第48話 わたしには秘密など何もないのだ【さらに蛇足編】
爽やかな風が頬を撫で、暖かな日差しが全身を包み込む。
この世界でも、この国でも、この街でも、もう季節は春なんだね。
この世界へ初めてやってきた時も思ったんだけど、この国の気候は住んでいた日本に近い気がする。
むしろ、日本特有の湿気が少ない分、過ごしやすいかも。
きっと今頃は満開になっているでしょう、元の世界の桜を見ることができないことだけは残念なんだけれど。
今日から『炎の剣亭』は、当分の間お休み。
店主であるおっちゃんが、仕入れの旅へ発っていったのだ。
おっちゃん曰く、この国は案外広くて、なおかつ南北に長いとのことだ。
ここ王都は、その丁度真ん中の辺りから少しばかり南寄りにあるという。
北に上れば、マティアスくんの故郷があって、さらに進むと北の海に出るらしい。
南に下れば、おっちゃんの仕入れ先のエールやらワインやらの産地があり、さらに進めば、やっぱり南の海らしい。
北も南も海に面してるのか。どんな地形なんだ、この国は?
ちなみにマティアスくんの故郷では、毎年冬になると雪が降るところらしい。
おっちゃんの故郷は南の海沿いらしく、一年中気候が安定していて、雪なんか降ったこともないそうだ。
うーん、極端なんだね。それだけ広いってことかな。
南へ旅立ったおっちゃんを見送ったわたしは、マティアスくんの職場へ向かっているのだ。
この前、倒れた時は迷惑かけちゃったからね。
親しき仲にも礼儀有り。
ちょっと恥ずかしいけど、謝ったり、お礼したりしたいじゃない。
日がな一日、ごろごろしていた騎士団の客間から宿舎に帰る時、ルドルフさんとネーナさんのお二人には良ーくお礼をしといたのだ。
さすがに土下座をしようとしたら、止められてしまったけれど。
ふむ、この世界に土下座はないらしい。
わたしがおかしくなってしまったかと、却って心配させてしまったようだ。
元の世界の風習は、こちらの方には奇行に見えるのかな。
いや、元いたところでも土下座なんてしてる人はめったに見なかったけれど。
かつての聖人様方は、土下座するはずなどないでしょうし。
わたしが、この世界初の土下座をした人になってしまうところだったよ。
よく考えると、いつもいつも、みんなには危ないところを助けてもらってばかりだ。
帰る時なんか、ルドルフさんは、わざわざ宿舎の前まで送ってくれたんだよ。本当にかたじけないのう。
わたしが倒れちゃったあとは、しばらくマティアスくんも側にいてくれたみたいなんだけど、ネーナさんにあとを託して職場へ戻ったらしい。
出掛けに、お向かいの殿方用の宿舎を覗いてみたんだけど、マティアスくんはまだ帰って来ていないそうだ。
この情報は、玄関をお掃除していた管理人のお爺ちゃんに聞いたのだ。
マティアスくんのところへ誰かが尋ねてくるのは珍しいらしくて、なんだか懇切丁寧に彼の職場を教えていただいた。
「身体が心配だから、あんまり根を詰めないように。ちゃんと毎日、部屋に帰ってきんしゃい」
最後に、そう言伝を頼まれてしまった。
マティアスくんってば、ワーカホリックなのかな?
魔力酔いだとか言っていた彼の顔を思い出して、わたしも心配になる。
騎士団の庁舎と同じく、パッと見は大きなお屋敷に見える魔導士団の庁舎。
うー、こんな立派な建物の中に入ってゆくのは、やっぱり勇気がいるなあ。
出入り口の大きな扉は、日の出ている間、ずっと開かれているという。
ウエルカム! エビバデー! な魔導士団庁舎。
でもなんだよ。さっきから、ちらりと中を覗いては顔を引っ込めたり。わたしはあの中に入れずにいるのさ。
「そんなところで何をしているんですか、ミヅキさん」
突然後ろから声を掛けられて、わたしは飛び上がる。
振り返れば、マティアスくんが大きな麻袋を抱えて立っていた。
なんだマティアスくん、今はお仕事中じゃなかったのかい。
「さっき起き出したばかりなんです。お腹が減ったんで、ちょっと買い出しにいってきました」
聞けば、寝付けなかったので、つい明け方まで古い魔法の文献を読みふけってしまったんだとか。
すると宿舎には帰ってないのか。それじゃあ管理人さんだって心配するよ。
「はははっ。もう研究室が住処みたいなもんですね」
目の下にクマを作りながら、なにを爽やかに笑ってるのだ、キミは。
「食事も、そこで摂ってしまうことが多いですし。今もほら、これから朝食なんですよ」
朝食って、もうかなり日は高いよ。
でも、マティアスくんは自炊派か? 感心、感心。
どんなに忙しくても食事は大切だからね。
「ははっ。僕が買ってきたのは、お湯で戻すと簡単に食べられるものばっかりですけどね」
なんだって?! それって要するに、インスタント食品ばかりじゃないか。
だめだよ! そんな部屋に籠もりっきりで、偏った栄養バランスの食事と夜更かしを続けてちゃ!!
倒れちゃったらどうするの?! わたしみたいに!!
そこまで言ってから、はたと気がついた。
ああ、そう言えば、わたしも突然倒れてしまったんだった。
ごめんなさい。人のことは言えませんでした。
そもそも今日は、その倒れた時のお礼をしようとマティアスくんを尋ねたんだった。
そこまで考えてから、再び、はたと思い当たった。
もしや昨晩寝付けなかったのは、わたしを心配してくれたから?!
わー、ごめんよ、ごめんよ、マティアスくん。
お礼と感謝の気持ちを込めて、わたしが腕を振るうよ。
「わたしも食事はこれからなんです。もしよろしければ、ご一緒にいかがですか」




