5話 サン・クエンティンの空に。
5話 サン・クエンティンの空に。
「誰の邪魔をする気もない」
声は落ち着いているが、両手の震えは止まらない。
輪の外から、甲高い声が笑いを混ぜて降ってきた。
ラット。
この監獄内における情報屋。
細い肩、尖った顎、目だけが忙しい。
「穏便に……ね。ここでいちばん高くつく言葉だ」
そこで、肩幅の広い影が人垣を割った。
ベアは鋼鉄のような体を揺らして歩く。
この監獄のヌシの登場に、周囲の受刑者に、わずかな緊張が走る。
「誰の邪魔もする気はない? はっ……邪魔なんかさせねぇよ。誰にも、俺の邪魔をすることなんか出来ない」
ヒッキエスは息を整え、ビビりながらもグっと奥歯をかみしめた。
昔見た映画を思い出す。
知恵は地獄でも助けになると教えてくれた。
「お、おれは金融コンサルをしている。金に関して力になれることはある。税金関係でも……投資関係でも。……十分な知恵を貸すから、暴力はやめてくれないか」
輪の中の『いくつかの目』が揺れる。
ヒッキエスの提案に興味を示した者もいた。
あの映画を見たことがあるのはヒッキエスだけじゃない。
金に関する法律は複雑すぎて、ここにいる連中の頭では手にあまる。
『優れた金融知識を利用できるのであれば、それなりの待遇をしてやってもいい』。
……そう思う者も、それなりの数で存在する。
だが、ヌシはそうじゃなかった。
ベアの口角がわずかに吊り上がる。
「俺は、お前みたいなまっとうなホワイトカラーが大嫌いなんだよ。いつも俺を虫けらみたいに見下しやがって。俺の方が肉体強度は上。つまり、生き物としては間違いなく俺の方が格上なのに、シャバでは、金を稼ぐ能力ですべてが決まってしまう。不愉快極まりないぜ」
「……」
「その点だけでいえば、この場所はいい。肉体の強さだけで序列が決まる健全な世界」
「あ、あんたの方が、おれより序列が上なのは認める。迷惑はかけない。金に関する助力をするだけだ。だから、暴力はやめて――」
「お前から知恵を借りて、ちょいとばかし金を稼ぐより、感情に任せてお前を叩き潰す方が……よっぽど面白い」
拳が短く走り、
「がぁあああっ!!」
ヒッキエスの頬骨で乾いた音が跳ねた。
折れたかどうかは分からないが、殴られた箇所が燃えるように熱い。
遠い昔に観た映画の一場面が、また脳裏をかすめる。
ショーシャンクは役に立たない。
鉄火場における『知恵の安さ』を思い知る。
ここは、肉体だけが通貨になる異世界。
ヒッキエスは声を絞る。
「た……たすけて……」
輪の外側で数人が、ただ卑しく笑う。




