157373話 ありがとう。
157373話 ありがとう。
口ではふざけながらも、センはトコの腕を振り払わない。
抱きつかれたまま、少しだけ顎を引いて彼女の頭を見下ろした。
「センエース」
トコの声は小さく、しかしはっきりとセンの名を呼んだ。
「なんだ?」
「ありがとう」
「……」
センは短く息を吸い込んだ。
返すべき言葉はいくつも浮かんだが、どれも、口に出した瞬間に薄っぺらくなる気がして、喉の奥で押しつぶした。
代わりに、ほんの少しだけ腕を動かし、トコがしがみつきやすいよう体勢を整える。
トコは、その微かな変化に気づいているのかいないのか、ただ、黙ってセンの胸元に顔を埋めていた。
★
それから、紆余曲折あって。
世界の幕間がひしゃげるような、静かな終末の気配の中で、
――ラスト戦は始まった。
黒い靄が吹き上がる。
暴走した闇川の身体から噴き出したそれは、ただの魔力ではなく、怨念と憎悪と飢えが固まってできた塊のようだった。
肉体の輪郭はとうに崩れ、骨も筋肉も、全てが巨大な影の塊に飲み込まれていく。
いつもどおり、闇川がイカれて、強大な怪物になった。
地面に落ちるたび、黒い触手が石畳を溶かし、空気が悲鳴を上げるみたいに振動する。
センエースの『ラース』まで奪い取り、
ほぼ完全となった闇川。
闇色の渦の中心に、センのかつての力の残滓が、不快な光として明滅している。
そんな、『圧倒的な力を得て悦に浸っているパーフェクト闇川』を睨みながら、
センの隣に立つトコが、唇の端をわずかに吊り上げる。
恐怖よりも先に、苛立ちと闘志がにじむ笑みだった。
「さあ、ここからが本場や。セン……気合い入れぇよ」
軽く言い放ちながらも、トコの瞳は冷静に敵を測っていた。
わずかな体重移動で、いつでも動き出せるように重心を落とし、指先にまで神経を行き渡らせる。
「お前から聞いていたから、こうなることは理解していたが……しかし、すげぇな……今のあいつの存在値、ガチで1000京を超えているぜ。ここからさらに俺の力を完全に食ったら1200京まで上がるんだよな? やばぁ」
センは半ば呆れたように言いながら、視線だけで闇川――怪物となった男の輪郭をなぞる。
数値として理解してなお、現実味がない。
圧力が風のように肌を叩き、肺の中の空気の流れさえ乱されていく。
「いくらなんでも短時間でインフレしすぎ。末期のソシャゲが五度見するぜ」
などと言いつつ、センは、バキバキと両手の関節を鳴らす。
肩を回し、首を左右に倒し、戦闘前のいつもの準備を淡々とこなす。




