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第十七話 王子の反省   

「…はあ…」

ルトヴィアスは重い溜め息をついた

夜風が、ルトヴィアスの髪を弄ぶ。

離宮の広い囲い庭は人工の溜め池があり、小さな白い彫像がその手に持つ水瓶から池へ水を注いでいる。ルトヴィアスは露台の手摺に、高い背を屈めて頬杖をついていた。

もうすぐ夕食の時間だ。

アデラインの部屋に行かなければならない。そのことに、ルトヴィアスは二の足を踏んでいる。

――…どう、謝ればいい。

昨夜のことを、ルトヴィアスはアデラインに謝りたかった。

新しいドレスは必要ないと意地になるアデラインに、ルトヴィアスは更に意地になって、結局泣かせた。

挙げ句に、あの最悪な夕食会。

まさか大公が、酔った上とはいえ宰相令嬢であり、未来の王妃であるアデラインを笑い者にするとは。

――…夕食会なんて、来させなければよかった。

気分が悪いとか、適当な理由をつけてアデラインを夕食会に欠席させることも出来たはずだ。

大公に酒を飲ませなければ…。

それ以前の問題として、ルトヴィアスさえ屋敷の主人の話をよく聞いていれば…。

いや、キッパリと夕食会を断っていれば…。

しかも今朝、アデラインに謝罪するつもりが結局またアデラインに、ついキツい態度で接してしまった。目を閉じればアデラインの何か言いたそうな表情が瞼にうかぶ。

「…あぁ、くそ…」

悪態をついて、ルトヴィアスは手摺を叩く。

どうして自分はこうなのだろう。

自らの短気が恨めしくて、ルトヴィアスは天を仰ぐ。

何故アデラインの言葉を待ってやれない。手に杭でもうちつけてあの場に留まればよかったのだ。

昨日の昼間も、そもそもアデラインがルトヴィアスに言い返してくる時点で、アデラインは普段のアデラインではなかったのだ。

それに気づかず、ルトヴィアスは自分の要求と考えをおしつけてしまった。

何があったのか、何故泣いていたのか、せめてそれだけでも根気よく聞き出しておけば…。

ルトヴィアスは片手に握った菫色の花帽を見やる。

いくらなんでも、お気に入りの花帽をなくしたから、顔が腫れるまで泣いたわけはないだろう。

そう推測だけは出来るものの、彼女の身に何が起こって、そして泣いていたのか、ルトヴィアスにはさっぱり分からない。

とりあえず、花帽を探した。

情けないことにルトヴィアスに出来ることと言えばそれくらいだったからだ。

昨夜の夕食会の前後に厩舎周辺を探し回ったが結局見つからず、今朝、出立前にもう一度探していた時に、下働きの子供達が花帽をかぶって遊んでいるのを見かけ、頼み込んで返してもらった。

アデラインが泣いていた理由をルトヴィアスが聞いたのは昼過ぎだ。

宰相に頼んで、昨日アデラインを部屋に送っていった騎士を呼び出し、尋ねた。

騎士はどうやらアデラインから口止めされていたらしく、事を言い渋ったが、ルトヴィアスの権力と飼い猫の微笑みの前に遂に口を割った。


『ハーデヴィヒ嬢が…アデラインお嬢様と同じ色のドレスを着ていたのです。…おそらくわざと…』


怒りに震える手を、ルトヴィアスは外套の影に隠した。

ドレスの色をかぶせるなど、なんということをするのだ。

アデラインだけではなく、王家を侮辱する行為だ。もし前王の時代にそんなことを公の場所ですれば、本人は死罪。一族縁者も無事では済まされない。

厳罰をあたえなくては、王家の面目が潰れる。いや、何よりルトヴィアスの気が済まない。

――…だが…。

アデラインはきっとそれを望まない。ハーデヴィヒへ罰を与えることを望むようなら昨日のうちにルトヴィアスに事の詳細を話すはずだ。

けれどアデラインは言わなかった。

ルトヴィアスの力や宰相の力をかりることは、彼女の本意ではないのだ。

宰相が言っていたとおり、確かにアデラインは矜持が高いらしい。

ルトヴィアスは、無駄に高い矜持で周囲を振り回す名家の令嬢を、多く知っている。彼女達の傲慢さをルトヴィアスは蔑んできたが、けれど不思議とアデラインの矜持の高さは不快ではない。

ただ、はっきり言って面倒くさい。

父親とルトヴィアスの権力を笠に着て、好き勝手してくれる方が、扱い方がわかりやすくてこちらとしては助かるくらいだ。

けれど、本当にアデラインがそういった娘であったなら、おそらく自分はこれほどアデラインを気にすることもなかっただろうと、ルトヴィアスは思った。

ルトヴィアスがハーデヴィヒを厳罰に処すことは、出来ない。

それはアデラインの矜持を傷つける。

――…かといってこのまま黙っているつもりはない。

あのハーデヴィヒの父親。領地からの上申書が異常に多いことからも、叩けば何か出てくるはずだ。アデラインのことを抜きにしても、遠からず何かしらの処分を言い渡すことになるだろう。

アデラインの花帽からは、微かに甘い香りがした。アデラインが髪につけている香油の匂いかもしれない。

これを返して、そして謝ろう。先日アデラインの悩みを笑ってしまったことも。

早くしないと、アデラインへの要謝罪案件がどんどん増えていく気がする。

けれど謝ったところで、もう遅いかもしれない。アデラインはルトヴィアスと同じ馬車に乗ることさえ拒絶した。きっとルトヴィアスの顔も見たくないからだろう。

――…同類だと、思っただろうな。

きらびやかな装いで上辺だけ優しい顔をした、醜悪で、おぞましい人種。あの夕食会の場でアデラインを侮辱し、傷付けた者達と、ルトヴィアスは同じことを言った。

王太子妃に相応しい装いを、と。

「…ちがう。俺はただ…」

つい、虚空に向かってアデラインへの言い訳じみた言葉が口をついた。

――…ただ、いい機会だと思ったんだ。

アデラインが、年頃の娘らしからぬ色やデザインのドレスばかり着るのは、自らを卑下しているからだろうと、何となくルトヴィアスには察しがついていた。

だからこれを機会に、好きなドレスを着ればいいと、そう思ったのだ。確かに王族として、アデラインにそれなりの装いを求めたかった本音もある。臣下に侮られるようでは困るからだ。

けれどアデラインを傷つけたかったわけではない。嘲笑っていたわけではない。大公やハーデヴィヒ達とは違う。

でもアデラインにすれば、きっと同じように聞こえたはずだ。そう思われても仕方ない。現に、大公に反論したルトヴィアスを、アデラインは驚いた目で見ていた。

アデラインにしてみれば、ルトヴィアスと大公が仲間割れでもしたかのように見えただろう。

容姿なんて張りぼてだ。

それにこだわって、自らの行動を制限するなんて馬鹿げている。けれどその考えを押し付けて、無理矢理行動を促すのも如何なものだろう。

『たかだか容姿に何をこだわってるんだ、お前は』

アデラインに言った言葉が、そのまま自分に返ってくる。

こだわっていたのは、ルトヴィアスのほうではなかったか。

「…だいたい…何で俺はおちこんでるんだ…」

アデラインにどう思われようが構わないはすだ。

所詮は政略結婚。好かれようが嫌われようが、結婚は決定事項だ。

けれど、胸のあたりがモヤモヤする。何故かアデラインのことばかり考えてしまう。

「殿下?そこにいらっしゃるんですか?」

背後からかけられた突然の声に、ルトヴィアスはぎょっとして振り返った。

すでに辺りは暗く、室内が明るいため、逆光でその人影が誰であるのか、ルトヴィアスは一瞬わからなかった。

いや、声で誰であるかは分かったのだが、振り返って見たその姿が、ルトヴィアスの知るその人物の姿とかけ離れていたために、認識が遅れてしまった。

「…アデライン?」

「はい。あの、すいません勝手に入って…」

アデラインはおずおずとルトヴィアスに近付いてきた。

「一応侍官が取り次いでくれたんですが、お返事がなくて…」

露台まで侍官の声が届かなかったのか、それともルトヴィアスがまたしても聞き逃したのか。どちらなのかは分からないが、今のルトヴィアスには、そんなことはどうでもいい。

「…お前、どうしたんだ。それ」

アデラインが着る白に近い、薄くくすみがかった桃色のドレスは、裾に向かってにわかに色が濃くなっている。二連の長めの真珠の首飾りが、肩にかけて広くあいた胸元に揺れていた。何より驚いたのは、真珠が縫い付けられた花帽から、流れるように伸びる栗色の髪。

頭の後ろで三つ編みにしている髪型しか見たことがなかったので、その髪がこれほど長く、艶めいていることをルトヴィアスは初めて知った。

アデラインは自らを見下ろしながら、やや戸惑うように答えた。

「昼間に街で……何だか結局地味になってしまいましたが…」

「…」

確かに地味ではある。色は大人しいし、刺繍も控えめだ。今まで首もとまできっちりと釦で留めていた胸元がいくらか開放的にはなったが、アデラインのドレスは長めの袖丈と広めの袖口で、流行には反している。おまけに裾が、引きずるほど長い。なのに軽やかに見えるのは何故だろう。

――……ああ、歩き方か…。

普通なら重苦しく感じられる長い袖と裾が、逆にアデラインの洗練された所作を引き立てて優雅に見せているのだ。

貴族の令嬢としてはかなり地味な装いだが、おそらくこのまま舞踏会に出ても周囲に見劣りはしないだろう。

むしろ注目を集めるかもしれない。『上品』とは、きっとこういった様相のことを言うのだ。

「あの…殿下。お話があって…」

アデラインが顔を上げる。肩から髪がサラサラと流れた。

夜色の目が、まっすぐにルトヴィアスを捉えている。

数日前、騎士の減刑を訴えた時を除けば、アデラインがこれほど躊躇いなくルトヴィアスを見つめるのは初めてだ。

「私、自分の容姿が嫌いでした。美しければ、きっと何もかもがうまくいったのにって、いつも思っていました。殿下が仰られたように…こだわってたんです」

「それは…」

ルトヴィアスは思わず口を挟んだ。

「…それは…俺の失言だ。お前に俺の考えを押し付けた。…悪かった」

ようやく一つ謝れたことに、ルトヴィアスは安堵した。

けれど、まだまだ謝らなければいけないことは沢山ある。

ルトヴィアスの謝罪に、アデラインは目を丸くした。

「そんなっ殿下が謝ることなんて何もありません!だって私…やっと気づけたんです。あの…えっと…何て言ったらいいか…」

アデラインが、言葉を探してか焦っている。

そこでルトヴィアスは、今更ながら、あることに気づいた。

おそらくアデラインは人との会話が得意ではない。自分の気持ちを表現する言葉を探すあまり、相手との会話の展開に追い付けない人種だ。そんなアデラインが、性急な性格のルトヴィアスを待たせまいと、必死になっている。

「…焦るな」

アデラインに言っているようで、その実、ルトヴィアスは自分に向けて言い聞かせていた。

「焦らないでいい。…待つ」

「…はい」

緊張でか強張っていたアデラインの頬から力が抜けて、小さな、けれど自然な微笑みが浮かぶ。

ルトヴィアスは眩しいものを見るように目を細めて、その表情に見いった。

――……笑った…。

どうすれば笑うかと、シヴァに乗せれば笑うだろうかと、思案したのは昨日のことだ。

難しい策など必要ない。アデラインの歩調に合わせるだけで、彼女は微笑んでくれたではないか。

こんな簡単なことが、何故今まで出来なかったのだろう。

落ち着いたアデラインは、ゆっくり、言葉を探しながら、また話し始めた。

「私、容姿を…言い訳にしてたって気づいたんです。言い訳にして逃げてた。でももう、やめます。逃げるのも、羨むのも…自分で自分を貶めるのも」

アデラインの表情が、まるで何かが削げ落ちたかのように、真剣なものに変わる。

「私、貴方の妃になります」

アデラインの唐突な宣言に、ルトヴィアスは目を瞬かせた。わざわざ言われなくても知っている。けれど彼女が、単なる事実を告げているわけではないと、その目を見ればわかった。

迷いも、怯えた様子もない、落ち着いた瞳。

昨日までの、逃げ道を探してさ迷い、でなければ何も見ないように俯いていたアデラインとは大違いだ。

「顔を言い訳には、もうしません。確かに私は美しくないけれど…それを補ってみせます。政治も経済も勉強しなおします。公務も、社交も…ド、ドレス選びも…努力します。私が隣に立つことで、二度と貴方に恥はかかせない」

胸の前で固く組んだ両手が、アデラインの決意の固さをあらわすように白くなっている。

「殿下が、この国が、誇れるような立派な妃になります。そしたらきっと、私…自分がそんなに嫌いじゃなくなるから」

「……」

アデラインの強い言葉に、ルトヴィアスはどう返せばいいのかわからない。

――…変な女…。

昨夜の最悪な侮辱劇のどこをどう拾えば、この前向きな決断に繋がるのだろうか。

更に萎縮し、逃げ出したくなるのが普通な気がする。怒りを原動力にしたのならまだわかる。けれどアデラインの原動力は、怒りではないらしい。

――…矜持が、高い…。

そうだ。アデラインは、矜持を原動力に行動している。

けれど自らが侮辱され、貶められたところで、彼女の矜持は奮い立ちはしない。

彼女が奮い立つのは、自分の為に他人が傷つく時だ。アデラインは、それを許さない。己の矜持にかけて、断固阻止しようとする。

今回のことにしろ、自分の為と言いながら、彼女は本当に自分一人の為なら、きっと泣いて終わらせただろう。

けれどアデラインは決断した。ルトヴィアスの妃になることを。

その決断がルトヴィアスの為であると考えるのは、あまりにおこがましいかもしれないが、なんにしろ、彼女は押し付けられた義務を、自らの手で受け取った。

「…変な女…」

意識せず、心の内が声にこぼれた。

「え!?変ですか?やっぱり変です?」

途端に、アデラインはあたふたとドレスや髪を触って確認し始めた。

「…ふ」

「…殿下?」

「は、はは。あははははは」

笑いが止まらない。

「あははははははは」

「…笑った…」

手摺に寄り掛かって大笑いするルトヴィアスを、アデラインが呆然と見ている。けれどルトヴィアスはかまわずに笑い続けた。

こんな風に笑うのはいつぶりだろう。少なくとも3年、ルトヴィアスは本気で笑うことを忘れていた。実を言えば、もう二度と本気で笑うことはないと、ずっと思っていたのに。

「変なやつ!」

ルトヴィアスは楽しくて、もう一度声にだした。

「…そんなに?」

少し傷ついた顔で、アデラインがまた自分を見下ろした。そんなアデラインが可哀想で、ルトヴィアスは止まらない笑いの中から必死に否定してやった。

「そうじゃ、はは、ない。ドレスのことじゃない。くく…」

「え?」

「ふっ…あはは」

駄目だ。アデラインの困り顔がまた面白い。

悪くないかもしれない、そうルトヴィアスは思った。

政略結婚だからと、何の期待もしていなかった。早々に側室をとるべきかとも考えた。

けれどアデラインとなら、それなりに夫婦としてやっていける気がする。

少なくとも妻に寝首を掻かれる心配はいらないだろうし、アデラインのこの困り顔を見れば、大抵の事は笑い飛ばせる気がした。

ルトヴィアスの手元に、アデラインが、ふと気づいた。

「…殿下、それ…」

アデラインの目線で、ルトヴィアスは彼女の花帽の存在を思い出した。

笑いを噛み殺しながら、ルトヴィアスはそれを差し出す。

「もうなくすなよ」

アデラインは嬉しそうに口許を緩めて、花帽を受け取った。

「…はい。ありがとうございます」

「……」

春の霞みがかった夜明けのようなドレスは、アデラインなりの決意表明なのだろう。

白い肩に流れる艶めく髪に、触りたいという欲求に、ルトヴィアスは素直に従った。

瞬間的に、アデラインが身を強張らせる。

女性の髪は血が繋がった家族でも、そうそう触らない。触るのが許されるのは夫か、婚約者か、または女性本人が心を許した恋人だけだ。

みるみる紅潮していくアデラインの顔がまた面白くて、込み上げてくる笑いを、ルトヴィアスは必死に堪える。妙齢の婦人の顔が面白いからと笑っては、さすがに申し訳ない。しかも、アデラインは顔に劣等感を抱えている。余計に傷付けるようなことはしたくない。

栗色の髪は、しっとりと潤っていて、不思議とルトヴィアスの指に馴染んできた。

「…こんなに長かったんだな」

「…は、は、はい」

あんまりにも緊張するアデラインが憐れで、ルトヴィアスは仕方なく髪から手を離してやった。アデラインの肩が、あからさまに安堵で下がる。

「…いいんじゃないか?」

「…え?」

何が、と首を傾げるアデラインに、ルトヴィアスは顎で示す。

「ドレス」

「…あ…」

アデラインが照れながらも、嬉しそうに頬を緩めた。

「ありがとうございます」

その顔を見ながら、自分の目元と口許も優しく綻んでいることに、ルトヴィアスは気付いていなかった。



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