㊲
「緊張した……」
「お疲れ様、シア」
玉座の間を出て、ホッと息をつく。リクスはエリシアの手を握ったままだ。
いろいろなことを告げられ、まだ頭が整理できていない。それなのにリクスが終始甘いものだから、エリシアは余計に落ち着かなかった。
「前フローレンス侯爵は、シアのことを本当に愛していたんだな。俺も短い間だったが、シアに接する姿を思い出せばそう思う」
「うん……ありがとう」
思い出の祖父は本当に優しい人だった。今のフローレンス家からは想像もできないくらいに。祖父の秘めた想いを皇帝から聞けたことにより、エリシアは自分が愛されていたのだと実感できた。
じわりと涙ぐめば、リクスがもう片方の手で拭ってくれる。
「俺はシアを託されていながら、冷たい態度を取り続けた……すまない」
「それは仕方ないよ! だって、フローレンスが一方的に縁を切ったんだから」
辛そうなリクスの表情に、エリシアは慌てて説明する。
「シアが辛い目にあってきたのに、俺は君に拒まれたと思い込んで意固地になって……」
「それもお父様のせいだし……」
涙を拭ったリクスの手がエリシアの頬を包み込む。
「それでも俺を諦めないでくれて嬉しかった」
「うん……ずっと好きだったから」
「俺を捨てようとしたくせに」
「そっ、れは……」
拗ねたリクスの顔が笑みに変わるのを見て、エリシアが唇を尖らせる。
「……意地悪」
「もう離さないから」
「リー……」
真剣なリクスの瞳がエリシアを覗く。すると呆れた声が真横から飛んできた。
「ねえ、それ二人になってからやってくれないかな?」
アーセルが半目で二人を見ていた。
「す、すすすみません! 殿下!」
すっかりリクスしか目に入っておらず、アーセルの存在を忘れていた。
「お前に見せつけているんだ」
「はい?」
リクスがアーセルに向かってわけのわからないことを言ったので、エリシアは目を見開いた。アーセルだけはわかっているのか、やれやれと笑った。
「仲がよろしくて何よりですわね」
聞きなれた声が場に割り込む。振り返れば、清楚なドレスを着たフィオナが立っていた。
「どうしたの?」
エリシアは慌ててリクスから離れてフィオナへと駆け寄る。
「ふふ。今回のことでヴェイユ伯爵家に褒章が与えられると、お父様と一緒に呼ばれましたのよ」
「そっか。フィオナにもいっぱい助けてもらったんだよね。ありがとう」
「わたくしもあなたにお礼を」
「なあに?」
口元に手を当て、フィオナが改まってエリシアの耳にささやく。
「実はわたくしも、お友達ができたのはあなたが初めてでしたの」
「えっ!? だって」
驚いてフィオナを見る。そうかなと思ったことはあった。貴族同士で本音を言い合える友達はいないんじゃないかと。しかし彼女はルミナリエ派の筆頭貴族で、優れた商才や魔法の才能もある。フィオナの周りにはいつも人が集まっていた。だからこそ、それはエリシアの傲慢な考えだと思い至ったのだが。
「……貴族同士の付き合いなんて、腹の探り合いですもの。でもエリシアは違った。裏表なく、いつだって真っすぐで、わたくしもあなたの前でなら素をさらけ出すことができましたわ。ありがとう」
「フィオナ! わたしもだよ! 友達になってくれてありがとう」
感動してがばっとフィオナに抱きつけば、彼女も抱きしめ返してくれた。
見守っていたアーセルが二人に声をかける。
「じゃあ、友人であるフィオナ嬢も一緒に見届けようか。エリシア嬢、おいで」
「えっ?」
アーセルに手招きされたエリシアは、横へ来たリクスに手を引かれ、近くの扉から中庭へと出た。
皇城の庭は真ん中に噴水があり、花で囲まれている。花魔法を扱うエリシアにとって心地のいい空間だった。
噴水前の広い場所まで進むと、先を歩いていたアーセルがエリシアとリクスに向き直った。
「何かあるんですか?」
アーセルに言われるまま、リクスと向かい合わせになる。リクスはエリシアの手を握りしめたまま、笑顔で何も答えない。
フィオナは少し離れたところで見守っている。
何事かと首を傾げれば、アーセルが繋がれたエリシアとリクスの手の上に自身の手を重ねた。
「巻き戻れ、時の精霊よ――リ・マジック」
詠唱とともに、アーセルの魔法がエリシアとリクスを包む。
「!?」
金色の光とともに大きな懐中時計の幻影が現れ、針が逆走していく。
光が収束すると、エリシアはまず身体に違和感を覚えた。
「全部じゃなくてごめんね。やっぱりリクスにも魔力は必要だと思うからさ」
アーセルを見て、口をパクパクさせる。この違和感は、エリシアの魔力が戻ったことによるものだ。しかもアーセルの言う通り、全部ではない。リクスのマナが回復する程度にエリシアの魔力は、彼にも残されている。
「どうして……」
呆然とリクスを見る。リクスは眉尻を下げながら言った。
「勝手にすまない。シアが俺のためにやってくれたこと、ちゃんとわかっている」
「じゃあどうして……」
エリシアは覚悟を持ってリクスに全魔力を捧げたのだ。困惑するエリシアに、リクスは真剣に告げた。
「こうでもしないと、結婚してくれないだろう?」
「ひょえ!?」
思ってもいない理由にエリシアが飛び上がる。
「俺は魔力なんて関係なしにシアと結婚するつもりだったんだが――」
「ひゃい!?」
確かに想いを確かめあったが、結婚となると別問題だと思っていた。
「魔力があれば後継者問題も解決ですわね!」
いつの間にか近くにいたフィオナが、嬉しそうに手を合わせた。
「そういうことだね。エリシア嬢の魔力を戻すことは私の提案だから、リクスを責めないでやってくれ」
言葉が出ないエリシアは、赤い顔で口をパクパクさせて二人を交互に見る。
「昨日邪魔したお詫びに、誰もここに入ってこないようにしとくから。じゃあね」
「ええ!?」
アーセルは手をひらひらさせると、微笑むフィオナを連れて庭園を去っていった。
「……魔力を戻さなければ、エリシアを自分のものにできたのではありませんか?」
先ほど出た扉から中に入ると、フィオナはアーセルにエスコートされたまま廊下を歩く。フィオナの問いに、アーセルは視線をまっすぐにしたまま答えた。
「……心までは手に入らないさ。私が欲しいと思ったのは、リクスを想う彼女なのだから。それに、私はリクスにも幸せになって欲しいんだ。それにはエリシア嬢がいないとだめだろう?」
自嘲気味に笑うアーセルに、フィオナも前を向いたまま告げる。
「殿下のことは、わたくしが幸せにしてさしあげますわ」
「ああ、今日君が伯爵と一緒に呼ばれたのって、そういう?」
フィオナの言葉に察したアーセルが立ち止まり、フィオナを覗き込む。
「はい。アーセル殿下との婚約を打診されましたわ」
まっすぐにアーセルを見るフィオナには迷いがない。
「そう……。君は本当にもうリクスのことは好きじゃないのか? 私と結婚していいの?」
心配するアーセルに、フィオナはふふっと笑った。
「政略結婚なんて覚悟していましたわ。それに、わたくしもリクス様とエリシアには幸せになってもらいたいですもの。……大事なお友達ですから」
「……気が合うね」
笑顔を取り戻したアーセルに、フィオナは笑みを深めた。
「そう。わたくしたち、意外と気が合うのですわ」
「意外とは余計だね」
「あら、申し訳ございません」
二人は並び合うと、再び歩き出した。




