一 旧友
端末を片耳に当てて黒衣を纏った人物が街を歩く。周囲の人々は一瞬怪訝そうな顔をするものの、関わり合いになりたくないと言わんばかりにすぐに自分の用へと戻っていく。
「呆れた。あなた本当に世界を渡れたのね」
「呆れたとは失礼ですね。これは真っ当な私の能力です。それに魔法文明期であれば『世界を超えて移動する』技術だって確立されていたでしょうに」
古代に栄えた魔法文明期は様々な世界において存在が証明されているが、世界を渡る術が紛失してしまっている今日において、それが同一のものであることを知る者はほとんどいない。
「私が言いたいのはそういうことではなくて。……もういいわ。ところで、そのおかしな格好は一体何なのかしら?」
「これは遠方にいる人と会話ができる物です。つまりこうしていれば、あなたと話していても周りの人から奇異の目で見られることはない、という訳です」
携帯端末が普及し始めた頃はその動作ですら怪しかったものであるが、今ではごく当たり前の所作となっている。
「それにしてはチラチラと不躾な視線が飛んできているのだけれど?」
「今いるこの国は文化が特殊でしてね。大勢と異なる形に敏感なのです」
「あら以外。自分の姿が異形だということに気が付いていたのね」
「それは勿論。私は生者の死者の間を行き交っているようなものですから」
背広のような衣装であればさほど目立つこともなかったのであろうが、着用している黒衣は民族衣装のような、また僧衣のような様相をしていた。
更に本人が言うように死者との交流を持つことで、知らず知らずの内に非日常な雰囲気を醸し出しているのであった。
「ところで、一体どこに向かっているの?」
「友人のところへ。私のような変り者と付き合いを続けている奇特な人物がね、この街にはいるのですよ」
幸いにも今回は見知った場所に出ることができたので、特に端末で連絡を取り合わなくても会うことはできるだろう。
ただ単に面倒事を先延ばしにしているだけという自覚はあるが、それでも端末を起動させる気にはならないのだった。
リンとの会話の偽装に用いているし、そもそもバッテリーが切れたままである。だから連絡したくてもできないのだ、と自己弁解を繰り返しながら雑踏を歩いていく。
辿り着いたのはそれなりに大きな規模の病院だった。
正面ではなく裏へと回り『関係者以外立ち入り禁止』と書かれた大きめの扉を開けて中へと入って行く。その胸にはいつの間にか身分証を兼ねたネームプレートがぶら下がっていた。
入ってすぐの所にあるエレベーターを使って地下へと降りる。患者や見舞客ではなく、病院関係者が使用するためのものなのだろう、ベッドすら乗せることができるくらいに広い。
無機質なエレベーター内部を一通り眺めている内に目的の階へと到着する。降りて真っ直ぐな廊下を歩き始める。
十分な明かりに照らされているはずなのに、カツンカツンと靴音だけが響き渡るそこは酷く陰鬱に感じられた。
突き当りにある『霊安室』のプレートが掲げられた観音開きの戸の横にある扉に手をかける。開けようとしたところで思い留まり、取っ手から一旦手を離す。
扉上方にある小さな磨りガラス部分に目を向けると、部屋の中に明かりがついていることが確認できた。コンコンコンとノックする。
「どうぞ」
許可を得て改めて扉を開く。
「ノックをするなんて少しは学習能力があったようね」
「君の場合、本当にこんな部屋でも平気で着替えをしていそうだからね」
以前受けた警告を思い出して言う。まあ、思い出せたのは偶然であり、しかも部屋に入る直前だったのだが、それは言わなければ分からないことである。
「あら?冗談だったのだけれど、本気にしたの?」
ケラケラと笑われる。どうやら幾分かはからかいが混ざっていたらしい。肩をすくめてみせることでそれに応えた。
「今回は随分と長い旅だったようね」
「まあ、それなりに」
部屋の中央に置かれたソファーに座り、差し出されたコーヒーに口を付ける。
「ところで、隣町の端末ショップに全身黒尽くめの不審者が現れたっていう話を聞いたのだけれど、あなたじゃないわよね?」
含んだコーヒーを吹き出さなかったのは良かったが、その代わり咽返ることになった。
「ごほっ、けほっ……。と、唐突に何のことだい?」
「一月ほど前、いつもであれば丁度あなたが顔を出すタイミングだったから覚えていただけよ。特に他意はないわ」
そう言いながらもその眼は笑っていない。これはさっさと白状した方が身のためかもしれない。
「おかしな同行者もいるようだし、楽しそうでなによりね」
「見えるの!?」
驚いたのは視線があったリンだ。
「違う。彼女は感じられるだけさ」
「そういうこと。あなたがどこの誰で、どんな姿をしているのかも私には分からないわ」
つまり視線があったのではなく、交差しただけだった。とはいえ大まかな位置は分かるので、その点に関してはそれほど大きく異なる訳ではない。
それよりも今はどう釈明するかの方が重要だ。しかし下手な言い訳をすれば機嫌を損ねかねない。
「あー、その……、ごめんなさい」
結局、謝ることにした。事情があったにしても、連絡を取らずに旅立ってしまったのはこちらのミスだからだ。
「全く、どうせ学習するならそちらの方を改善して欲しかったわね」
彼女と顔を合わせるたびに似たようなやり取りを繰り返しているおり、全く弁解の余地がない。反省の意を示すためにも体を小さく縮こませる。
「はあ。今日のところはこのぐらいで許してあげる。どうせ次もすっかり忘れていることでしょうけれど」
説教とも愚痴とも取れそうな話が終わったのは一時間後のことだった。そして最後の一言に反論したくはあったが、そうすると更に一時間は話が伸びそうなので――そして実際忘れてしまいそうな気もして――言えずに終わった。
「それで、帰って来たばかりのところを悪いのだけれど、少し付き合ってもらえない?」
「構わないけれど、何があった?」
「いつもと同じよ。でもいつもと勝手が違っているような気もするの」
何かしらの未練や悔いを抱えた死者が現れたが、その悔い、もしくは未練の方向性や質が特殊だった、ということのようだ。
「少し距離があるから、車を出すわ」
そして死霊術師は死者の待つ場へと向かう。




