない声が聞こえる。
ちょっと異様な空気であったけど、壇上に立つ詩子さんは時折笑顔を見せたり、声を詰まらせたりしながら、別れの挨拶をしていた。
会も半ばになった頃、メインイベントが始まる。
光乃城学園での最後となる詩子さんへの告白式だ。
試験を勝ち抜き、挑戦権を手に入れた果報者。
マイクで名前を読み上げられると、1人の男子生徒が緊張した面持ちで、詩子さんが待つ壇上へと登壇した。
「やっと帰ってきました」
男子生徒は傅いた。
称号を授与される騎士のように厳かな空気に包まれる。
おもむろに薔薇の花束を差し出した。
「美しい……。百本の薔薇の花束よりも、あなたの方が何倍も、いや何百倍も美しい。しかし、姫崎さん。僕はそれ以上に美しいものを知っている」
「まさか……あなたの心なんていいませんよね」
「そう。あなたの心……で、す。え? なんでわかったんですか?」
男子生徒は一旦停止した画像のように固まる。
詩子さんは冷たい視線を送った。
「わたし、芸のない人が嫌いなんです」
「いや、ちょっと待って。僕はこれ以上、あなたを愛するという言葉を知らないからこそ、同じ言葉をあなたに――」
慌てて言いつくろうものの、詩子さんの態度は変わらない。
むしろ余計に『姫騎士』の怒りを増長させた。
「進歩のない人は猿にも劣ります。あと、口が臭いです。残念ですが、ゴキブリの足の臭いがする人とは、人類は付き合えません。どうぞ火星でも目指して下さい」
「な――」
バッサリと斬られた。
男子生徒はがっくりと項垂れる。
長いゴングを聞きながら、コーナーで真っ白に燃え尽きるプロボクサーを思わせた。
詩子さんは一礼すると、壇上を降りる。
温かい拍手が送られた。
たくさんの詩子コールが講堂に響いた。
ぼくもその様子をうかがいながら、拍手を送る。
「何を呑気にしとるのだ、お前は」
園市がぼくの横っ腹を肘でこつく。
さらに横にいた鈴江も、園市の意見に頷いた。
「全くだ。ラブレターを書くのに、翌日の朝までかけたというじゃないか。大減点されて、試験に落ちるなど、以ての外だ」
「そうだ。俺たちの苦労はなんだったのだ。愚か者め」
2人してぼくを責め立てる。
仲いいなあ、2人とも。
「「よくない!!」」
声を揃えた。
やっぱり仲いいじゃん。
「2人の言うとおりだ、大久野帝斗」
といったのは、いつの間にか後ろに立っていた賀部先輩だった。
隣には鳥栖さんもいる。
「会長は大傑作を書けとはいったが、小説を書けなんて一言もいってないぞ」
むすっとぼくを睨む。
横で鳥栖さんが「にゃはははは」と笑った。
「でも、ひとえも読んだけど、かなり面白かったよ。まあ、ひとえを小学生という表現をしたことについては、殺意を覚えたけど」
しゃー、と奇声を上げ、鳥栖さんは爪を立てた。
鈴江はクラスメイトをいさめた後、ぼくに話を振る。
「本当にいいのか、帝斗。お前のラブレターは、今や学校の関係者全員が知っていることだ。あれを読んで、お前と姫崎さんとの関係を好意的に思うものは少なくない。このまま正式に付き合うことだって出来たのだぞ」
「付き合う、か……」
ふと思う。
付き合うってなんだろう。
恋人同士ってなんだろう。
そこに答えなんてあるのかな。
これが恋人だ、付き合い方だ――なんてことはあるのだろうか。
少なくともぼくは幸せだった。
きっと詩子さんもそうだったと思う。
あの1時間は決して、ゆびさされるようなことではなかった。
ぼくにとって、放課後の時間は最高に甘い1時間だったんだ。
◇◇◇◇◇
「ふー……」
姫崎真具は眉間を揉む。
その脇には、プリントアウトされた原稿の束が置かれていた。
「いかがでしたか、父上」
タブレットの画面には、赤髪の少女が映っていた。
真具の娘であり、現在光乃城学園で生徒会長をしている亜沙央だ。
普段は飄々としているのに、珍しく奥歯に力を込め、真剣な表情だった。
真具はたった今読み終えた原稿の上に手を置く。
内容を反芻するように、ページの端をパラパラとめくった。
「文章は稚拙で、誤字も脱字も多い。日本語の表現が所々間違っているし。擬音も多くて、よほど美文とはいえないだろうな」
「手厳しいですね」
「これでも世界を動かすほどのコングロマリットの代表でね。毎日小説1冊分に匹敵するほどのビジネス文書を読んでいると、どうしてもあら探しをしてしまう。我ながら実に野暮な職業だと思うよ」
「なるほど。――で、彼の想いは伝わりましたか?」
「手段としては古めかしいし、回りくどい。私ならもっと上手くやるがね」
「その言い回しこそ、回りくどいでしょう。単刀直入に、姫崎社長」
真具は再び「ふー」と息を吐き出す。
降参といわんばかりに、首を振った。
「認めないわけにはいかないだろう。これを1日で書き上げた根性も含めてね」
「グローバル企業の代表が根性論ですか?」
「人間を動かす時の最後はね。如何に自分の狂気性を、他人に感じさせられることが出来るかどうかなんだよ」
「肝に銘じておきましょう」
画面の中の娘は、少しホッとした様子で肩をすくめた。
一方、真具は少し声をこわばらせ、尋ねる。
「亜沙央、私は間違っていたのかね?」
真具は最善手を打ったと思っていた。
帝斗と詩子には確かに悪いことをしたと思う。
だが、時が経つにつれ、結果的に良い方向に向かうと信じていた。
けれど、その確信は、青年が書いた膨大なラブレターによってわからなくなった。
「人なのですから、見解の相違というものがあると思います。じっくり向き合わなければ、見えてこないものもある。父上ならわかるはずでしょ」
「確かにな」
大きく頷く。
亜沙央は続けた。
「恋というものには触れることができない。嗅ぐことも、舐めることも、その悲鳴を聞くこともできない。あるのは『好きだ』という想いだけ。形なんて決められるわけないんですよ。あったとしても、それはひどく無意味なものだ」
真具は大きく眉を上げた。
画面の娘は怪訝な表情で首を傾げる。
「どうしました?」
「なに……。我が娘は詩人だな、と思っただけだ」
「不在がちの父上は忘れていると思いますが、私も一応女子なんですよ」
この年になっても、まだまだ新しい発見はあるものだな。
真具は密かに感謝した。
同時に娘たちの成長に驚く。
そして、あの大久野帝斗という青年にも。
「それで? お前は、私に何をさせたいのだ」
勝手に最終審査員などに祭り上げたのだ。
賢い長女のことだから、きっと何かあることはわかっていた。
むしろ、それに興味があって、引き受けたのだ。
亜沙央の答えは非常に淡泊だった。
「それを私に聞くのはまた野暮ですよ、父上。それを読んで、大久野帝斗が何を求めてるのか。おわかりではないということはないでしょう」
真具はやれやれと首を振る。
「お前は意地悪だな。わかった。手配をさせよう」
ありがとうございます、亜沙央は画面越しに頭を下げる。
通話を切った。
真具は鬚を触る。
「恋の形か……」
ぽつりと呟き、春の空を眺めるのだった。
◇◇◇◇◇
4月になり、ぼくは2年生になった。
まだ肌寒い日はあるけど、空気は確実に春だった。
満開の桜並木を横目に、ぼくは最初の登校日を迎える。
春休みの不規則な生活から脱し切れていない身体は、やや重たく、眠気を誘った。
校門前に来る。
静かだった。
あれほど熱狂的な生徒たちは、潮が引いたようにいなくなっている。
あちこちで久しぶりにあった同級生に挨拶する声が聞こえた。
学校として、それが普通の姿であっても、一抹の寂しさを感じずにはいられない。
今日から、詩子さんがいない学校生活が始まる。
そう思うと、やはり心に来るものがあった。
ぼくは鞄と、妹が持たせてくれたお重弁当を背負いなおし、トボトボと歩き出す。
教室の割り振りをされた場所で、生徒が集まっていた。
背伸びしながら、クラスを確認する。
良かった。
また園市、鈴江と一緒だ。
ぼくはさらに視線を動かし、名前を探す。
だけど、「姫崎詩子」という名前はどこにも記載されていなかった。
教室に行けば、先に来ていた幼なじみ2人と早速、顔を合わせる。
園市からは手荒い歓迎を受け、それを諫める鈴江とで喧嘩が始まった。
いつも通りの日常。
だけど、教室の角で円卓の兵隊たちによって、守られた姫騎士の姿はなかった。
世界は何事もなかったかのように進んでいく。
死闘を繰り広げた告白審査試験も、涙で濡らしたお別れ会も、いまや夢だったのではないかと思うほど、現実感がない。
むしろ、姫崎詩子が――美の女神すらかすむ説明できない美しさが、本当に存在したのかすら疑わしい。
元々なかったものが、ないのであれば、これは喪失といえるのだろうか。
ともかく、学校生活は滞りなく進んだ。
昼休みが過ぎ、放課後になる。
ぼくは例の教室へ足を運んだ。
人の気配がしたので、慌てて扉を開ける。
いたのは、ソロ練をする吹奏楽部の部員だった。
燃えるような茜色の空に向かって、フルートを吹いている。
長い影法師は、廊下の方まで伸びていた。
「何か?」
部員は首を傾げる。
ぼくは「ごめん」といって、ドアを閉めた。
屋上や天文室、通学路――他にも色々なところへ行った。
けれど、詩子さんはどこにもいない。気配すら感じられなかった。
茜色の空を見ながら、ぼくは思う。
いつかこの空を詩子さんも見ることがあるのだろうか。
時差8時間。
遠い国にいる恋人に思いを馳せた。
家に帰る。
ご飯を食べ、お風呂に入った。
部屋のベッドでごろりと転がった後、メールの着信通知音が鳴る。
【そろそろですが、大丈夫ですか?】
生乾きの髪をバスタオルで拭きながら、ぼくは返信を返した。
【大丈夫だよ。用意するから、ちょっとだけ待って】
机のタブレットを開く。
それには『HIMEZAKI』のロゴが入っていた。
【準備OK】
すると、着信音がぼくの部屋の中で軽やかに響き渡る。
タブレットと同じロゴが入ったルーターが、ジジッと小さく音を立てた。
画面に現れたのは、真っ白なコックの服装をした詩子さんだ。
長い髪を後ろで束ね、コック帽を頭にのせている。
どんな姿になろうとも、彼女は美しかった。
けど、その頬には生クリームがついている。
「頬に生クリームついてるよ、詩子さん」
開口一番にいう。
真っ白な顔が、いつぞやのトマトソースみたいに赤くなった。
慌ててハンカチで拭う。
「今のは見なかったことにしてください」
照れてる照れてる。
そんなところも溜まらない。
「仕事、大丈夫なの?」
「ちょうど今、お昼休憩をもらったところなんです。だから、ほら」
お弁当を見せる。
きっと自分で作ったのだろう。
レパートリーも日本にいた時より増えてる。
詩子さんの努力が感じられた。
さっき食べたばかりなのに、お腹が鳴る。
聞こえたのだろう。
詩子さんは「ぷっ」と口元を抑え、吹きだした。
「もう……。帝斗くんったら」
「だって、美味しそうなんだもん」
「ありがとうございます。……出来れば、食べさせてあげたいのですが」
「十分だよ。通信費とか機材とか全部姫崎家もちってだけでもありがたいのに、これ以上迷惑はかけられないよ」
ぼくは画面に手を付けた。
詩子さんも同じようにする。
傍目から見れば、手を合わせているように見える。
ぼくたちを阻むのは、薄く冷たいガラスだけだ。
本音をいう。
今すぐにでも詩子さんの元へ行きたい。
1時間といわず、一生ずっと彼女の側に寄り添いたい。
けれど、ぼくはまだちっぽけな高校生だ。
薄ガラス1枚破れない脆弱な男だ。
でも、いつか――。
いつかきっと詩子さんにふさわしい男になりたい。
同じ物を見て、同じ物を聞き、同じ空気を吸って、同じ時間を過ごしたい。
それまで、ぼくはこの時を大切にしようと思う。
「じゃあ、始めようか」
「はい。はじめましょう」
ぼくたちの1時間を。
恋人同士の時間を。
「こんにちは、帝斗くん」
「こんばんは、詩子さん」
ぼくたちはそれぞれの時間を生きている。
けど、この1時間だけは神様だって文句を言わせない。
だって、ぼくはこんなにも幸せなんだから……。
これは間違いなく“普通”のどこにでもある学園ラブコメディ。
リトルオークと呼ばれるぼくと。
『姫騎士』なんて少々物騒で可愛げのある綽名の姫崎詩子。
その大事な1時間のお話である。
無事、完結となりました。
改めて、ここまで読んでいただいた方に感謝を申し上げます。
またブクマ・評価・感想をいただきありがとうございます。
最後まで作品のモチベーションを下げることなく、やってこれたのは読者の皆様のおかげです。
本当にありがとうございます。
この後、あとがきを書くつもりです。
作品のことを少しお話しようと思います。




