最終時限目 ぼくたちの学園ラブコメディ
ここまでお読みいただきありがとうございます。
フルマラソンの距離以上に走っても、次の日はやってくる。
今日が最終試験だ。
身体が金縛りあったかのように動かない。
それでも無理矢理ベッドから身を起こす。
木の幹が割れるような音を立てて、全身が軋んだ。
ひどい筋肉痛だ。
指先を動かすだけで痛みが走る。
ぼくの身体はボロボロだった。
普通の登校日なら、きっと休んだだろ。
もしかしたら病院のベッドの上で寝ていたかもしれない。
でも、今日だけはどんなことがあっても休めない。休む訳にはいかなかった。
なんとか着替え、壁にもたれかかりながら階下へ降りる。
すると、ホッとするような朝の臭いが鼻腔を突いた。
ダイニングに出ると、理采が料理をしていた。
「お兄ちゃん、おはよう」
「おはよう、理采」
元気な妹に対して、なるべく笑顔で答える。
でも、頬を動かすだけで、今は苦痛だった。
「ご飯出来てるよ」
理采はダイニングテーブルにでんと鍋を置いた。
げぇっ、と思わず顔を顰める。
いつぞやのシチュエーションが頭をよぎった。
昨日、あれだけ走って身体はエネルギーを欲しているかといえば、そうではない。
筋肉であろうと、内臓であろうと、身体は動かしたくないらしく、ただ激痛だけを訴えていた。
「ごめん、理采。今は食欲が――」
たとえ食欲があっても、朝からちゃんこ鍋は食べられなかっただろう。
しかし、理采はぼくの言葉を遮る。
鍋蓋を上げた。
現れたのは、水煮された白米だった。
つまりは、お粥だ。
まだぐつぐつと煮えた鍋に、理采は卵を落とす。
軽くかき混ぜ、火を通すと、お椀によそった。
「はい。どうぞ」
ぼくは湯気をくねらせたお粥をぽかんと見つめる。
「理采、これって……」
「お粥よ」
それはわかるけど……。
ぼくはただただ驚いていた。
なんというか、初めて朝食らしいものが、大久野家の食卓に並んだからだ。
理采ってこういう朝食を作れないと思ってた。
「失礼な、お兄ちゃんね。お粥ぐらい目をつむってたって作れるわよ」
「――――!(驚愕)」
「カツ丼の方が良かった?」
妹の目と手に持った包丁が光る。
ぼくはぷるぷると首を振った。
「昨日、あれだけ走った人間に、ちゃんこ鍋なんて食べさせるわけないでしょ。さ、早く食べて。理采もお茶碗を片したら、学校に行く用意しなきゃ」
「ありがとう、理采」
「お礼なんていいわよ。理采とお兄ちゃんは、兄妹なんだから」
うん。すっごく嬉しい。
なんか涙が出そうだ。
実際、食べたお粥はちょっとしょっぱかった。
でも、凄く――たぶん今までの理采の料理の中で1番美味しい朝食だった。
理采はテーブルに両手で頬杖をつきながら、ぼくが食べるところを見つめる。
「何を泣いてるのよ、お兄ちゃん」
「だって、すっごくおいしいんだもん」
「大げさね……。ねえ、帝斗お兄ちゃん」
「なに?」
「頑張ってね」
理采は笑った。
その顔は、ぼくの大好きな人に匹敵するほど可愛い。
妹の成長を感じずにはいられなかった。
「そして、理采を詩子さんの小姑にしてね」
前言撤回。
理采は、やっぱり理采だった。
理采に付き添ってもらいながら、玄関を出る。
やっぱり身体が動かない。
ちゃんと登校できるかどうか怪しい。
理采はタクシーを呼ぶことを提案する。
今日が最終日。自分の足で登校したかったけど、それもやむを得なかった。
すると、この辺りでは不相応な黒の高級車が玄関先に止まる
運転席から降りてきたのは、見覚えのある好々爺だった。
「洗馬州さん」
ぼくが声を掛ける。
詩子さんのお世話係は、恭しく一礼した。
「お迎えに上がりました」
もちろんぼくは何もいっていない。
だけど、洗馬州さんは後部座席のドアを開けた。
まるで一流ホテルのドアマンのように動きが洗練されている。
「いいんですか?」
ぼくの質問に、洗馬州さんはなにもいわなかった。
ただ黙って、後部座席のドアを開け続ける。
「じゃあ、お願いします」
ぼくは座席に乗り込む。
高級車はゆったりと動き始め、学校へ向けて出発した。
どうやら本当に光乃城学園まで送ってくれるらしい。
流れる車窓を見ながら、ぼくは洗馬州さんに尋ねた。
「誰が洗馬州さんを?」
真っ先に浮かんだのは、詩子さんだ。
けれど、彼女は今、告白審査試験の結果を待ち続けている身。
今のぼくの状態を知っているかどうかも怪しい。
となれば、会長だろう。
何せ試験を取り仕切っている本人だ。
これぐらいの配慮はするかもしれない。
しばらく間を置き、洗馬州さんは答えた。
「誰でもありません。しいていうなら、私が勝手にやっていることにございます」
「洗馬州さんが?」
「1つお聞かせ願いたい」
洗馬州さんはゆっくりとブレーキペダルを押し込む。
何の衝撃もなく、車は停止した。
信号が赤なのだ。
「どうして、お嬢さまと別れたあなたが、告白審査試験を受けているのですか? 身を粉にしてまで」
「そうですね。一言では答えにくいかな」
「どうぞありのままを喋って下さい。じゃないと、私は学園への道順を忘れてどこか遠くへあなたをお連れするかもしれません」
なるほど。
そういうことか。
信号が青になる。
再び車は走り出した。
ゆっくりと、ゆったりと……。
去年の4月から毎日歩いている通学路をなぞっていく。
太股の上で指を組みながら、ぼくは答えた。
「確認でしょうか」
「確認? まさかお嬢さまを愛していることわからなくなった。だから、確認するために、試験を受けたとでもいうのですか? あなたと別れた日、お嬢さまがどれほど――」
洗馬州さんの語気が荒くなっていく。
車は一定スピードを保っていたが、ハンドルを握る手がみしりと音を立てた。
「そうじゃないんです。今でも、ぼくは詩子さんが好きです。誰よりも好きだといえます」
「では、なぜ――」
「確認といったのは、彼女の周りにいる人に――です」
ある人は、ぼくたちのことを『恋人のふり』だといった。
またある人は、ぼくたちの関係は『異様』だといった。
確かにそうだ。
1日1時間しか会えない恋人。
お互い病気をしてるわけでもなく、遠距離恋愛しているわけでもない。
ただ相手があまりにも有名人で、美しいから、仕方なくそういう形態を取らずにいられなかっただけ。
果たして、それは本当に不幸だといえるのだろうか。
異様だといえるのだろうか。
フェイクだといえるのだろうか。
それは違う。
きっと違う。
だから、審査してほしいんだ。
ぼくたちが、本当に“普通”の恋人同士ではないのかを。
車が止まる。
気がつけば、光乃城学園の前だった。
登校する生徒が、物珍しそうにこちらを見ている。
他にも高級車が止まっていた。
試験の上位者が後部座席から出てくる。
どうやら、最終試験の生徒全員が、車で送られる手はずになっていたらしい。
洗馬州さんは車を降り、ぼくのために後部座席を開けてくれた。
痛む身体をなんとか動かしながら、降りようとする一高校生に、好々爺はそっと囁く。
「少なくともお嬢さまは、あなたといて、幸せだったと思います」
いってらっしゃいませ、と恭しく頭を下げた。
鈴江と園市に手を貸してもらいながら、ぼくは試験会場に来ていた。
試験は、いつもぼくが詩子さんとよく1時間を過ごしていた教室で行われる。
皮肉なのか、それとも首謀者の意地悪なのか。
会長の精神なんて到底理解出来ないけど、その教室の匂いを嗅いだ時、ぼくは一瞬身体に走る激痛を忘れることが出来た。
2人に激励され、ぼくは教室に入る。
他にも4名の生徒が思い思いの席に座っていた。
ぼくはいつも座っている席につく。
幸いにも、詩子さんの席は空いていた。
彼女の姿を思い浮かべながら、試験が始まるのを待っていると、会長が賀部先輩を伴って現れた。
「栄えある最終試験に望むものよ。我が姫崎亜沙央の声を聞くがいい」
などと、中二病っぽい口上が始まる。
「最終試験は小論文。テーマはズバリ『ラブレター』だ!」
ざわつくことはなかったものの、数人の生徒が顔を合わせ戸惑っていた。
「姫崎詩子への想い、存分に愛を語ってほしい。そして、今回は特別審査員を用意している。何を隠そう詩子の父であり、私の父でもある姫崎グループ代表の姫崎真具が、審査してくれるそうだ。父の眼鏡にかなえば、もしかしたら姫崎グループの跡取りとして認められるかもな。存分に筆を振るってくれ」
おお……。
生徒たちはどよめいた。
ぼくはじっと会長を見つめる。
その動揺を鎮めるように、賀部先輩が付け加えた。
「ラブレターの内容は学園のローカルサーバーにアップされ、生徒に一般公開されることになっている。各自、学生として恥ずかしくない恋文を作るように」
「はは……。賀部ちゃん、恥ずかしくないラブレターなんてラブレターじゃないよ。――いっそ黒歴史になるぐらいのどぎついのを頼むよ、みんな」
張り詰めた空気の中でも、会長はヘラヘラと笑った。
賀部先輩は軽く咳払いをする。
「提出は本日18時まで。以降も受け付けるが、大幅な減点となるのでそのつもりで」
「原稿用紙はたくさん用意したから。歴史的な大傑作を期待してるよ」
説明が終わると、試験開始の本鈴が鳴る。
各自、原稿用紙を思い思いの数を取り、ラブレターの制作を始めた。
ぼくもまず1枚目を机に広げる。
少し顔を上げると、草稿に悩む学生の姿が見えた。
対して、ぼくはすぐに取りかかる。
目の前に座る恋人を思い浮かべながら。
書きたいことは一杯あった。
見てほしいことも、聞いてほしいことも、感じてほしいことも一杯あった。
伝えたい想いもたくさんあった。
ふと鼻先を動かす。
夏の暑さと、秋の暖かさが入り交じるような空気。
そこに懐かしい匂いが混じる。
顔を上げた。
流れる黒髪。
白亜の肌。
ほっそりとしながらも、女性的特徴をバランス良く秘めた肢体。
オニキスの瞳をぼくに向け、淡い唇を緩めている。
鮮やかな茜色の陽を受けたぼくの恋人が立っていた。
ああ、そうだ。
そうだね、詩子さん。
ぼくたちの時間はここから始まったんだ。
夕焼け色に染まった誰もいない教室。
ぼくのペン先が原稿用紙に向いた。
最初の1行を刻む。
「好きです。つ、付き合って下さい」
エピローグですが、明日20時に更新予定です。
ここまで読んでくれた読者の方に感謝申し上げます。
本当にありがとうございました。
よろしければ、大久野帝斗が書いたラブレターをもう1度読んでいただけると嬉しいです。




