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「二度も婚約破棄したなんて、もうどこにもお嫁にいけないわ! 皇太子殿下以上の嫁ぎ先なんてないもの!」
わっと泣き出したアメリアは、その場にうずくまってしまった。
「待て、どういうことだ」
アメリアに駆け寄り、彼女の肩を揺さぶるダリオンをアーセルが見下ろす。
「君たちの父親、フローレンス侯爵はノクーと繋がり黒魔術を我が国へ入れた。そして皇太子であるルシアン兄上を排し、ジークを皇太子に担ぎ上げて帝国を操ろうと画策していた反逆罪で投獄されている」
「そんな、まさか!」
狼狽えるダリオンに、アーセルは冷たい声色で容赦なく言い放つ。
「君たちも知らなかったじゃすまない。実際、その禍々しい道具を使い、エリシア嬢から魔力を搾取していたのだから」
「あっ!?」
アメリアを連れて来た騎士が、ダリオンの上着の内ポケットからネックレスを取り出した。それをアーセルに渡すと、再び後ろへと下がった。
「リクスの魔力が失われるよう仕向けたのも、お前たち一家だな。侯爵の死罪は免れないぞ」
「そ……んな」
がくりと床に手をついたダリオンの横でアメリアがエリシアを指さして叫んだ。
「だったら! エリシアもフローレンス家の者として一緒に罰を受けるわよね!?」
「シアは被害者だ」
リクスはアメリアをじろりと睨むと、エリシアの肩を抱いた。
「はあ? あなた、そんなに私に婚約破棄されたのが悔しかったの? そっちから申し込んできたのだものね」
アメリアはふふんと笑うと、立ち上がってリクスへと手を差し出した。
「いいわ。あなたと婚約してあげる。魔力を失った無能なエリシアなんて、侯爵夫人になれやしないもの。あ、愛人にでもしたら? 私が隠れ蓑になってあげるから」
名案だとばかりにアメリアがリクスに笑いかける。エリシアがぎゅっと目をつぶって下を向くと、肩に置かれていたリクスの手が震え、そこからは怒りが伝わってきた。
「俺はシアに婚約を申し入れたのであって、お前なんかに申し込んでいない。そもそも俺たちは婚約などしていない。婚約破棄だなんだと騒いでいたようだが、まったくのお門違いだ」
「は……?」
アメリアの顔が歪む。リクスの言葉にハテナが浮かんだのはエリシアも同じだ。リクスはエリシアに視線を向け微笑むと、すぐにアメリアに向き直った。
「忘れたのか? 二家の婚約は皇家が間に入っていたことを」
「それは二つの家を結びつけるためでしょ! だからこそ私でも承認された」
「違う」
声を荒げるアメリアに、リクスがぴしゃりと遮った。
「お前の父親が強引に進めたことだ。それを危惧していた前フローレンス侯爵、俺の父との約束に皇帝が誓約魔法をかけてくれていた」
「誓約魔法……?」
エリシアへ宛てられた遺言書にかけられていた魔法と一緒だ。
「フローレンス家との婚約はエリシア以外とは結ばないとの誓約だ。ルミナリエ侯爵がシアとの書類を勝手に書き換えて提出したようだが、誓約魔法のもと、法的には何の措置もされていない」
「な……」
リクスの説明に、アメリアは言葉を失ったようだ。頭が追い付かないエリシアに、リクスが視線を向ける。
「まさか、シアも俺が君の姉と婚約したと誤解を?」
「はい……てっきり」
エリシアの返事にリクスが大きな溜息をつく。
「何か企んでいるようだから様子を見ておけとお前が言うから、放置していた結果がこれだ」
リクスの溜息を向けられ、アーセルが苦笑する。
「エリシア嬢に断られてどうでもいいと放置していたのは、消沈していた君じゃないか」
そういえば、ルミナリエ側にはそう思われていたのだとエリシアは思い返す。
はた、とリクスと目が合う。
「俺はシア以外の女となんて、たとえ皇命でも婚約しないから!」
「うん……」
必死に訴えるリクスに、エリシアは頬を染める。
「あー、はいはい」
顔を赤らめて見つめ合う二人に、アーセルは半目で割って入った。
「そんな……じゃあお父様は何のためにあんな罪を……?」
がくりとアメリアが崩れ落ちる。黙って聞いていたダリオンがアメリアを受け止めた。
フローレンスはリクスが魔力を失ったことを理由に婚約破棄を申し入れた。そして、代わりに第三皇子との婚約を要求した。リクスの魔力を奪うことからそこまで計画したのは、フローレンス侯爵だろう。
しかし、リクスと婚約していなかったのなら、どうして皇帝陛下は第三皇子とアメリアの婚約を結んだのだろうか。そんな疑問が湧き、アーセルを見る。
「前フローレンス侯爵は息子の野心を心配していたそうだよ。だからこそ父上に、ルミナリエ侯爵を魔法省長官へと推薦した」
「おじいさまが……?」
「ああ。しかしフローレンスは大人しくなるどころか、きな臭い動きをし始めた。だからジークには囮になってもらったようだ。……私もやっと教えてもらえたんだ。君に酷い態度をとってすまなかったね」
「そんな……! 殿下には感謝しかしておりません!」
眉尻を下げたアーセルが謝罪してきたので、エリシアは慌てて制する。
「……おじいさまはフローレンス家を潰すおつもりだったのか」
ぽつりとつぶやいたダリオンにアーセルが冷ややかに言う。
「勘違いするな。潰したのは君たちだ。エリシア嬢を大切にして、ルミナリエと手を携え協力していこうとはせず、祭典を潰して二大侯爵の名に泥を塗るばかり。エリシア嬢だけが前侯爵の意志を継いで、国のことを思っているよ」
アーセルの言葉に、さすがに言い過ぎではと気後れする。すべてはリクスのために突き進んできたことだ。
「こんな平民出身の無能が……」
ぎりっと歯ぎしりしたダリオンがエリシアを睨む。
「立場は逆転だ。君たちが平民落ちして、エリシア嬢がフローレンスを継いで再興する」
「は?」
きっぱりと告げたアーセルに、ダリオンが固まった。隣で震えて聞いていたアメリアが、エリシアに飛びかかり、叫んだ。
「なによ! なんであんたばっかり!」
魔法を発動させようとしたところで、騎士に取り押さえられる。エリシアを庇おうと前に出ていたリクスが、床に押さえつけられたアメリアを見下ろして言った。
「シアはもうフローレンス家の当主だ。平民のお前が危害を加えてさらに罪を重ねるか?」
「私は認めない! 認めないわよおお!!」
叫んで暴れるアメリアの横で、固まっていたダリオンが弾けるようにアーセルへと縋った。
「殿下……! すべては父のしたこと! 知らなかったで済まないのは承知しております! しかし、エリシアがフローレンスを継ぐのならば、当主として準備してきたこの私が補佐として付くのが良いのではないでしょうか!」
「ちょっとお兄様、何を言っているの!?」
ころりと態度を変えたダリオンに、アメリアは騎士に押さえられたまま見上げて叫んだ。ダリオンはアメリアには目もくれず、エリシアのほうへ歩み寄って来た。警戒するリクスの背中に隠されたエリシアへと呼びかける。
「すまなかったエリシア。俺はお前を妹として愛していた。でも次期当主として父に従うしかなかったんだ。許してほしい。俺はアメリアとは違う。お前の後見人として面倒を見るつもりだったんだ」
「お兄様!?」
「――っ!」
差し出された手に身体が強張る。そんなのは嘘だ。叫ぶアメリアの声がどこか遠くに聞こえる。
(最初から、そんな風にしていてくれたら……)
これまでの所業を許すことなんてできない。エリシアは顔を逸らした。
「エリシア!?」
「シアにこれ以上近付くな!」
まだすり寄ろうとするダリオンを、リクスが怖い顔で睨んで牽制する。
「ダリオン、君には学園へ魔獣を呼び込んだ罪状もあがっている」
「……は?」
アーセルに顔を向けると、ダリオンはまた固まった。
「バカだな。痕跡が残らないとでも? 君は我が国の魔法省を甘くみすぎじゃないかい? それでよく魔法省長官になりたいと言ったものだ」
「そんな……」
ダリオンはがくりとその場に膝をついた。表情が抜け落ち、まるで魂が抜けたかのようだ。
(あの時の魔獣……だからわたしを狙っていたのね)
もしかしたらリクスを巻き込むために仕掛けたのかもしれない。まさかそこまでするなんて。自分勝手な人だとは思っていたが、まるで悪魔だ。エリシアは恐ろしくて震えた。
「連れて行け」
アーセルの命令で二人は連れて行かれた。抜け殻のダリオンは大人しく騎士に両脇を掴まれている。アメリアはいつまでもエリシアを睨んで、何か叫んでいた。その間ずっとリクスが手を握ってくれていたので、エリシアは落ち着きを取り戻すことができた。




