第二十四話 ロリータ争奪ゲーム 後半戦
真ん丸な卵を足で受け止めたのは、二本足で立つ黒猫であった。
その背後から次々と猫たちが顔を出し、興味深そうに卵の匂いを嗅いだり前足で軽くパンチしたりと、てんで勝手に騒ぎ始める。
そして収拾がつかない猫たちの背後から、大きな影が姿を現した。
猫の数倍はあろう身の丈。
太い肉体は灰色の毛で覆われ、大きな顔には真っ黒な目と逆さ三日月型に裂けた口。
背には大きなマントを纏い、肩や頭の上にはなぜか子猫たちが乗っている。
見たこともない異形の姿に、シリンは思わず後ずさりしかけた。
だが化け物の目線が卵に向いたのを見て、慌てて声を上げる。
「食べるなんて、とんでもないです! その卵をこっちへ寄こすのです」
「ニャッ、これはアンタたちのものなのかニャ?」
突然、声を掛けてきた二人組に、妖精猫の黒猫隊長は驚いて訊き返した。
二人は砂漠に不釣り合いな黒いローブ姿なので、とても怪しい見た目だった。
不審な猫集団と、黒づくめの人物たちは互いにじっと睨み合う。
再度、口火をきったのは、シリンの方であった。
「そうですって、貴方たち師匠の使い魔じゃないですか! こんなところで何をしてるのです?」
「もうお勤めから解放されたニャ。今は自由の身ニャ。だから王様に仕えてるニャ」
王様というのは、あの化け物のことのようだ。
言われてみれば長く突き出した耳が、猫のように見えなくもない。
話が逸れかけたシリンは、慌てて話題を戻す。
「どうでも良いので、その卵をさっさと渡して下さい」
「どうでも良くないニャ!」
「ギャオギャオ!!」
シリンと黒猫のやり取りに、妖鳥族たちが口を挟んでくる。
「鳥さんが、それは神さまの卵だから返してほしいって言ってるニィ」
王様の肩の上の子猫が通訳をする。
「ニャンと。泥棒したら駄目ニャ」
「拒むというのであれば、実力行使に出ます」
「シリンちゃん!」
「姉さま、ここは譲ってる場合じゃありませんよ」
「そういきり立っても駄目よ。言葉が通じる相手なら、まずすべきは説得でしょ」
背が高い方の女性が、少し前に進み出る。
「あなた達の神さまの儀式を邪魔したことは謝るわ。でも私達は、あなた達の神様を殺したり苛めたりする気はないの。ただ違う場所に移り住んでほしいだけ。こんな砂だらけの場所より、とても暮らしやすいところよ」
「ギャオ? ギャオギャオ」
「鳥さんは、信じられないっていってるニィ」
「……姉さま、説得は難しいですよ。ここは私が恨みを買えば済む話です」
「簡単に諦めたら駄目よ、シリンちゃん」
ややこしくなり始めた状況に飽きたのか、黒猫隊長は振り向いて王様を見上げた。
「どうしますニャ、王様? 僕はオムレツが大好きですニャ」
その問い掛けに王様であるトロールは、黙って首を横に振った。
「王様は、お腹あんまり減ってないって言ってるニィ」
「ニャんと。合成魔獣は、意外と腹もちが良かったのニャ」
「王様は喧嘩は良くないって言ってるニィ。お腹いっぱいになれば喧嘩にならないから、卵焼きにしてみんなで分けようって言ってるニィ」
「ギャオギャオギャオ!!」
「だから食べたら駄目ですって!!」
目をつむって首を捻った黒猫は、何かを思いついたのかポンと肉球を合わせた。
「もう面倒なので競技で決着をつけるニャ。これで公平ニャ」
「何ですか? その競技って」
シリンの問い掛けに、黒猫は足元の卵を器用に爪先ですくい上げ、人差し爪の上でくるくると回し始める。
「ルールは簡単ニャ。この卵を、あの焚火の中に叩き込めればこっちの勝ちニャ。ただし途中で卵を奪われて、一番後ろを守る王様の手をすり抜けたらそっちの勝ちニャ。そっちは大っきいのが一匹と小さいのが十匹だから、こっちも十一匹で行くニャ。鳥さんはこっちチームに来るかニャ?」
「ギャギャ!」
「なら鳥さんは手を使えないし、足だけで勝負ニャ。でもそっちの大きいのは鈍そうだから、そいつだけ手を使っても良いニャ。その代りこっちも王様だけ手を使うニャ」
「そんな勝手なルール、受ける訳ないです!」
「分かったわ。その勝負受けます」
「姉さま、どうしてですか?」
「もし私達が断ったら、どうするつもりかしら? 猫さん」
その問い掛けに、黒猫は後ろを向いて恭しく卵を持ち上げた。
「今日の王様のランチは、生卵で決まりですニャ」
「選択肢は無さそうよ~、シリンちゃん」
「分かったです。コテンパンにしてやりますよ!」
△▼△▼△
熱砂が吹きすさぶ砂漠の真ん中で、不死鳥の行く末を決める試合が始まろうとしていた。
王宮魔術士が束ねるゴーレム&パペッツに対するは、謎の王様率いる猫軍団だ。
「ギャオギャオ!」
「鳥さんも入れろと言ってるニィ」
失敬。
王宮魔術士が束ねるゴーレム&パペッツに対するは、謎の王様率いる猫&鳥軍団だ。
ゴールである不死鳥の巣を守るのは、巨大なサンドゴーレム。
そして十体のパペットが、すでに鉄壁の布陣を敷いて待ち構えている。
猫チームのほうは、マントを広げて作った急ごしらえのゴールを王様がどっしりと守っている。
チームメイトは黒猫隊長を筆頭に、キジトラ猫のジッタ、三毛と灰毛とチャトラが続き、さらにハーピーの五匹が加わる。
審判役であるハーピーの一人が、高らかに口笛を鳴らしゲームは始まった。
「いくのニャ、ジッタ」
「まかすのニャ」
開始早々、中盤を突破したのは、黒とキジトラの素早いパスワークであった。
容赦なく卵を蹴り飛ばして、パペットたちの背後の空きスペースへ巧みに運んでいく。
あっという間にゴール前に迫られたシリン監督の檄が飛ぶ。
「何やってるです、三番、四番! もっと前に出て圧力をかけて! 相手を自由にさせちゃ駄目です」
指示通りに、パスコースを塞ぎにかかる二体。
しかしそれが猫たちの狙いであった。
存分にディフェンスを引き付けておいて、その頭上を越す絶妙のパスを上げる。
そこに駈け込んでくるチャトラ。
見事な跳躍でチャトラはボールに飛び付き、ゴールキーパーと一対一の状況に持ち込む。
ピッピィィー!
激しく警告の口笛が吹き鳴らされ、卵を掴んだ状態のチャトラが驚いて動きを止める。
思いっきり反則であった。
「手を使ったので反則ニィ。パペッツの攻撃になるニィ」
「猫の習性だから、しかたないニャ。どんまいニャ」
大きく蹴り出された卵は、王様ズの陣地深くまで一気に運ばれる。
すでにパペットの七番と九番がサイドを駆け上がり、卵を受け取った十番と一緒にゴール前に詰め寄る。
見事な足捌きで抜群の卵コントロールを見せる十番が、続けざまにハーピーのディフェンスを抜き去り、射程圏内に卵を持ち込む。
だがすでにゴール前は、猫と鳥と人形で押し合いへし合いとなっていた。
混戦状態を素早く見抜いた十番が、足元を通す鋭いシュートを放つ。
しかしこれは、寝そべっていた王様のお腹に当たって、大きく弾む。
こぼれ卵を制したのは、前に詰めていた八番であった。
ミドルレンジからの豪快なシュート。
だがゴール前まで戻っていた黒猫が、身を呈して体で卵を受け止める。
「今のは良い守りニャ」
「隊長、格好良いニャ」
観客席から歓声と、拍手が巻き起こる。
さらに卵へ集中するパペットたちだが、白い閃光と化したジッタのほうが一足速かった。
卵を蹴り出したキジトラ猫は、凄まじい速さでフィールドを駆け上がっていく。
相手ディフェンスをあっさりと振り切って、右足を大きく振りかぶる。
渾身の一蹴りが卵に打ち込まれた。
燃え盛る炎目掛けて、一直線に飛んでいく卵。
その行く手を巨大な手が阻む。
ジッタのシュートは、サンドゴーレムの手を貫き大量の砂を撒き散らしながら、胴体深くに喰い込んで止まった。
「惜しかったニャ!」
「良い蹴りだったニャ、ジッタ」
「ギャウギャウ」
危機一髪の様子に、姉妹はこっそりと目配せしあう。
「不味いですね、姉さま。流石、師匠の元使い魔だけあって、めちゃくちゃ強いです、あいつら」
「私に任せて~、シリンちゃん」
パペットたちが卵を転がして、攻め込んでくる。
すかさず削りに行く猫たちであったが、悲鳴を上げて飛び退った。
よく見れば卵の傍を、砂がにょろにょろと盛り上がって動いている。
魔力盤を手にしたパインが、胸を軽く揺らして小さくガッツポーズした。
「なるほど砂で蛇を造ったのですね。素晴らしいです、姉さま」
「蛇は苦手ニャァァァ!」
一転してピンチに陥る王様ズ。
その危機を救ったのは、ハーピーたちであった。
宙高く舞い上がった鳥たちは、一気に降下して砂の蛇を仕留める。
「ギャオギャオ」
「蛇なら任せろって言ってるニィ」
勝負は互角に戻る。
白熱した卵争奪ゲームは、膠着状態に陥った。
中盤を支配していたのは猫たちであったが、すでに序盤の機敏さが嘘のように動きが鈍い。
スタミナ不足が、今後の彼らの課題と言えよう。
しかし対するパペットたちも、動きに精彩さが欠けていた。
見えない糸を操るシリンの額にはびっしりと汗の玉が浮かび、その吐息は今にも消えそうなほど弱弱しい。
元来、この操り人形は普通の人間の魔力では、一体を操るのがやっとである。
それを同時に十体も操れるシリンの魔力量は確かに尋常ではなかったが、それでも限界は近付いていた。
「まずいニャ、王様あくびしてるニャ」
「うちもちょっと飽きてきたニャ」
「よし、そろそろ勝負を決めるニャ。王様、お願いしますニャ」
ゴロゴロしていたトロールは、その呼びかけにのっそりと起き上がる。
そして猫たちの大雑把な"全員でゴールを狙うニャ作戦"が実行に移された。
一気に敵陣に攻め込む、猫と鳥と王様。
もちろん守備は誰も居ないので、卵を奪われたら一瞬で勝負が決まる。
盛り上がる展開に、観客席がドッと沸き立った。
「ここが勝負時ね、シリンちゃん」
「まかせて下さい、姉さま」
卵をキープする黒猫を、三体のパペットが取り囲む。
瞬時に守備陣と王様の位置を計算した黒猫は、フェイントをかけて二体を抜き去る。
そこに鋭いスライディングが突き刺さった。
ギリギリで躱せたものの、黒猫は大きくバランスを崩し、卵はその背後に小さく転がる。
こぼれ卵を狙って、すかさず殺到するパペットたち。
次の瞬間、あり得ない光景が観客の目に飛び込んできた。
黒猫の背面にあったはずの卵は、宙に浮いていた。
綺麗な弧を描く卵が、パペットたちの追撃を鮮やかに退けて、黒猫の足元に再び収まる。
そのままノートラップで蹴り上げた卵は、がら空きになったゴール前に飛んでいく。
「尻尾を使うなんて反則です!」
「これは第三の足ニャ」
ヒールリフトならぬテールリフトで、黒猫が最大のチャンスを作りだした。
素晴らしいセンタリングに合わせてきたのは、待ち受けていた王様であった。
前に出るゴーレムに怯む様子もなく、卵に頭をぶつける。
しかしなぜか、卵は前に飛ばなかった。
王様の黒い髪に絡まってしまったのだ。
キョロキョロと辺りを見渡すトロールは、頭の上を指差されてその事実に気付く。
仕方がないのでトロールはその状態のまま、サンドゴーレムに突っ込んだ。
ぶつかり合うパワー対パワー。
のはずが、あっさりとゴーレムは砕け散った。
力の差があり過ぎたようだ。
体の中心を貫かれたゴーレムが砂に戻っていく中、トロールは頭に卵を乗せたまま火の山へと到達する。
勢いが付き過ぎていたトロールは、そのまま燃え上がっていた不死鳥の巣に正面衝突した。
全身を火に巻かれる王様。
パニックを起こした猫たちが、悲鳴を上げてその周囲を走り回る。
さらにその周りをハーピーたちが、飛び回りながら喜びで鳴き叫ぶ。
阿鼻叫喚となった有り様を、王宮魔術士の二人は呆然と眺めていた。
そして火が消えたあとに現れたのは、頭に真っ赤な色のヒヨコを乗せたトロールの姿であった。
「そんな、あんまりです……」
「……残念ね」
「諦めきれませんよ、姉さま。半年以上かけてコツコツと絞り込んで、必死に駆けずり回って見つけたんですよ! やっと……やっと、恩返しできると……」
「また違う方法を探しましょう。きっと、まだ何か出来る事があるはずだわ」
「そんな気休め!」
シリンの両拳が激しく握られ、その体内で信じられないほどの魔力が高まっていく。
地に伏せていた人形どもが、ゆるりと立ち上がり――。
「シリンちゃん!!」
滅多に聞いたことのない姉の大きな声に、妹は思わず首を竦めた。
険しい顔で近寄ってくるパインの姿に、ぶたれると思ったシリンは咄嗟に目を閉じる。
その額に触れてきたのは、優しい指の感触だった。
指はシリンの眉間に出来た皺を、ゆっくりと伸ばしてくれる。
「お師匠様が仰ってたでしょ。誰かに石を投げられても、その石を違う誰かに投げてはいけないって」
砂が混じる風が静かに二人の間を吹き抜け、そのフードを脱がして素顔を露わにする。
彼女たちの側頭部に生えていたのは、下弦を描く山羊のような角――魔族の証であった。
その言葉で涙が止まらなくなったシリンは、姉の胸に顔を埋めて大声で泣きじゃくる。
「ごめん……なさい。ごめん……」
「色々とご迷惑をお掛けして、ごめんなさいね」
「気にしなくていいニャ。良い勝負だったニャ」
「ギャウギャウ」
「神さまが無事生まれたので、気にしないって言ってるニィ」
妹を抱きしめたまま皆に頭を下げるパインに、なぜかトロールも頭を下げる。
するとその拍子にヒヨコの青い尾羽が一本、するっと抜けてシリンのつむじに落ちた。
驚いて目線を上げたパインに対し、真っ赤なヒヨコはピィと小さく鳴いて見せた。
「ありがとうございます。本当に……」
「またねって言ってるニィ」
「はい、また何時か出逢えたら良いですね。みなさんは、これからどこへ向かうんです?」
「南で西のほうニャ。王様の母上の古い知り合いが居るそうニャ」
「ここから南西って……」
驚いた顔でパインは、言葉を続けた。
「もしかして、悪龍の棲む火吹き山ですか?」
妖鳥族
荒れ果てた荒野や廃墟に好んで棲みつく種族。鳥の羽と足、体と顔は人の外見をもつ。
体の大きさは妖精猫族とほぼ同じで小柄で軽量。歌は下手だが、好きなのでよく合唱している。
魔族
見た目から邪悪な存在とされてきたが、じつはただ体内の魔力濃度が人種より濃いだけの種族。
美形が多いのも、迫害に拍車をかける要因となった。巻き角と小さな尻尾を持つ。




