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第58話 コーヒーは、みんなで飲みたいのだ

 デリカテッセン……って言ったっけ。そーゆーの。


 なんか、ちょっとした飲み物とか、日用雑貨も買える日本のコンビニ的なやつ。

 アメリカの高校生が学校帰りに寄って「ここのサンドイッチは最高だぜ」とか言っちゃうお店。


 そう言えば、ここ『ウルリッヒのお店』を尋ねる道々で、そんな風なお店をいくつか見かけたっけ。

 でも、ファミレスのような、お食事処っぽいものは見当たらなかったな。


 そうか、そういうことか。


 『炎の剣亭』と競合するのは、下町の酒場を始めとしたお食事処かと思っていたのだけれど、そうではなかった。

 そもそも、酒場はあれど、お食事処ってのがないみたいだしね。

 真の敵(ライバル)はデリカテッセンであったのだ。


 ガガーンッと角張った書体の書き文字が頭の上に浮かび、わたしの背景には集中線が走る。

 思わず白目をむいて「……デリカテッセン、恐ろしい子」などと呟きそうになったけど、それは思いとどまったよ、さすがに。


 ならば『炎の剣亭』のお昼の営業も、デリカテッセンみたいなスタイルでいったらどうかな。

 朝から仕込んだ料理、できれば冷めても味に影響の少ないものをお皿に盛って並べる。

 同じ料理は、一皿一皿分量を同じくらいにして、同じ値段にするのはどうだろう。

 原価の高い安いは、料理によって盛り加減で調節して全品均一価格とかもいいな。


 そして最大のポイントは、これ!


「食事のお供にお酒ではなく、コーヒーをお出しするのです!」


 むふー。なんだか興奮してきた。


「あのー、ミヅキさん。ミヒャエル先輩の性格を考えると、それは少々無理があるのでは?」


 おおー、そうか。おっちゃんの性分ってやつを考慮に入れるのを、すっぽり抜かしてたぜ。

 そんな分量の調節だとか、原価うんぬんとかいう、細かいこと考えて仕入れてたりするわけがないのだ。


 おそらくは問屋街で見かけて、試食なんかして美味いとなれば「これは、あいつらにも食わせたい」とばかりに即購入。

 それが旬の出始めの食材で少々お高くついたとしても、いつもと同じ値段でみんなにも出しちゃうんだろう。

 その料理が好評ともなれば、お代わりだとか大盛りだとかも始めかねない。しかも、たぶん同じ値段で。


 あー、おっちゃんのそういうトコ、好きなんだけどなー。

 商売は向いてないよね、お互い。


「でしたら、いっそのこと、コーヒー一本に絞ってみたらいかがですか?」


 マティアスくん曰く。


 先ほどから、ウル翁のコーヒーを淹れる手順を観察した結果、どうやら、あの至福の一杯は手間がかかるものだと把握。

 どの工程も抜かしてしまっては、あの味わいは出ないであろうと予想。


 特に、豆を挽くところ。そして挽いたあと、すぐに淹れるのが望ましい。

 しかも注ぐお湯の温度や、タイミング、注ぎ方にも熟練が必要だと見たようだ。


「このコーヒーという飲み物は、どうやら思ったより奥の深いもののようです」


 おー、マティアスくん、さすがだ。

 さりげなく根本的な問題だね、それ。


 そうなのだ。

 コーヒー一杯とはいえ、美味しく淹れたいと思ったら手間ひまなんかを惜しんではいけないのだ。


 たかがコーヒー、されどコーヒー。

 おススメの一杯を、美味しく淹れる練習もしなくちゃね。


 この世界全般なのか、この国限定なのか、あるいは、この王都のだけの習わしなのかは知らないけど食事はお家でするものなのだ。

 お食事処っぽいのは、酒場か、デリカテッセン風のイートインシステムのないテイクアウトのみのお店ばかり。


 そんな中で、よくおっちゃんは定食屋なんて始めようと思ったな。

 でも嫌いじゃないぜ、その開拓精神フロンティアスピリッツ

 それが、ただ単に後先考えてないだけ、ではなかったと信じたい。


 わたしだって前例のない、喫茶店じみたことを始めようとしているのだ。

 この行いもまた、後先考えてない、ということではないと信じたい。


 ちゃーんと勝ち筋、見えてるもん。


 その秘密はズバリ、このコーヒーの香り。


 わたしの元いた世界の日本という国では“鰻の蒲焼き”という料理があってだね。

 その鰻屋さんの軒先で、中から漂う匂いをおかずにご飯を食べるという噺があるのだよ。


「そのくらい、いい匂いってものは人の心を惹きつけるということでしょうか」


「そうですね。こんなに良い香りのする飲み物は初めてです」


 この町のみなさんが飲み慣れているお茶も香りが良いけれど、コーヒーの香りも独特で負けていないと思うよ。

 この町の方々だって、この香りに惹かれて、きっとコーヒーを飲みにきてくれると思うのだ。


 ところで、あのう……。


 ここで、ウル翁をそっと伺う。

 わたしは一人で、もしくはマティアスくんと二人で盛り上がっていたのだけれど、どれもこれもウル翁の協力なしには成し得ないことばかり。


「豆をお譲りしていただくだけなく、焙煎もお願いしてもよろしいでしょうか」


「当たり前じゃ。生豆だけ渡そうとは、はなから思っておらんかったよ」


 おおっ、ありがとうございます。


 美味しいコーヒーの第一歩は豆選びだけれど、その豆の良さを生かす焙煎も重要なことのように思えるのだ。


 それで、あのう……。


「誠に厚かましいお願いなんですけれど、そのミル……、そうです、豆を挽く道具もお借りできれば。あと、ネルフィルターとか、ポットとか……」


 ああっ、それって道具一式、殆ど全部じゃないか。

 わたしときたら図々しいにも程があるだろう。


 いつしかウル翁に向かって、お辞儀どころか、正統派で由緒正しい土下座を決めていたわたしなのでした。

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