73656話 素敵っ! 抱いてっ!
73656話 素敵っ! 抱いてっ!
羽織をゲロで汚されたセンは、
「研ぎ澄まされた嫌がらせだな。……なんで、お前は、そんなにも俺に対する悪意を膨らませているんだ? 俺が何したってんだ? 俺なんて、世界中の経済に大打撃を与えただけだぞ」
と、乾いた溜息をつきながら言った。
怒っているのか呆れているのか、その境界線は曖昧だった。
センは、指先を軽く振る。
魔法が空気を震わせ、トコのゲロを処理していく。
汚れが羽織からふっと浮かび上がり、光の粒のように消えていった。
トコは、もはや、羞恥心すらなくしたように、
「……あんたさぁ……」
弱々しい声で、センの胸元あたりをぼんやりと見上げた。
「あん?」
「あたしのこと、抱ける?」
その言葉は、理性の端がちぎれたまま転がり出たような響きだった。
センは、
「……」
カゲロウのような一拍置いてから、即答した。
「オッサンが未成年を相手にすると捕まるから無理だな。お前が二十歳を超えていたら、ギリ、可能性がなくもなかったが」
冗談か本気か判別しづらい声音だったが、そこには明確な『大人としての線引き』があった。
こういう倫理観に関しては過剰なほど徹底している男。
それがセンエース。
「警察なんか怖くないやろ。世間の目も、常識も、倫理も……あんたの前では意味ないやろ」
トコは涙の跡を残したまま、掠れた声でにじり寄る。
肩は震え、呼吸は乱れ、まともな思考ができていないのが明らかだった。
「意味があるかないかと、無視すべきかどうかは別問題――」
「ええから抱けや!」
強い叫び。
雄々しく、凛々しく、その分だけ女々しく。
感情の暴走と、心の摩耗が混じり合った、危うい声。
センはしばらく無言で彼女を見つめ、何かを理解したように目線を落とした。
そしてニタリと最低な笑みを浮かべ、
「……どしたん? はなし聞こか? あー、それは彼氏が悪いわ」
とことん軽い口調で返した。
緊張を意図的にゆるめるような声音だった。
ヤリチン男の常套句を、あえて駆使するという、かなりの高等テク。
流石に爆笑不可避だろうと確信していたセンだが、
「そんなにあたしが嫌いか!!」
トコは叫び、バンバンと、センの胸を拳で殴りつける。
力は弱いが、衝動だけはむき出しで強固。
涙と嗚咽が残った喉を震わせ、拳が何度も打ち付けられる。
マジで完全に情緒がおかしくなっている彼女に、
センは、
「…………教えろ。どうした。とりあえず、何があったか言え。どうにかしてやる」
と低く言い、殴られた胸元を押さえもせず、ただ彼女の目を見る。
「…………うっさい、ぼけぇ……」




