第33話「夏合宿のはじまり」
夏らしい、目が眩んでしまいそうなほど強い日差しが生い茂った樹々を通って地面いっぱいに降り注いでいた。
手を翳して上を見上げると、緑は光を浴びてより一層輝いている。
枝葉の合間から見えるのは抜けるような雲ひとつない青空。
まさに絶好の合宿日和だった。
私たち映画研究会は、都心から離れた山奥に位置するペンションにやってきていた。
森に囲まれ穏やかな空気に包まれている、まるで自然と溶け込んで一体化しているようなところだ。
板倉先輩の叔父さんが今年に入って経営し始めたとかで、叔父さんの方から合宿所として提供すると申し出てきてくれたらしい。
有難くその話を受け取り、今年の合宿先はここに即決したそうだ。
……いいところだなぁ。
目を閉じて澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込む。
ここにずっと住んでもいいかな、なんて思えるぐらいきれいな場所。
「うひゃぁーっ、すごい、自然って感じー」
ふわりとスカートを舞わせてバスから飛び降りてきた由里香が興奮したように言った。
今日の由里香の格好はすごく可愛い。
薄茶のふわふわとした髪も、花柄のワンピースも、大きな麦わら帽子もまるで深窓の令嬢のよう。
そのうえ可愛らしい顔立ちをしているから、先ほどからちらちらと男の先輩のひとたちも由里香のことを見ている。
本人曰く「これは勝負服に決まってるでしょ!」と鼻息を荒くしていたが……
し、勝負服?
「勝負服」というものが何であるのかよく分からなかったけれど、由里香は嬉しそうだったしきっと良い服のことなんだろう。
私はそう勝手にひとりで納得すると、ふと自分の服装に目をやった。
足元まですっぽり覆うジーパンに長袖のシャツに紐で結ぶ運動靴。
これは全部お母さんが用意してくれたものだ。
山奥だし夏ということもあって、いわゆる虫除け対策らしい。
合宿に着ていく服装を思いつかなかった私は、それもそうかと思い言われるがままこの服を着てきたのだけれど……
自分の服から目を離し、荷物をバスから運び出している方へ視線を移す。
香帆先輩や他の先輩たちも、渡邉さんや城乃内さんだって自分以外はみんな夏らしいお洒落な格好をしている。
特にこの服装に不満とかあるわけではなかったのだが……
何だかひどく自分が浮いた存在のように感じてしまい、急に気恥ずかしくなった。
「―――さん……白崎さん?」
「…え?」
考え事をしたまま長い間突っ立っていたらしい。
名前を呼びかけられて慌てて意識を引き戻す。
わわっ…いけない!
私、ぼーっとして……
顔を上げると、目の前にはサラサラと色素の薄い髪を靡かせた少年が心配そうな表情で私を見つめていた。
あまりの至近距離に一瞬体が固まる。
「大丈夫?具合でも悪いの?」
眼鏡ごしに顔を覗かれ、いきなりのことに驚いた私は咄嗟に一歩後ろに下がって言った。
「う、うん。大丈夫…」
「そう?…なら良かった。じゃあ僕らも荷物運ぼう?」
促されるようにしてバスの荷台へと向かう。
彼の名前は、えーっと確か……
雪……そうだ、雪平奏くん。
雪のような色白の肌にぴったりな綺麗な名前だな、と感動したから珍しくよく覚えている。
それに何より……
雪平君は映研歓迎会の日、風邪をひいて残念ながら来れなかったらしい。
なので、夏休みに入って合宿に向けての打ち合わせで初めて顔合わせということになった。
「始めまして。雪平奏と言います」
礼儀正しく背筋を正して頭を下げた少年に、呆気にとられた。
まるで貴族を感じさせる少年。
どこか儚げでありながら、上品な雰囲気を持ち合わせている。
顔もお約束のように整っていて。
私はそのまま食い入るように彼を見つめてしまった。
に、似てる……!
そう。
彼はとてもよく似ていたのだ。私がよく知っている人物―――アランドールに。
アランドールというのは勿論この世に実在する人物ではない。
私が今まさに読んでいる、天音夜椰さん…つまり小百合さんの新作に登場する人物だったりする。
今回の新作は中世を舞台とした上流貴族のお話。
豪華絢爛な貴族の生活を描く一方、その裏であちこちに確執や陰謀が張り巡らされている…そんな貴族社会の中に生きるひとりの少年。
それがアランドールなのだ。
うわあぁぁ……すごい!
イメージにぴったり……!!
別の理由ではあるけど、びっくりしたのはどうやら私だけじゃなかったようだ。
みんなが雪平君を呆然と見つめている中、香帆先輩は「今年の一年は美少年だらけね…」と感心したようにぼやいていた。
雪平君は昔から体が他の人に比べて弱いそうだ。
だけどこれでも昔よりは大分マシになったんです、って雪平君は笑ってそう言っていた。
そのはにかんだ表情に、あちこちからはうっとりしたようなため息が…
「はい。これ、白崎さんの荷物だよね?」
あっ……
またぼーっとしちゃった…!
慌ててお礼を言って雪平君から荷物を受け取る。
ふと目が合うと、雪平君はにっこりと微笑んでくれた。
う、うわぁ。
本当にそっくりだなぁ……
ほわほわとした感覚が胸に広がっていく。
健人君のときもそうだったけれど……
私ってもしかして小説の主人公と実在の人物を結びつける癖でもあるのかな?
先輩たちにならって荷物をペンションに運ぼうと体の向きを回転させると、芳沢君と話をしている健人君の姿が目に入った。
同時にとくん、と心臓が大きく鳴る。
そっか…これから2泊3日、健人君とも一緒なんだよね。
そういえばこの前のクッキー…少しは喜んでもらえたかな?
試験の結果発表の日の放課後に強引に手渡したクッキー。
勉強を見てもらったほんのお礼のつもりだった。
実はあれ…祐の手作りなんだよね。
あの日、家に帰った途端良い香りがキッチンの方から漂ってきて、吸い付けられるようにキッチンに向かえば、祐がオーブンから焼き立てのクッキーを取り出しているところだった。
どうしたの?と尋ねると、祐は照れたような表情を浮かべて答えた。
どうやらお母さんの料理本を暇で読んでいるうちに、急に作ってみたくなったらしい。
ひとつ食べさせて貰うと、初めて作るとは思えないほど美味しくて。
甘さが控えめになっているところも、このクッキーにはちょうど合っているような気がした。
「姉ちゃん、それ全部食べて良いよ」
「えっ、祐は食べないの?」
ぜ、全部ってこんなに!?
「うん。だって作ってみたかっただけで別に食べたかったわけじゃないし」
「でもこんなに多くは…」
食べれないよ。
そう言いかけてから、あっと気付く。
そ、そうだ!
これ、ちょうど甘さが控えてあるし健人君のお礼に…
前に健人君は甘いものが苦手だと羽織さんが言っていたのを思い出す。
私は思い立つと、すぐに準備を整えて健人君の家に向かった。
いきなり尋ねてきた私に驚いた表情を浮かべている健人君。
何の音沙汰も無くいきなりやって来たのだから、当然の反応なわけで。
なんだか急に恥ずかしくなって、押し付けるようにして逃げちゃったけど……
なにやってるんだろう?私…
その時のことを思い出して、はぁっとため息をつく。
ホントに不審者だよ、これじゃあ…
もしかしたら迷惑だっただけなのかもしれないし…
「葵衣ーっ!!早くしないと置いてくよーっ」
「う、うんっ」
ペンションはバスを降りた位置から少し離れているそうだ。
由里香の声に我に返ると、慌てて私は後を追いかけた。
歓迎しているように一斉に聞こえてくる虫の声。
樹々は嬉しそうに葉を輝かせていて。
―――――夏の合宿はまだ幕を開けたばかり。




