㉚
(本当にシアの愛の力が原因なのか?)
翌日、リクスは生徒会室で頭を抱えていた。
昨日のエリシアからのキスは、求婚の返事だと受け取ったからこそ受け入れた。だが、それで完全に魔力が戻るのはおかしい。
根源であるマナが枯れていたはずなのに、魔物に襲われたあの日、魔力を少しだけ取り戻したことを思い返す。あのときもエリシアが側にいた。一時的なものかと思えば、その少しの魔力は休めば回復したので、マナが復活したのだということはわかる。しかしルミナリエ専属の医者に見せても原因はわからずにいた。
(アーセルの魔法でも治せなかったのに、そんなことがあるのか?)
あのキスの後、エリシアは疲れたと言って寮に戻っていった。身体が弱い彼女をこれ以上引き留めてはと、リクスも見送った。
求婚を受け入れてもらえたのだから、急ぐことはない。また明日話せば良いと。
しかし、今朝校門の前で待っていても、エリシアは現れなかった。学園祭の後片付けで忙しくしていたが、実行委員のエリシアならば生徒会室にやって来ると思っていたが、エリシアはいっこうにやって来ない。
「イライラするくらいなら、教室を見てきたらどうだい?」
にやにやしたアーセルがリクスに声をかける。
昨日のキスは、ばっちりアーセルに見られていたらしく、さんざんからかわれた後だ。やられっぱなしは癪なので、エリシアとの婚約の手続きに関して協力させることにした。
リクスの魔力が戻ったことについても、皇族に報告しなければならないので、すぐに伝えている。
(何だか胸騒ぎがするな)
昔、エリシアとの婚約話は病弱を理由に断られた。前侯爵が進めていたにもかかわらずだ。
エリシアは、他の貴族の元に嫁がされると言っていた。そんなもの、魔法省長官を務めるルミナリエ侯爵の息子であるリクスになら簡単にひっくり返せる。だからこそ、求婚した。
エリシアもリクスをずっと想ってくれていた。最初の冷たい態度はやり直したいほど後悔しているが、エリシアの想いが変わることはなかった。まっすぐに好意を伝え続けてくれた彼女に、胸の奥が熱くなる。
思い出を作るなんて言わずに、ずっと側にいて欲しい。今度こそ自分の手を取って欲しい。
その想いを、エリシアも受け入れてくれたはずだ。それなのに落ち着かないのは、説明がつかないこの魔力のせいだろうか。
リクスは立ち上がると、にやにやするアーセルには目もくれず、一年生の教室へと走った。
「おい! 今日シアは?」
教室に着くと、まっすぐにフィオナの席へと向かった。共通の知り合いはフィオナしかいない。いきなりリクスが教室に入って来て、女生徒たちが黄色い声をあげた。
「エリシアですか? 今日は登校しておりませんが。寝込んでいるなら寮へお見舞いに行こうと思っていたところですわ」
フィオナは落ち着いた様子で答えた。
「来ていない……?」
また倒れているのだろうかと、リクスの脳裏にエリシアの姿が浮かぶ。
「すぐに様子を見に……一緒に来てくれ」
一人では女子寮に行けない。そう思い、フィオナを見たところで今度はアーセルが教室に飛び込んで来た。
「リクス!!」
珍しく取り乱した様子で、二人のところまでやって来た。
アーセルとリクスが一年の教室に揃い、キャーと歓声が上がる。それを横目にアーセルが声を落として言った。
「生徒会室へ場所を移そう。フィオナ嬢も」
「わたくしも?」
アーセルのただならぬ空気に、フィオナも不安な顔になった。リクスははやる気持ちを押さえ、二人と生徒会室に戻った。
「今日、エリシア嬢の退学届けが提出されていた」
生徒会室に入るなり、アーセルが机の上の書類を掲げた。
「え!?」
驚いたフィオナが書類に駆け寄る。それは正式なもので、学園長の受理印が押してあった。
「学園長はフローレンスに買収されていたからね。私が手を回して解任しておいて良かった。これは無効だ」
びりりと退学届けを破り捨てたアーセルに、フィオナはホッとした顔を見せた。どうせそんなことだろうとわかっていたリクスは落ち着いている。アーセルの話の続きを待った。
「本題はここからだ。父上と前フローレンス侯爵は仲が良くてね。これまでの事情を話したら、やっと秘密を教えてくれたよ」
「秘密?」
「エリシア嬢はリクスと同じ特殊能力持ちだ。何だと思う?」
「……まさか!?」
リクスはすぐに思い当たったが、事情を知らないフィオナは、もったいぶるアーセルに焦れた。
「何ですの?」
アーセルはフィオナに「ごめんね」と謝ると、すぐにリクスに向き直った。
「そうだよ。エリシア嬢は相手に魔力を渡す能力を持っている」
「そんな能力、知られたらいろんな方に狙われますわ!」
口を手で覆い、フィオナが青ざめる。アーセルは頷いて続けた。
「だからこそ、前侯爵はエリシア嬢を守ろうと、リクスとの婚約を推し進めていたそうだよ。しかしそれは亡くなったことにより、現侯爵に潰されてしまった」
「あいつは病弱だから断ったと――」
「エリシア嬢は現侯爵の婚外子だ」
アーセルの口から出た真実に、リクスもフィオナも言葉を失った。
魔力大国であるこの国は、貴族同士の婚姻で魔力を統制されている。もちろん愛人など許されない。エリシアは生まれてはいけない存在だったのだ。
「それでも前侯爵はエリシア嬢を引き取り育てたが、現侯爵は彼女を疎ましく思っていたようだ。だから病弱だと偽り、部屋の奥に閉じ込めた。幸い、彼女の特殊能力は知らなかったようだ」
「じゃあ何でシアはよく倒れていたんだ……? 本当に病弱に見えたぞ」
何度も倒れたエリシアには本当に肝が冷えた。エリシアを失いたくない気持ちがあったのだと、リクスは今さらながらに気づく。アーセルは声を少しだけひそめると、二人を見た。
「ここからは、密偵の報告。フローレンス家はノクーの貴族と繋がっている」
「なんだと!?」
それが本当なら、大事だ。
「まさか、あのペンダントがノクーに繋がっているなんて!」
驚くフィオナにリクスが首を傾げると、アーセルが説明をする。
「ああ、フィオナ嬢の家は商売上、そういった情報が入りやすいからね。フローレンスのきな臭い動きも探ってもらっていたんだ。そしたら何かを密輸している痕跡が見つかってね。それがフィオナ嬢の言うペンダントだ。あとは密偵がノクーにたどり着いたというわけ」
まさかの繋がりに驚いていると、アーセルがさらに驚くことを言った。
「どうやらそのペンダントには黒魔術がかけられていて、あの兄妹はエリシア嬢から魔力を吸い取っていたらしい」
「吸い取って……? そんなことができるのか?」
「それだけじゃない。リクス、どうやら君のマナが枯れたのも、ノクーの仕業らしい。もちろんフローレスも関わっている」
「あれは俺の魔力が暴走したせいではなかったのか?」
まだ事実を受け止めきれないリクスが、信じられないといった顔をすれば、アーセルは眉尻を下げて続けた。
「ごめん、リクスについてはまだ証拠が掴めていない。わかっているのはエリシア嬢のことだけだ。彼女、相当の魔力持ちらしい。たぶん悟られないように抑えていたんだろうね。少なく見せることで負荷がかかり、さらにそこから吸い取られるのだから身体に負担があっただろう」
「だから魔力のコントロールもままならなかったのか」
魔力を抑えながら操っていたのなら納得だ。それでも学園祭で見せた彼女の花魔法は素晴らしかった。
他人の魔力を操るリクスにさえ気づかせなかったのだから、相当な実力だろう。
「ここからは私の推測だ。エリシア嬢は学園に入れる切り札は持っていた。思い出作りは本当だとしても、真の目的はリクスに全ての魔力を渡すことだったんだろうね。魔力量を隠していた理由も、それなら説明がつく」
「そんな勝手な……」
リクスは握りしめた自身の手を見る。身体に流れる魔力は完全に復活している。これだけの魔力量を渡したとなれば、エリシアのマナが枯渇しているかもしれない。
(愛の力などと、俺はシアの言葉を真に受けて……シアの覚悟にも、苦しみにも気づけなかった)
「リクス、エリシア嬢の嫁ぎ先はノクーだ。今日退学届けが出されたということは、すぐにでも彼女はノクーへ送られるだろう」
アーセルの言葉に顔を上げると、リクスはたまらず走り出した。
勢いよく開け放たれた扉を見てアーセルはやれやれと溜息をついた。
「あいつ、説明がまだ途中なのに」
「まあまあ殿下、エリシアはリクス様に任せて、殿下は悪者退治といきましょう」
「フィオナ嬢、怒ってる?」
同じくリクスが開け放った扉を見つめながら、フィオナがアーセルの隣に並び立つ。その表情は笑っているが、怒りが見て取れた。
「ええ。わたくしの大切な親友をそんな目に遭わせてきたフローレンス家……許せませんわ。でも、一番はそのことに気づけなかったわたくしにですわ。あの子、いつも笑っていたから……」
そう言ったフィオナは今にも泣きだしそうな顔をしていた。アーセルは彼女の頭にぽんと手を置いて撫でた。
「よし、フィオナ嬢も一緒に悪者退治へと行こうか」
「……はい」
見上げてきたフィオナの表情が挑戦的な笑みに変わったのを見て、アーセルも笑みをこぼした。




