3日目 前編
3日目。
ひどい雨だった。
空は灰色で、アスファルトに当たった水がたちまち灰色に染められていく。
――昨日の晩、学校から電話が入った。
けれど、私は一言も責められなかった。
「友達の葬式に出て以来なんです。一色さんは強い生徒ですが、やっぱりこたえたのでしょう。少しだけ、ご両親も彼女の傷が癒えるのを待ってくれませんか?」
先生がそう言ったのだとか。確かに、色を失ったあの日以来、学校から遠のいていた。
――けれど、きっと理由は分かるまい。誰にも。
私は駅前に立っていた。
コンクリートのベンチは薄い灰色から濃い灰色へと色を変えている。
すべてを洗い流すように雨がベンチに叩きつけられていく。
傘から水滴が滝のように流れ落ちて、ブーツを濡らしていった。
……目の前には誰もいない。
こんな雨の日に外出する人なんていないだろう。
まして、今日は休みの日なのだから。
けれどもそれが何故か逆に嬉しかった。誰もいないところに一人でいることの優越感。
……いつもならそう思うのに、今日は何かが欠けているようで気になって仕方がない。
灰色一色の世界。
どうしてだろう。望んだはずなのに、……寂しいと感じてしまうのは。
それは強引なまでに私をこの世界から引っ張りあげようとする極彩色のあの人がいないから。
昨日、絶対会うもんか!って思ったのに、あの人が恋しくなってしまっている。
いつもの世界と違う世界を見せてくれる。
あの、走り抜けるような感覚を忘れることができなくて。
もう会えないのだろうか。
そうだろう。
大体続けざまに会ったのが不思議な関係だ。
なんてわがままな奴。
人を振り回すだけ振り回しておいて、消えてしまうなんて。
――「自由気ままなだけ」
誰にも捕まえることのできない存在なのか。
ならばいっそ、記憶ごと流れ落ちてしまってほしい。
綺麗にあの極彩色の絵の具で塗りこめられた私の心を洗い流していってほしい。
あの強さと悲しさを含んだ綺麗な瞳や、
時々激しさを感じさせる唇や、
温かくて強引な手のひらを忘れさせてほしい。
傘を落とした。
ガードがなくなった私の頭に雨が降り注ぎ、たちまち額から雨が流れ落ちる。
頬を伝って流れ落ちるのは、
雨か、
涙か、
……私はそんなに弱い人間じゃない。
なのに、どうしてなんだろう。
結構、振り回されるのが……楽しかった。
型破りのその行動が、心の奥に焼きついていて消えない。
袖が腕にしっかりくっついて、指先からも水滴が落ちる。
ここまできたら人はどのくらいずぶぬれになるのか試してみたくもなるな…。
そんな馬鹿なことを考えてしまうのは、多分あいつのせいだ。
あいつのせいだ。
――クロの馬鹿。
誰も見ていないなら、泣こう。
ほら、私だってつまらない人間なんだよ。人の目が気になるのだもの。
崩れ落ちるようにしゃがむ。
とたんにカバンから雨を吸い込んで端がびろびろになったスケッチブックが転がり落ちた。
拾い上げる。
「なによ……」
一番後ろのページには、へのへのもへじがいた。
けれどそれは私が見たあのへのへのもへじじゃない。
違うのは、口元。「へ」が180度反転している。
……笑っていた。
目はくるくるとしていて、横にいる人に微笑みかけているように。
「そんな顔、してやらないから」
ばっかじゃないの。
口に出したら涙がこぼれてきた。
「……馬鹿じゃないヨ」
雨音に隠れて足音が聞こえなかった。
けれど、その声はしっかりと聞こえた。
幻なんかじゃなくて、そこにいる。
ざあざあ降る雨の中顔を上げたら、水分を含んで色が変わったジーパンが見えた。
長い脚。
誰か……なんて、一瞬で分かってしまう。
「馬鹿だよ。馬鹿。最低。最低」
なのに私は悪態をついてしまう。
「帰っちゃうのに、クロ帰っちゃうのにひどいよ」
私の心にズカズカ土足で上がりこんで、いくつもの鮮やかなペンキの缶をひっくり返して、そのまま足跡だけつけて消えるなんて。図々しすぎるよ。
「絵梨……」
「だから絶対笑ってやんないんだから」
雨がいっそう激しく降る。
放っておいてよ。
中途半端にからかわないで。
そうやって耳をふさいだ。
目の前に傘が落ちた。
くるくると駒のようにそれは回って……止まる。
時間が止まった。
「……ごめんね」
後ろから抱きしめられる。
温かかった。
言葉も。
何もかも……
「ごめんね。好きになって、ごめんね」




