第二十八話 穴の奥の悪巧み
衝撃の事実が明かされた火吹き山の地の底で、姫と龍との話し合いは続いていた。
「まずお聞きしたいのですが、その鱗はどういった訳なんです?」
先程から寝そべる龍の背中や腹を、飛び交う妖鳥族たちが引っ掻いて鱗を落としている。
そして地面に落ちる寸前、妖精猫たちがキャッチして集めていく。
そのおかげで真黒だった龍の身体は、徐々に白い鱗に生え変わっており、現在ツートンカラーになりつつあった。
「それを教えるには、まず事の成り立ちから始める必要があるな。千年ほど前、この辺りはかなりの荒れ地だったことは知ってるかね?」
「はい、勇者の開拓譚の序章ですね」
「ある日、一人の少年が私を尋ねてきてね。この地を豊かにしてほしいと頼むんだ。当時の私は文化人類学に興味があったので、二つ返事で引き受けたよ」
「私達の伝承では、建国の祖である勇者が荒れ野に巣食う悪魔を倒し、白き龍の加護を得たと」
「その辺りの民話は、概ね似たような展開になるものだな。まあ色々あって私は、この地を豊かに保つと約束したって訳さ」
「それがどうして悪龍に?」
サラーサ姫の問い掛けに、龍は器用に肩を竦めてみせる。
「そもそも、その悪龍というのが分からないな。私は只、眠りながらも義務を果たしていただけなんだが」
「すると骸骨兵を差し向けることに、何か道理があると」
「この火山は地脈の要所でね。私はここで眠りながら地の力を集め、各地に戻す役割を請け負っていたのさ。百年単位で起こして貰って、地の恵みの再分配をしていたんだが、どうやらその目覚めがここ数百年は行われていなかったようでね。お陰で私の鱗は地の力を溜めすぎて黒く染まり、風評被害を受ける羽目になったよ」
「その鱗の色には、そんな事情があったのですね」
「で、君たち王族関係者が起こしに来なくなった心当たりが聞きたくて、君にわざわざご足労を頼んだって次第だ」
龍の言葉に姫はしばし考え込んでから、おずおずと口を開いた。
「五百年ほど前ですが、魔族戦争で当時の王族の殆どが命を落としました。そこで口伝の断絶が起きたのではないでしょうか」
「なるほど、時期は合うな。納得はいったよ」
「それでは怒りを、収めて頂けるのですか?」
「竜鱗兵に関してなら、君たちの只の思い違いだね。あれは私が目覚めない時に、自動で各地に地の力を運んでくれる存在にすぎない」
「えっ?!」
「目的地に着けば彼らは消滅して、その地の養分になるよう命令が組み込んである」
「それなら、どうして武装を?」
「そりゃ目的地に着くまでに、邪魔をされたら困るだろ。軽い障害物や動物なんかは、追い払えるようにしてあるのさ」
両眼を見開いたまま、龍の言葉を噛み締めるように理解していたサラーサ姫は、唐突に踵を返した。
その肩を背後から、龍の髭が掴んで留める。
「放して下さい。早くこの事実を御父様に伝えないと」
「まあ待ちたまえ。私の話はまだ終わってない。納得したとは言ったが、許すと言った覚えはないな」
振り返ったサラーサ姫は、大地に跪いて龍に懇願する。
「西の小麦畑が元のようになれば、助かる命が大勢います。どうかこの事実だけでも、伝えることをお許しください。それに誤解だと広まれば、きっとマシロ様の悪評も消え失せるはずです。もしそれでもお怒りが解けないと仰るのでしたら、このことを伝えた後にわたくしはここに必ず戻って参ります。どうかこの身をお好きになさって下さい。なのでどうか、今は御慈悲を――」
「やれやれ。そのよく回る口は、やはり初代の面影があるね。早とちりなところもそっくりだ。いいから立ちたまえ、話はまだ終わってない」
髭を使って姫を立たせた龍は、優しくその膝の汚れをはたいてやる。
「大地が元に戻ったところで、すでに生じているこの地の歪な流れは治りはしない。この地を癒すためには、もうちょっと荒療治が必要だと私は考えている」
龍の言葉の響きに不穏なものを感じ取ったサラーサ姫は、しっかりと顎を持ち上げてこの国の守護者を見据えた。
彼女は為政者として誇りと義務を、きちんと持ち合わせていた。
「私が初代と契約したのは、この地で種の多様性が見られると期待したからだ。だが千年経ってみれば、君たち無恵種が幅を利かせ過ぎる結果となったしまった。滅びかけている種さえある。正直なところ、失望が大きいね。このまま恵みを戻したところで、君たちが他の種を虐げる未来しか考えられない」
「そんなこと! それはわたくしが変えてみせます、この命を賭してでも」
「言葉では証明にならない。君たちの口の上手さは、もう十分に存じている」
龍の素っ気ない拒絶に、サラーサ姫は言葉を詰まらせた。
だが確かに、証明する手立てがないのも事実だ。
下唇を強く噛む姫を手助けしたのは、豚の鼻を持つ巨漢であった。
「ぶひぃ、横から失礼します、大龍殿。私はこの御方を信用しております。どうかお言葉を信じてあげて頂けないでしょうか?」
「うむ。その根拠を聞かせてくれるかね?」
「あれはサラ様が北の地に来て数日であったと思います。その日、運悪く飛竜が村を襲ってきまして、私共は懸命に戦っておりました。そこに見廻り番であったサラ様が通りかかられたのですが、突然盾を掲げて加勢に向かって来られましてね。あの時は心底驚きました。そして運良く飛竜を退けた私共に、怪我はないかとお尋ねになるんですよ。歯の根をガタガタ震わせながら」
サラーサ姫は、首まで赤く染めながら俯いた。
「あの時が初めてだったんですよ。私共が誰かに守って貰ったり、心配して貰えたのは」
「それが信頼に値する根拠だと」
「ぶひぃ、それで十分かと。確かに戦う術もないものが、強い言葉を口にするのは滑稽かもしれません。しかし勇気を持つものの言葉であれば、それは何時か叶うかもしれないと希望を持つことが出来ます。私はこの御方に、勇気を見みました。だから私は、サラ様のお言葉を信じておるのです」
オークの長の言葉に、龍はしばし考え込む素振りを見せたあと、サラーサ姫に軽やかに髭を差し出す。
姫は小さく涙を浮かべながら、その先端をしっかりと握りしめた。
「うむ。試すようなことして悪かった。私がやろうとしていることは、君たちの決意が必要でね」
「マシロ様は一体何をなさろうと、お考えなのです?」
姫の問い掛けに、龍は髭の先で天幕の一つを指差した。
そこは集めた龍の鱗が、山のように積まれていた。
さらに猫たちが、せっせと集めた鱗を押し込んでいく。
「あれを一度に竜鱗兵に変えたら、どうなるか楽しみじゃないかね」
青褪めて首を横に振るサラーサ姫に、龍は楽しそうに髭の先を回してみせる。
「私の考えていることは、この地に恵みを戻しつつ、他の種の存在を認めさせ、かつ王家の威信をそれなりに取り戻させることだな」
「そんなことが出来るのですが?」
「その為に、役者に揃ってもらったのさ」
またも竜の髭が動き、天幕の一つが捲り上げられた。
そこから現れたのは、両手を天に突き出した二体のトロールであった。
もっとも一体は、現在もまだ製作中であったが。
身動ぎ一つしないトロールを見ながら、黒小人の石工たちが汗水垂らして懸命にノミを振るう。
精巧な石造りの彫刻は見事な出来栄えで完成しつつあり、トロールの不気味ながらもどこかコミカルな雰囲気がよく出ていた。
「紹介しよう、この度の主役の一人"魔王"だ。そしてもう一人の主役は、サラーサ姫、貴女に務めてもらうとしよう」
「マシロ様、貴方様は本当に何をなさろうと――」
「それは勿論、戦争だよ」
△▼△▼△
彫刻の制作が一段落入ったところを見計らい、ゴリドたちはトロールの居る天幕へと押し掛けた。
天幕の奥では頭に真っ赤なヒヨコを乗せたトロールが床に座り込んでおり、その肩を猫たちが頑張って揉みほぐしているところであった。
足元には子猫たちが、ミイミィと鳴きながら走り回っている。
「休憩中のところを邪魔して悪いな。ちょっと今良いかい?」
「何か御用ですかニャ?」
「そっちの大将に、色々と言いたいことがあってな」
ゴリドの言葉に、猫たちは目を光らせて警戒する。
ただ名指しされたトロールのほうは、全く動じぬ様子で静かに頭を巡らせた。
「王様は具合が悪いニャ。面倒な用件なら僕が伺うニャ」
「いや、言い方が悪かったな。俺たちは礼をしに来ただけなんだ」
そう言いながらゴリドは深々と頭を下げた。
「大将のお陰で、俺たちの山は助かった。本当に感謝している。そのアレだ。俺は口下手であまり上手く言えないが、また良かったら是非、山へ遊びに来てくれ。大歓迎させてもらう」
ゴリドの次はゾルバッシュだった。
「ぶひぃ、先日は色々とお助け頂きお礼申し上げます。あなた様のお陰で、私共は無事に逃げ果せることができました。……これでもう一族が飢えずに済みます。それとどうか、利用した無礼をお許し下さい」
次に声を上げたのは、ガヤンであった。
「アンタだろ、峠の大蠍を退治してくれたのって。本当に助かったよ…………娘の命だけじゃなく妻の命まで……ありがとう。ほん、とうにありがとう」
子猫を抱き上げて頬ずりしていたラキルとシラル姉妹も声を上げた。
「あの時、助けてくれてありがとう。礼を言わせてもらうわ。それと毛皮も助かった。里のみんなも喜んでいたよ」
「私たちはアナタに教えてもらったわ。諦めないという本当の意味を。だからその分も重ねて礼を言うわね――ありがとう。でも無闇に人を驚かせるような真似は、もう少し控えたほうが良いと思うの。心臓に悪いもの」
最後にサラーサ姫が進み出る。
「キグロー団長から報告を受けました。東の壁を守ってくれたそうですね。貴方は王都を救った英雄です。万の言葉でも感謝は伝えきれません。だから私も一言だけ言わせて頂きます。……ありがとうございました」
次々と感謝の言葉を述べる六人を、猫たちは目を丸くして見つめる。
子猫たちが得意気に、声を上げた。
「王様、よく分からないけど喜んで貰えたなら良かったと言ってるニィ」
「それと坂滑りや温泉とか、あといろいろなご馳走してくれて本当に嬉しかったと言ってるニィ」
互いによく分からないままも、天幕は笑顔に包まれた。
その様子を見ていた黒猫は、誇らしげに髭を持ち上げる。
「やっぱり王様はすごいニャ。こんなにありがとうって言われるなんて、人気者の証なのニャ」




