第二十四話 信頼と忠誠
「どれをとっていいの?」
アデラインはしゃがみこむと、土の中に身を潜ませつつ、緑の葉を生い茂らせるそれらを睨みつける。
菜園の、根菜類の畑。
アデラインは髪の毛をお下げ髪に結い、ごく簡素なドレス――袖も丈も短くとても歩きやすい――を、身に付けていた。花帽は邪魔になるので、かわりに三角巾を頭に巻いている。
格好だけなら農家の跡取り娘だが、農業経験はまったくない。もちろん土に埋まる根菜の熟れ具合などわかるわけもない。実は先程、ネズミもかじりはすまいというほどひょろりとした根菜を、誤って引き抜いたばかりだ。
菜園主とその息子嫁が、アデラインの後ろで慌てている 。
「お嬢様私達がいたします。どれくらいの量をご所望ですか?」
「ありがとう。でもやりたいの。面倒だろうけど、どれが収穫していいものなのか教えてくれる?」
「私おしえてあげるー」
菜園主の幼い孫娘が、アデラインに寄り添うようにしゃがみこむ。
「まあ、どうもありがとう。貴方達も手伝ってくれる?」
アデラインは、背後で寄る辺なく佇むライルとデオを振り向き、声をかける。
「はあ…」
「…かしこまりました…」
返事はするものの、二人はどうにも動きが鈍い。
彼らは急ではあるが、今日づけで正式にアデラインの専従の護衛騎士に任命された。アデラインが指名したのだ。
騎士にとって、貴人の専従の騎士になるのは、大変な名誉だ。けれど二人は、何故か浮かない表情を見せている。
――…私の専従にはなりたくなかったのかも…。
一度いざこざがあったのだ。二人の中に、アデラインに対するわだかまりが残っていてもしかたないだろう。
しかも誇り高い騎士に畑仕事をさせる暴挙。 アデラインは手を止めた。
「あの…もし嫌なら…」
ミレーがすっと立ち上がる。
どうしたのだろうと、見上げるアデラインの前で、ミレーは大きく息をすいこみ、そして―――…。
「ありがたくもお嬢様の専従の騎士になったのです!さっさと動きなさい!」
「は、はい!」
「スイマセン! 」
ライルもデオも、弾かれたように動き始めた。
さすがミレーだ。
昨夜、アデラインはミレーに毒の件を尋ねた。
ミレーは大分前から知っていたらしいが、ルトヴィアスから口止めされていたようだ。アデラインが怯えないように、と。
『私がお嬢様の毒見をするのも、やめるようにと殿下は仰いました。私に何かあればお嬢様が悲しむからと…。毒見は自分がするからと』
いつだったか、ミレーが『私のような者にもお心遣いをしてくださって』と言っていたのを思い出す。あれはきっとこの事だったのだ。
ミレーは毒の混入した経路を特定しようと、オーリオと協力して女官や侍官を調べたりもしていたらしい。
「…あの!」
畑にかがみこんでいたライルが、思い切ったように立ち上がり、アデラインの前まで来た。
背筋を伸ばし、手を後ろに回し、少し緊張気味だ。
「お嬢様に一つ。質問をお許し頂けますか?」
「お、おい。ライル」
「どうぞ?」
アデラインも立ち上がった。
「今回専従に選んでくださったのはお嬢様みずからだと聞きました」
「ええ、引き受けてくれてありがとう。でも、もし嫌なら…」
「俺…私とデオは平民出身です。しかもお嬢様に対して無礼をはたらき謹慎処分にもなりました。………何故、私達なんですか?」
デオを見ると、彼もこちらを伺っている。どうやら、二人ともそれを気にして、浮かない顔をしていたらしい。
騎士団に入団するのは、本妻の子供ではなかったり、上に兄が何人もいて相続権が低いか、無いに等しい貴族の子息が多い。平民が入団するのは問題ないが、騎士号をとるには経済的な余裕が必要になるので、やはり騎士団においては平民出身者は少数派だ。特に出世となると、貴族出身者が有利になるのは否めない。
王族のー…まだアデラインは王族ではないが、王族に準じる貴人に平民出身者が指名されて、専従の騎士になるのは異例と言ってもいい。
ライルとデオが、自分達の出世を素直に喜べないのも仕方がないのかもしれないし、なら彼等が納得できるように説明するのは、アデラインの義務だろう。
「父にも同じこと聞かれたわ」
「何て答えたんですか?」
デオの問いかけに、アデラインは正直に答えた。
燭台の火が、じり、と揺れた。
宰相の執務室は、無駄な飾り物もなく、棚にはびっしりと本が詰めてある。それらはルードサクシードの歴史や法律など、あらゆる物事が書き記された貴重な書物で、アデラインの父、ファニアス・マルセリオはその内容すべてを記憶している。
室内にはアデラインと、父の二人だけだった。ルトヴィアスの容態も落ち着き、彼が自室の寝台に横になったので、アデラインは彼の部屋から辞した。そして、宰相の執務室を訪ねたのだ。専従の騎士が欲しい、と願い出るために。
宰相は火のない暖炉の前に椅子をおき、そこに座っていた。考え事をするとき、火があろうとなかろうと暖炉を眺めるのが、彼の決まりだ。それは自邸でも変わらない。
アデラインは、そんな父親の横に立っている。
「…騎士を選ぶのはかまわない。けれど、何故その二人を選ぶ?優秀な者は他にもいる」
ライルとデオの名前を出したアデラインに、宰相は難色を示した。彼等が、つい先日アデラインに対する無礼で謹慎処分になったのを、宰相は勿論覚えていたのだ。
実は宰相からは専従の騎士を選ぶようにと、前々から言われていた。選べないなら、宰相が見繕うとも。
けれど、アデラインは、公務以外の外出は滅多になかったので、必要ないと先延ばしにしていた。 アデラインの護衛は、基本的にマルセリオ家の私兵が行っていて、公務の際にのみ、王宮から騎士が派遣されている。結婚して王太子妃になれば、嫌でも一日中、騎士に護衛される。それから自分専従の騎士を選んでも遅くはないだろう、とアデラインは思っていた。
けれど、今、アデラインは騎士が欲しい。自由に動くために。
アデラインは、小さく深呼吸をした。厳しい父親の前では、いつも少しだけ勇気が必要なのだ。
「私、あの者たちからうけたような仕打ちを、誰からもうけたことがありませんでした。誰もが実際にどう思っていたとしても、私がマルセリオの娘だというだけで頭を下げてくれるので。 彼ら二人が私に見せたのは、それが善きにしろ悪きにしろ、私が普段見ることができない裏側の顔です」
一度、アデラインは言葉を切った。頭の中を整理して、言葉を組み立てる。苦手な作業だが、最近ではあまり苦ではない。
――…殿下が…。
ルトヴィアスが、アデラインを待ってくれるからだ。
再会当初こそ、アデラインを焦らせる筆頭だったルトヴィアスだが、今ではアデラインが言葉を探すのを、忍耐強く待ってくれる。焦るな、と。そのおかげで、アデラインは焦らずにすみ、結果として、言いたい言葉を早く見つけられる。
そうなると不思議なことに、ルトヴィアス以外の人が相手でも、言葉を探すあまり無口になってしまうことが少なくなった。
「私、信頼できる者が必要なんです。知らない人を信じることはできません。裏も表も見た彼らなら、少なくとも上辺だけ親切な他の騎士より、私は彼らの人となりを知っていると言えます」
それが、ライルとデオを専従の騎士に選んだ理由だ。
宰相は娘の目を見て言った。
「あの二人がお前を逆恨みしていたらどうする。お前に害を与えようと考えていたら?」
「実行しないのならかまいません。彼らが女神と王家に忠誠を捧げている限り私個人をどう思おうと丁重に扱ってくれるはずです」
「それは心からの忠誠とは言えん」
「私は遠からず王家の人間になります。その権限で彼らに国に命を捧げるように命じることはあるでしょう。でも私に心を捧げよ、と言うには私はあまりに未熟です」
娘の淀みない口調に、しばらく考え込んだ宰相は、けれど遂に言った。『…好きにしなさい』と。
明るい太陽の下、アデラインはライルと、そしてデオに微笑んだ。
「勿論二人が心から忠誠を誓ってくれればうれしいけれど、そんな贅沢は言わないわ。あなた方の心はあなた方のものです。王家のものでも女神様のものでもなく、自由であるべきだと私は思うの。私はあなた方が私の信頼に応えて、その手足を貸してくれればそれで十分」
アデラインの長い話は、そうしてようやく終わった。けれどライルとデオの二人は、疑問が解消されてすっきり、という表情ではなかった。むしろ、もっと困惑しているような…。
ぼそ、とデオが口を動かした。
「…お嬢様は…何というか…」
「…率直に申し上げて、我々はお嬢様を世間知らずの貴族のご令嬢と思っておりました」
仏頂面のまま言うライルに、デオがギョッとして騒ぐ。
「率直すぎだろお前!」
くすりと笑って、アデラインは頷いた。
「違わないわ。父には人がもっているのが表裏二面だけだと思っているあたりが甘いとお叱りを受けたし、世の中のことで私が知っていることより、知らないことの方が遥かに多い。…でも殿下のおかげで今まで見えなかったものが、少しだけ見えた気がするの」
ずっと俯いていたアデライン。
辛いことからも苦しいことからも、目を背けていた。
けれどルトヴィアスが、顔を上げさせてくれた。
「…だから、私…殿下にこの国を知って頂きたいの」
ライルとデオ、そして静かに話をきいていたミレーが、互いに顔を見合わせる。
彼らには知っておいて欲しい、とアデラインは思った。この先、アデラインをずっと支えていってくれるだろう彼らだから。
アデラインはしゃがみこんだ。
風が吹き、畑の緑が一斉にそよぐ。
「例えばこの野菜。10年前、前国王陛下が徹底抗戦していたら、農夫も戦争に駆り出されていたかもしれない」
農夫がいなければ田畑は荒廃する。その復興にどれほどの時間がかかるのか、アデラインには想像もつかない。
「そしたらこんな立派な菜園、きっとここにはなかったでしょうね」
走り回る子供たちも、生まれてはいなかっただろう。
戦馬に踏み荒らされた道は、石畳を立派に組み直した。秋の収穫は、僅かながらではあるが年々増加しているし、戦後、物資不足から取り止められていた女神の降臨祭も、今では毎年人々を楽しませている。
ルトヴィアスに、この景色を見せてやりたい。
貴方が、この緑にあふれかえる畑を守ったのだと。
この国は、貴方が王宮で目にしているような、醜いものばかりではないのだと。
遠くに見える王宮の大塔を、アデラインは眺めた。彼は今も、猫をかぶりながら、けれど必死に目を見据えているだろう。辛いこと、苦しいこと、それらから逃げることなく。
「…お嬢様。それは収穫には早すぎます」
唐突にライルに呼ばれ、アデラインは振り向く。
「え?」
「後ろにちょうどいいのがありますよ!」
デオが明るく言って、アデラインの背後の緑色の葉を引き抜いた。泥に汚れた蕪は、けれど大きく、瑞々しく、調度食べ頃を迎えていた。




