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第十六話 新しいドレス

「…もうダメ」

埋もれる程のドレスの箱に囲まれて、アデラインは根を上げた。

目的の仕立て屋に到着し店の奥の部屋に通されたアデラインは、店の主人が出してきたドレスに早速目を通し始めた。アデラインは身分を隠し、ただの貴族の令嬢として店を訪れている。しかし店の主人はアデラインを上客とみたらしい。ドレスが入った箱に加えて、手袋にハンカチ、色紐、更に様々な色や柄の生地をまさに積むほど持ち込んできたのだ。

『これはいかがですか?』『これなどよくお似合いになると思います』と、次から次へと勧められて、目が回りそうだったアデラインは、ゆっくり見せて欲しいと主人に退席してもらい、今、深く溜め息をついたところだ。

正直、何から見てよいのかさっぱりわからない。

流行の縦縞模様のドレスだけで十着ちかくある。

静かに控えていたライルが、ボソリと呟いた。

「ご婦人はこういうのが好きなのではないのですか?」

椅子に深く沈み込むアデラインに怪訝な顔を向ける。あの廊下で、最初にアデラインに声をかけてきた方の騎士だ。

ミレーはデオをつれて席をはずしている。

「えっと、ライル?あなた恋人がいるの?」

「いませんが…姉が2人と従姉妹がいます。非番の日はドレス屋にも仕立て屋にもつきあわされますが…」

「お姉様達は楽しんでらっしゃるのね?」

「少なくとも今のお嬢様よりは」

ライルの返答に、アデラインはまた深い溜め息を吐いた。

顔だけではなく、自分は女として何か欠陥があるのではないだろうか。ライルの言うとおり、女ならこの状況を喜びこそすれ苦しみはしないだろう。

手元にある紺の縦縞模様のドレスを手に取る。肩にレースが沢山ついて、胸元にも派手な飾り布や、ビーズが沢山縫い込まれていた。アデラインの好みではない。けれど今までが今までだ。自分の好みに従っては何も変われないのではないか。

「…適当に選ばれては?」

ライルの投げやりな言葉に、アデラインは思わず吹き出した。

「ダメよ。適当な鎧を選んでは戦場で怪我をしてしまうもの」

「はい?」

ライルが盛大に顔をしかめる。彼にはアデラインの言葉の意味がわからないらしい。

――…適当ではダメ。

苦手なことにも向き合う、その意思を示すためにドレスを新調するのだ。

今までのような地味なだけのドレスでも、安易に流行りのものを選んでもいけない気がする。どれならアデラインに似合うだろう。どのドレスなら、アデラインの想いがルトヴィアスに伝わるだろう。

気分転換をしたくて、アデラインはライルに話しかけた。

「ライルはどれがいいと思う?恋人に選ぶならどれ?」

「…ですから恋人はいません」

憮然とするライルが、アデラインはおかしかった。薄々勘づいてはいたが、彼はどうやらかなりの堅物のようだ。

「もしもよ」

「…」

ライルはあたりに視線をうろつかせて、かなり困っている。

真面目に悩んでいるらしい彼を見て、悪いことをしたようだとアデラインは気付いた。

「ライル。ごめ…」

アデラインが謝ろうとすると、ちょうどミレーとその後ろからデオが、部屋に入って来た。デオは両手に何冊も重そうな本を抱えている。

「お嬢様、見本もかりてまいりましたわ。この中に載っているドレスならすぐ倉庫から出してこれるそうです」

「…ありがとうミレー」

礼を言ったものの、アデラインは正直辟易していた。今でさえ混乱している頭は、選択肢が増えればきっと完全に使い物にならなくなる。

「お前はどれがいいと思う?」

唐突に、ライルが同僚に尋ねた。

「はあ?」

「恋人に選ぶなら」

「…どうしたんだ?お前」

「お嬢様にきかれた」

途端にデオが顔をひきつらせ、おそるおそるアデラインを窺ってきた。

「…あの…ライルごめんなさい。そんなに真面目に考えてくれるとは思わなくて」

「こいつは」

ライルはデオを指差した。

「諸事情で女性の友人が多いんです。ドレスとか小物とか、しょっちゅう選んでますよ」

デオは顔を真っ青にして口をパクパクさせている。ミレーがジロリとデオを睨んだ。

「お嬢様にしたことと言い…あなた…」

「誤解ですっ!確かに女の子に弱いけど…それを見抜かれて酒場の女の子にたかられてるだけです!」

諸事情を自分でぶちまけたことに気付き、デオは本を持ったまま壁に頭を預ける。

「ああ…何で自分で言っちゃうかな俺…」

「まったく…騎士の風上にもおけないわね」

ミレーは横目でデオを睨んで、ジリジリ離れた。それらのやりとりが楽しくて、ついアデラインは笑ってしまう。

「ミレーったら、デオがかわいそうよ」

「いいんです。お嬢様もこういう男には近づいていけませんよ」

「そんなこと言わないで。ねぇデオ。私にはどれが似合うと思う?」

壁際でいじけていたデオが、キョトンとした。

「身分とか流行とか難しいことを考えないで…私を酒場の子だと思って選んで」

「お嬢様!」

「いいから」

ミレーを制して、アデラインはデオを促した。

「デオ、お願い」

アデラインが微笑むと、デオは躊躇いながらも本を机においた。

「…あの…では…」

軽く頭を下げて、デオはドレスに目を落とす。部屋中に広がるドレスや布を見ながら、時々アデラインと見比べ、やがてデオは一枚の布を手に取った。

「こういう色がいいと思います」

「…」

デオが選んだ布は素色だった。アデラインがいつも選ぶドレスの色と大して変わらない。

「…私は、やっぱり地味な色が似合う?」

「そうですね。赤とかピンクとか派手なのはお嬢様には似合いません」

きっぱりとデオは言いきった。ミレーが慌ててデオの服を引っ張る。

「ちょっと…」

「髪が栗色ですから赤なんて着たらもったいないです」

やや落ち込みかけたアデラインは、続くデオの言葉に目を瞬かせた。

「もったいない…?」

「今日の紺のドレスも、正直もう少し薄い色の方がいいです。濃い色を着るなら…これとか」

近くにあった濃茶の見本布をデオは引っ張ってきた。

「こういうのでガッツリ肩を魅せるとか雰囲気でると思いますよ。でもやっぱり素色とかがいいと思います。髪が映えるし…ああでも夜会とかには確かに…なら布地に濃淡をつけるとか柄をいれるとか」

そこまで言ってから、デオははっと我にかえったようだった。

「すいません!ご無礼をお許し下さい!」

慌てて跪く。

「私ごときが僭越にも…っ」

「いいの!いいの、デオ。ありがとう」

アデラインは素色の布を引き寄せた。目立たないようにと選んでいた色が、実は自分に一番似合う色なのかもしれないと考えると、アデラインの中の何かの殻が剥げた気がした。

「…柄なら…何がいいかしら?」

デオになお尋ねると、彼はおずおずと顔を上げた。

「…あの…ご無礼になりますが…」

「いいの。言って」

「大柄は…多分負けます」

アデラインは頷く。アデラインの地味な顔では、縦縞や花柄などの大柄に埋もれてしまう。

「そうね。水玉なんかは?」

「いいと思います…でもあまりハッキリした色のは…」

それも顔が負ける。

今まで着飾っても痛々しいだけだったのは、地味顔なのに無理にゴチャゴチャと飾りたてたせいかもしれない。ならシンプルに、無理なく、アデラインに似合うものを。 アデラインの頭の中で色と模様が渦巻く。

「…何だか少しわかった気がする…」

アデラインは椅子から立ち上がると、跪くデオの手をとるため屈んだ。

「ありがとうデオ!すごく参考になったわ!」

「え?は、はい」

勢いよく振り向き、ライルの手も握る。

「ライルも!今日は本当にありがとう!」

「は…はあ」

ライルはやや引き気味だったが、アデラインはまったく気づかない。

「さあ!時間がないわ!早く選んでしまいましょう!」

「お、お嬢様!殿方の手をとられるなど…」

「デオ!カタログをかして!」

ミレーの諫める声も耳には入らず、アデラインは猛然とカタログをめくり始めた。





時間を知らせる鐘の音をきいて、アデライン達は飛び上がった。昼の休憩が終わり、ルトヴィアス達が街を出立してしまう。購入した商品の梱包を待つ時間がない。

「お嬢様お気をつけて!」

「ええ、ミレー。貴女もね」

結局、ミレーとデオに後を任せて、アデラインはライルと供に店を飛び出した。

何とか出立に間に合い、置いていかれずにすんだアデラインは胸を撫で下ろす。

「いけない。忘れるところだったわ」

アデラインは手提げ袋から包みをとりだすと、ライルに渡そうとした。ライルとデオに渡す予定だった謝礼だ。けれどライルは首を振って固辞する。

「頂けません」

「でも、これは私の個人的なお願いだったから…」

アデラインが言いつのっても、ライルは受け取ろうとしない。

「お嬢様にとってはそうであっても、私にとっては王家から頂いた神聖な任務です」

表情を変えることなく、ライルは言い切る。

彼は堅物かもしれないというアデラインの予想は外れた。ライルはただの堅物ではない。相当な堅物だ。

「…でも」

「お嬢様!よかった、探しましたよ!」

宰相付きの侍官が、息を切らせて走り寄ってきた。

「どうぞお早く!父君がお待ちです!」

「お供の任を頂き光栄でした」

ライルは頭を下げ、そのまま上げようとしない。きっとアデラインが立ち去るまで、このままでいるのだろう。

「お嬢様、お早く!父君にお叱りをうけますよ!」

「ちょっとだけ。ちょっとだけ待って」

アデラインは少し屈み、ライルの顔を覗き込む。謝礼を受け取ってもらえなくても、感謝だけはきちんと伝えたい。

「…私のわがままをきいてくれてありがとうライル。心から感謝します。デオにも伝えてね」

「…承りました」

ライルの返事を聞くと、アデラインは急かす侍官に促されるままにその場をあとにした。待ちかねていた御者に押し込まれるように馬車に乗せられると、座る間もなく馬車は動き始める。

イライラとした様子の父親に、アデラインは謝った。きっと心配させただろう。

「…お父様ごめんなさい遅くなって」

「…気をつけなさい」

「はい…」

軽い叱責に小さい声で返事をすると、アデラインは席についた。

馬車は田園地帯ののどかな景色の中を走り続け、夕刻近くになってその日の夜を過ごす離宮に到着した。リヒャイルド王が立太子前に療養の為に長く居住していたその離宮は、今では王族は誰も住んでいない。しかし侍官と女官が常駐し広い離宮を管理している為、廊下は磨きあげられ、急な国賓や王族の来訪にも対応できるようになっている。

アデラインより少し遅れて、ミレーが到着した。

「ライルは謝礼を受け取らなかったわ」

早速新しいドレスに着替えながら、アデラインはミレーに、そう話した。

少し驚いた顔をしたものの、ミレーはさもあらんと頷いた。

「デオも…こまごまとよく気がついて親切でしたよ。…まあ、女遊びに慣れてるだけかもしれませんが」

やれやれとため息を落としたミレーのその表情は、けれど柔らかい。

アデラインもクスリと笑った。

「そうね。ドレスを見立ててくれるときも…あんな風にいつも選んであげてるのかしら。もてるでしょうね、きっと」

アデラインとミレーは、顔を見合せフフフと、笑い合う。

最初に会った時は騎士に相応しくないと腹を立てたが、今日話したデオもライルも個性は強いが好ましい若者だったように思う。そう思ったのはアデラインを宰相令嬢と知って彼らが態度を改めたことも大きいだろうが、本来の彼らが善良な人間だからなのだろう。騎士号剥奪なんてことにならなくて良かった。きっと彼らはルードサクシードの誇る立派な騎士になる。

「さあ、お嬢様。出来ましたよ」

ドレスの裾を整えながら、ミレーが誇らしげにアデラインを仰ぎ見た。

「大変お似合いでございますよ」

「…本当?」

アデラインはドレスの裾を広げて、自らを見下ろした。

あつらえる時間がないため既製品を購入したが、久しぶりの新しいドレスだ。

それだけでアデラインの胸は密かに踊った。昔は美しいものを身に付けることが、単純に好きで、嬉しかった。『似合うはずない』『目立たないように』と、自分で自分に呪いをかけるまでは。

――…大丈夫よ。似合ってるわ

鏡の中の自分に言い聞かせる。

背伸びせず、あるがままの自分を美しく見せるためのドレス。

ルトヴィアスは何と言うだろう。

今ごろ着替えてどうするのだと、怒るだろうか。昨夜のうちに素直に着替えていれば、面倒なことにはならなかったのに、と。

今朝、怒って出ていった背中を思いだし、アデラインは胸が締め付けられた。

――…どうか、殿下が話をきいてくれますように。

アデラインは天の女神に祈った。


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