8話 さあ、ケツをだしてもらおう。
8話 さあ、ケツをだしてもらおう。
周囲の笑いが乾いて散る。
ヒッキエスはまぶたを閉じ、奥歯を噛んだ。
(知恵も理屈も通じない……ここは、人間の世界じゃない……頭のおかしい獣の檻……)
★
消毒液と湿ったコンクリートの匂いが、曲がり角ごとに濃くなる。
房の中は狭い。
ボルト留めのベッドと擦れたマット、小さな棚、壁の落書きだけ。
そんな狭い空間で、ベアとセンが二人きりになった。
ベアがアゴでベッドを示し笑う。
「お前は今日から俺のラブドールだ。さあ、ケツをだしてもらおう」
空気がねっとりと重くなる。
蛍光灯が低く唸り、金属の匂いが濃く張りつく。
センは壁にもたれ、首をわずかに傾けた。
「あんた……新人に対して、いつもこんなことやってんの?」
ベアは当然だと言わんばかりに笑って、
「それが、ここの流儀だ」
センは小さくため息をついた。
「なるほど……オーライ。だいたいわかった。ある程度は想像していたが……こりゃ、なかなかひどいね」
「ああ? なにをぶつぶつ……ん?」
そこで、ベアは気づいた。
自分自身に起きている異常。
「……な、なんだ、目が」
まばたきを繰り返す。
――目を開いているのに、光が入ってこない。
壁も床も、全部が闇になった。
「ど、どうなってやがる……見えねぇ……何も見えねぇ」
センは肩をすくめ、無邪気な顔で一歩だけ近づく。
「どうかしました? 目がなんです? ゴミでも入りました」
「おぉおい! てめぇ、何をしたぁああ!!」
「何もしちゃいませんよ」
ベアは、そこで、体勢を崩した。
目が見えない状態で動こうとしたせいで足がもつれたのだ。
ベッドの鉄枠にぶつかってガツンと音が鳴る。
左へよろけた拍子にマットがめくれた。
「ぐぅ……な、なんなんだ……なんで、急に……」
突然の視界不良にふらふらしているベアを見ながら、センは冷めた顔で、
(……五感障害の中でも、『盲目』は最強のハードルだ。経験すれば、社会的弱者の立場を一瞬で理解できる。ハンデを抱える痛みを知って自分の罪と向き合え――と言いたいが、こいつは反省なんてしないだろうな)
「なんだ、これぇえええ!! なんでだ、なんでだよぉおおおおおおおお!!」
声は房の鉄にあたって跳ねかえる。
ノドがかすれ、額から汗が落ちる。
「目ぇえ! 目ぇえええ!!」
叫びは廊下へ漏れた。
胸を裂くような声だった。
最も近くで待機していた刑務官が、思わず足を踏み出す。
――『センエースの問題に介入するな』
頭の中で上からの命令がこだまする。
それでも足は止まらなかった。




